宮内庁に「参与会議」があることを初めて知りました。
天皇の「譲位」について、NHKの「おことば報道」より6年も前に当会議で検討されていたというのですから、権威のある組織のようです。
令和元年の5月に、産経ネットが「参与会議」の解説をしているのを見つけました。
・5月1日の代替わりに伴い、上皇さまの相談役を務めてきた宮内庁参与の動向にも注目が集まる。
・上皇さまが初めて譲位の意向を打ち明けられるなど、節目で皇室の課題に助言する重要な役割を担ってきた。
・宮内庁関係者の間では、現行メンバーが上皇さまの相談相手となり、天皇陛下のための参与については新たに選任するよう求める声が上がる。
説明によると、参与はもともと天皇の相談相手であるらしく、譲位された上皇陛下には無い組織のようです。
不思議なことに宮内庁の組織図を確認しても、天皇の相談相手としての参与職はありません。職員の中に特別職と一般職がありますので、特別職にあるのかと探しても見つかりません。
天皇の相談相手となり、重要な問題に意見を述べるという参与職が、宮内庁の組織図に表示されていないという不思議な事実を発見しました。
産経ネットが、メンバーの名前を書いています。
・現在の参与は次の4人。
国松孝次(くにまつ・たかじ)元警察庁長官(81)
渡辺允(まこと)元侍従長(82)
羽毛田(はけた)信吾元宮内庁長官(77)
竹崎博允(ひろのぶ)元最高裁長官(74)
・参与は、皇居・御所で月1回程度開かれる「参与会議」で、上皇ご夫妻、宮内庁長官らと皇室の課題について意見交換する
・上皇さまのご意向で、陛下、皇嗣秋篠宮さまとも年2回程度会い、相談に乗ってきた。
この説明を読みますと、参与は天皇に付随した組織というより、上皇陛下の私的な組織という色彩が強くなります。
・平成の代替わりに関する儀式や、陛下のおきさき選びにも当時の参与が関与したとされる。
ということは4人の参与は、令和の代替わり儀式にも、雅子さまをお妃に選ばれるときにも関与していたということになります。正式な組織でないにも関わらず、皇室の行事や重要事に意見が言えるというのですから、「ねこ庭」には皇室の乱れと見えてなりません。
・平成22年7月の参与会議では、上皇さまが初めて譲位の意向を示され、その後も度々話題に上がった。
・当時参与だった三谷太一郎東大名誉教授(82)によると、当初、参与全員が翻意を促したが、上皇さまは譲られなかったという。
前回ウィキペディアは、羽毛田長官の談話を次のように紹介していました。
・公表当時に前宮内庁長官だった羽毛田信吾によると、「6年前の平成22年の『参与会議』の席で、すでに第125代天皇の『譲位』についての議論は始まっていた」という。
その実態は産経ネットの解説によると、参与全員が反対しても、当時の陛下はご自分の意見を曲げられなかったのです。ウィキペディアの説明だけを読んでいると、不正確な話を信じる間違いもあるということでしょうか。
曖昧な「参与会議」のあり方を知りますと、1月3日の過去記事で紹介した高森明勅氏の意見も無視できなくなります。
〈 高森氏の意見 〉
・「天皇を秩序の基軸とする日本社会の伝統的な在り方自体が、たったお1人の皇族のご意思によって決定的に左右される事態になる」
・「ご本人のご意思で退位や即位・辞退が可能になると、無責任かつ悪質な週刊誌の記事などを鵜呑みにした人々が、ご本人に働きかけて天皇の退位や即位辞退を実現させようと、
・不敬不埒な署名活動やデモを活発に繰り広げないとも限らない」「自分たちが『支持』する皇族を何とか即位させようと、国民の間に激しい対立が生まれることもあり得る」
・「退位した天皇は歴史的には太上天皇(上皇)という地位を与えられて来たが、太上天皇にはどのようなご公務を考えているのか」
氏は「譲位は、皇室に二重権力を生む」とも述べていましたが、参与組織の解説を読んでいますと、すでに宮内庁が二重権力に苦慮している様子が見える気がするのは「ねこ庭」だけなのでしょうか。
・上皇さまは譲位に伴い、象徴としてのほぼ全ての公務を陛下に引き継ぎ、魚類の研究など私的な活動に専念される。
・また仮住まい先を、仙洞(せんとう)御所(旧東宮御所、1日に赤坂御所に改称)へと住居を移し、新生活を送られる。
・宮内庁関係者は「近代では譲位の例がなく、上皇さまが気心の知れた相手に相談されるための仕組みは必要」と指摘。
・85歳の上皇さまと年齢が比較的近く、継続して助言してもらうのにふさわしいとして、現行メンバーを推す意見が出ている。