〈 GHQが11宮家の皇籍離脱を進めた時の状況 〉
・元帥陸軍大将だった梨本宮(なしもとのみや)が、A級戦犯容疑で戦犯を収容した拘置所巣鴨プリズンに入った。
・戦勝国側の皇室への脅しとも捉えられたが、4カ月ほどで不起訴となり、釈放された。
GHQによる戦犯宣言と、該当者の逮捕、巣鴨拘置所への収監は、皇族の方だけでなく、全ての政府関係者に不安と恐怖を与えました。
・翌昭和21年1月GHQの指令により、軍国主義者、戦争協力者、軍人らを対象とする「公職追放」が始まって間もなく、衝撃的な記事が新聞に載った。
・昭和天皇の弟宮3方(直宮)をはじめ、東久邇前首相ら皇族15人が追放指定者に含まれるという内容だ。
・終戦までの男子皇族は軍歴があったためだが、この時は皇族の公職追放が見送られる。
氏は書いていませんが、報道を大々的に発信したのは「プレスコード」の優等生だつた朝日新聞が先頭だったのではないかと推察します。
・GHQはさらに、皇室の財産にメスを入れてきた。
・各皇族の全財産の調査を命じ、最高税率を90%まで引き上げた財産税がかけられることになる。
戦前の日本では想像もできないことですが、戦犯としての逮捕、収監で脅されていた政治家と軍人は、皇室財産に手をつけるGHQに異議を唱えることさえできなかったのではないでしょうか。
昭和天皇の財産は約37億円(現在の貨幣価値だと百数十倍という)と算出され、その9割が財産税として国有財産となってしまう。
旧宮家の宗家と言われる伏見宮(ふしのみや)家は、直宮家以外の11宮家で3番目の、792万円の資産があったが、債務などを引いた額に85%の財産税をかけられることになった。
昭和22年5月3日に施行された「皇室経済法」を根拠に、GHQはこの乱暴な課税を実行したのだと思われますが、斉藤氏の具体的な叙述がなければアメリカが実施した過酷な課税を知らないままでした。
戦争に勝利し、勝ちに驕ったアメリカは「日本弱体化」を強行し、「財閥解体」だけでなく「皇室解体」まで手を突っ込んでいました。当時の国民が知っていれば、各地で反GHQの動きが発生していた可能性もあります。
しかしマスコミが「プレスコード」の優等生になってしまうと、事実が国民に伝わりません。GHQが朝日新聞を優遇し、他のマスコミが右へ倣えした結果が今日の日本ではないでしょうか。
斉藤氏の説明を続けます。
・昭和天皇は、日本国憲法が公布された同年11月、直宮を除く宮家の皇族を集め、「臣籍降下(皇籍離脱)のやむを得ざる事態」について説明した。
・憲法は第88条に、「すべて皇室財産は、国に属する」と明記され、皇室にはもう11宮家を支える経済力がなくなったのである。
タイトルを改めて氏が説明を続け、片山首相の発言を紹介しています。「ねこ庭」が息子たちと訪問される方々に是非読んで欲しい部分です。
〈 11宮家の皇籍離脱でも、皇位継承に心配なしと判断 〉
・昭和22年10月、初めての皇室会議が開かれて、11宮家51人の皇籍離脱を決定した。会議の片山哲議長(首相)はこう説明した。
「皇籍離脱の御意思を有せられる皇族は、後伏見天皇(第93代、即位1298年)より20世から22世を隔てられる方々でありまして、
今上陛下(昭和天皇、第124代)とは、男系を追いますと四十数世を隔てておられる。」
「これらの方々が、これまで宗室(天皇本家)を助け、皇族として国運の興隆に寄与した事績は、まことに大きいものでありましたが、」
「戦後の国内外の情勢、とりわけ新憲法の精神、新憲法による皇室財産の処理及びこれに関連する皇族費等諸般の事情から致しまして、この際これらの方々の皇籍離脱の御意思を実現することが適当であると考えられるのであります」
「皇位継承の御資格者としましては、現在、今上陛下に2親王(現上皇さまと常陸宮さま)、皇弟として3親王(直宮)、
「皇甥(こうせい)として1親王(三笠宮寛仁親王)がおわしますので、皇位継承の点で不安が存しないと信ずる次第であります」
ウィキペディアが伝える首相の「発言記録」と、斉藤氏が紹介する「首相発言」のいずれが正しいのか、「ねこ庭」は判断する材料がありません。
国の根幹を左右する「宮家の皇籍離脱」について、ウィキぺディアの解説は簡単すぎる気がします。社会党の首相だとしても、会議では懇切丁寧に説明したと考える方が自然な気がします。
だから「ねこ庭」は、斉藤氏の次の説明を信頼します。
・皇籍離脱する宮家皇族には26人の皇位継承者がいたが、当時は天皇家、直宮家に合わせて男子6人の皇位継承者がいるから、
・血縁の遠い11宮家を皇室から離しても心配はない、と政府は判断していたのである。
・同じ日に皇室経済会議も開かれ、皇籍を離れる51人中、軍籍にあった11人を除く40人に一時金として、当主には210万円、それ以外の王は約145万円などとして、合計4747万余円の支出を決めた。
氏の解説を信頼する根拠は、内容が具体的詳細であることだけでなく、令4年4月という日付にあります。戦後76年が経過しているため、やっと事実を語れるようになったのでないのかと、「ねこ庭」は解釈します。
判断は「ねこ庭」を訪問される方々に委ねることにし、氏の説明を続けます。
「従来の縁故は今後においても何ら変わるところはないのであって、将来ますますお互いに親しくご交際をいたしたいというのが、私の念願であります。」
「皆さんも私の気持ちをご了解になって、機会あるごとに遠慮なく、親しい気持ちでお話にお出でなさるように希望いたします」
天皇のご挨拶を氏が紹介していますが、皇籍離脱される方々へ陛下の思いがどのようなものであったかについては、次回の説明が示唆しています。脇道へそれますが、省略せずに続けます。
又 先日のインフルエンザ罹患の事では、ご心配をおかけしました。
お蔭様で、今はほぼ回復という所です。
終戦後の 11宮家の皇籍離脱は、拙者も薄々想像した通り
連合国進駐軍 GHQの意向と方針があった事を、今 理解でき始めている様に思います。
前述離脱に関する 時の日本政府も当時はやむを得じ
だったとしても、今となっては甘い判断だったのではとの
見方もできはしますが、我々に当時の状況に即しての
判断ができるか?と問われれば、それは困難である
のも事実と心得ます。
貴連載はまだ途上につき、これ以上の言及は控える事と
致します。私事恐縮ですが、今春 父を見送った次第ですので、
来年頭のお年賀等はご遠慮させて頂く事とします。
どうか、良いお年を。来年も、どうか宜しくお願い致します。
今年がもう直ぐ終わります。
今回のシリーズは、年内に終わる予定でしたが、年を越してしまいました。
貴方の体調の回復に祝意を申し上げるとともに、父上様のご逝去にここからのお悔やみを申し上げます。
身内の訃報は、辛いですね。
来年もよろしくご指導とご鞭撻をお願いいたします。