ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『中国との戦い』 - 2 ( 日本と中国の正義 )

2021-11-10 13:22:44 | 徒然の記

 「日中戦争の発端となった、盧溝橋での第一発は、」「日本陸軍の陰謀によるものである、と言う説がある。」「満州事変の発火点となった、柳条溝の満鉄爆破が、」「関東軍によって企てられた、謀略工作であったため、」「これも同じであろうと考えるわけだが、当時の日本軍の部隊配置や、」「演習部隊の行動から判断しても、そうでないと断言できそうである。」

 62ページの叙述を転記していますが、今井氏の意見には、傾聴せずにおれないものがあります。

 「陰謀が企てられていたとしたら、それはむしろ中国側であるという、」「断片的な情報もあるが、これもはっきりした確証がない。」

 「ただその頃、日本軍が襲撃してくると言う流言が囁かれていたらしいので、」「これに怯え、或いは闘志を燃やし、上の意向に反し、」「最初の一発を打ったと言うことも、考えられる。」「いずれにしても、今後新事実が発見されるまで、」「謎としておくのが本当かもしれない。」

 この一発の銃声をきっかけに、日本軍は戦争への道をひた走ったと、私は教わりました。しかし氏の著書を読むと、事実は少し違っているようです。その後の動きを、箇条書きにしてみます。

 ・事件後、支那駐屯軍の特務機関長・松井太郎大佐は、補佐官の寺平大尉と軍事顧問櫻井少佐を、現地に派遣した。

 ・中国軍の金振中大隊長を口説き、事件の拡大を阻止するよう努力した。

 ・しかし、冀祭(きさつ)政権の首脳者は、いずれも姿をくらましてしまい、交渉は困難であった。

 ・トップの宋哲元は、日本との交渉をうるさがって郷里に引きこもり、市長の秦徳純が代理をしていたが、その秦もなかなか見つからなかった。

 ・二日後の夕刻、北平(北京)大使館付き武官が、秦の居所をやっと見つけた。こうしてその夜、日中両軍の協議が成立し、それぞれが停戦命令を出した。

 ・しかしこの命令が、現地の支那軍に徹底せず、協定に基づき撤退中の日本軍に、攻撃を仕掛けてきた。

 ・このため日本軍も撤退を中止し、小規模な戦闘が繰り返された。

 説明してありませんが、上記「北平(北京)大使館付き武官」と言うのは、どうやら著者のことです。紹介されていた氏の略歴を確かめますと、それが分かります。別のところでは、「今井武夫少佐」と実名で書かれていますので、経験談が述べられていることになります。

 盧溝橋事件を好機として、日本軍が日中戦争へ突き進んだわけでなく、何度も日中双方の当事者が、戦禍の拡大を阻止しようと努力しています。

 昭和6年に柳条溝で鉄道を爆破して張作霖を爆殺し、その翌年に関東軍が満州国を作りました。「五族共和の楽土」を作ると言いながら、実際は関東軍が支配しました。漢族、満州族、朝鮮族、蒙古族と共和するのでなく、愛新覚羅浩様が語られているように、「関東軍以外は人にあらず」と言う傲慢さがありました。

 店で飲食しても、代金を払わないような軍人がいれば、人心は離れていきます。おそらく満州国では、時が経つにつれ、住民たちの不満と怒りが溜まり、日本軍や日本人に対する憎しみが大きくなっていったのではないかと、考えられます。宏(ひろ)様の説明では、満州国の人々は上から下まで、日本の軍人への不信感と怒りを抱き、それは同じ民族である中国全土に広まっていったとありました。

 場所が離れているとはいえ、同じ中国国内ですから、満州国が作られた5年後に発生した盧溝橋事件( 昭和12年 )の時、反日、抗日の思いが溢れていたのは事実でしょう。日本にしてみれば、欧米列強の侵略から自国を守るための自衛戦争ですが、戦場になっている中国人にとっては、欧米列強も日本もみんな憎い侵略者です。

 圧倒的な武力を持つ相手なので、多くの中国人は我慢していますが、一触即発の機運が満ちているため、指導者たちが協定を結んでも庶民が破ってしまいます。中国の軍人には日本と戦う正義があり、日本の軍人にも祖国防衛という正義があります。そこを理解した上での叙述であるため、氏が一方的な中国批判をしていないのではないかと、そんな気がします。

 「日中両軍の衝突事件は、それまでに何度も起こっているので、」「盧溝橋事件に対しても、陸軍の中央部はそれほど重視しておらず、」「すぐに解決するものと思っていた。」「そのために事件の拡大防止と、現地解決方針を決定し、シナ駐屯軍に訓令した。」

 しかしその後事件が好転せず、長引くため、この解決をめぐって陸軍中央部で、「拡大派」と「不拡大派」が激論を交わすことになります。主要な論点を整理してみました。

  「 不拡大派 」・・現地シナ駐屯軍の主張

   ・満州北辺の対ソ戦に備え、整備増強しなければならない重大な時に、中国へ出兵したことは、全面戦争の泥沼に足を踏み入れる危険性がある。

   ・国防上、極めて危険である。

  「 拡大派 」・・関東軍と朝鮮軍の主張

   ・今まで国策にしていながら、実現できなかった対中政策を、一挙に解決すべきである。この機会に中国に一撃を加えるべき。

   ・その期間は短くて済むから、対ソ国防について心配する必要はない。

 「太平洋戦争開戦図」という地図が、巻末についています。それをみますと、当時の日本軍の配置が分かりますので、参考のため転記します。

  1. 満州国 ・・関東軍 13師団

  2. 朝鮮  ・・朝鮮軍  2師団

  3. 支那  ・・支那派遣軍 21師団 (  北京、徐州、南京を含む、日本の支配地域  )   

 この地図によりますと、蒋介石の支配する「中華民国」は、日本の支配地域を除くものとして描かれています。今の私の目から見ますと、途方もない広さの地域に、よくもここまで軍の配備を広げたものと、驚くしかありません。

 師団についても、概略を調べました。

  ・師団は、旅団・団より大きく、軍団・軍より小さい。

  ・地域的、期間的に独立し、作戦遂行能力を持つ最小の戦略単位。

  ・歩兵、砲兵、工兵等の戦闘部隊と兵站等の後方支援部隊を有する、6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊。

 次回は、日中双方の意に反し、拡大していく日中戦争です。

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『中国との戦い』

2021-11-09 18:34:37 | 徒然の記

 間が開きますと、読書の計画を忘れてしまいます。

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

 現在は、今井武夫氏著『中国との戦い』の310ページです。著者の今井氏は、変わった経歴の持ち主なので、巻末の略歴を興味深く読みました。

 「明治31年、長野県生まれ。」「陸軍大学校卒、参謀本部課長、」「歩兵第141連隊長、大東亜省参事官、」「中国在勤大使館付武官、支那派遣軍総参謀副長」

 氏は学者でなく、参謀本部の軍人として中国戦線で戦った当事者でした。日中戦争を終わらせるため、蒋介石や汪兆銘と、直接交渉に当たっています。おかげて今まで不明だったことが、なんとなく分かってきました。

 「余の見る所によると、参謀総長らは、満州における日本の地位を、根本的に誤解しておられるようである。」「満州方面における日本の権利は、講和条約によって露国から譲り受けたもの、」「すなわち遼東半島租借地と、鉄道の他は何もないのである。」
 
 「満州経営という言葉は、戦時中からわが国人の口にしていたところで、」「今日では官吏は勿論、商人などもしきりに説くけれども、」「満州は、決して我が国の属地ではない。」
 
 「属地でもない場所に、わが主権の行わるる道理はないし、拓殖務省のようなものを新設して、事務をとらしむる必要もない。」「満州の行政責任は、よろしくこれを清国に負担せしめねばならぬ。」
 
 以上は島田氏の著書で教えられた、伊藤公の正論でしたが、今井氏の著書に中でもこの言葉が生きているように思えました。公の正論と、「十万の流血と二十億の国帑」という、日露戦争の代価としての満州を考える意見が、拮抗しているせいなのでしょうか。氏の叙述には、軍部への批判があり、一途に侵攻作戦を進めているのでないことを、知りました。

 島田教授の著作を読み、大正14(1925)年に孫文が亡くなった後、国民政府には後継者が4人いたと報告しました。

  1. 蒋介石 ・・ 国民政府・軍官学校校長  反共主義者

  2. 胡漢民 ( こかんみん ) ・・ 暗殺される

  3. 廖仲愷 ( りょうちゅうがい ) ・・胡漢民の暗殺が、廖の弟だったため、後継者から外された

  4. 汪兆銘 ( おうちょうめい ) ・・ソ連親派の革命家 左派

 国民政府は蒋介石と汪兆銘の二人が率いることとなり、左右両派の対立が同居したままになったと、書きましたが、今井氏の説明によりますと、汪兆銘はソ連親派の革命家(左派)ではありませんでした。 

 むしろ親日の中国人で、国民政府を離れ、臨時政府を作り、関東軍に協力しながら、日中戦争の終結に力を貸しています。同じ人物でも、著者が違うと、描かれ方も異なってくるのかと信じられない思いがしています。なによりも有り難かったのは、入り組んだ戦争の整理が、できたことです。

  1. 日中戦争  2. 太平洋戦争  3. 大東亜戦争

 今後の日本を考えるためにも、大切なことだと思いますので、以下のように整理しました。

  1. 日中戦争  日本と中国の戦争 

  2. 太平洋戦争 日本と米英ソとの戦争

  3. 大東亜戦争 1.と2.を合わせた戦争のことで、日本だけで使われていた。

 日中戦争は、蒋介石の国民政府との戦いであるだけでなく、地方を支配している軍閥との戦いでもあります。蒋介石と同じ敵と戦っていた時もありますし、反共主義者の蒋介石は国民政府の中にいる共産党勢力とも戦っていました。謀略と背信が常に生じると言う状況での戦争ですから、複雑な戦争です。

 しかもこの戦争は、日中双方が「宣戦布告」をしていません。反日の学者の中には、日本軍が中国を軽く考え、すぐにも破ると奢っていたため、と説明する人物がいます。実際はそうでなく、「戦争の当事国」には輸出をしないと言う、アメリカの方針があったからです。

 日中双方に、武器弾薬、石油、食料等々、戦争遂行のためには、輸入を止められては困ると言う事情がありました。「戦争」と言う言葉を使わず、「支那事変」と言ったり「日中紛争」と言ったりするのは、そのためです。

 太平洋戦争とは、日中戦争のことでなく、米英との戦争だと、参謀本部は区別していました。実際には、「日中戦争」が並行して行われていますから、私たち庶民には、「太平洋戦争」の意味がわかりません。戦争の末期になりますと、同盟国だったソ連までが、敵方となり攻撃してきますから、一層こんがらがります。

 「大東亜戦争」と言う言葉を使ったのが、軍人だったのか、学者だったのか知りませんが、複雑怪奇な戦争をひっくるめて表現したのではないでしょうか。蒋介石も日本も、振り上げた拳のおろし場所とタイミングが掴めないまま、とてつもない戦争へ進んでしまいました。

 「無謀な戦争」「勝ち目のない愚かな戦争」と、後世の学者たちが批評しますが、当時としては、行き着くところまで行くしかなかった戦争ではないかと、思えてなりません。「愚かな戦争」を繰り返さないためにも、過去の事実を知る読書は大事です。

 しかしこれは、反日左翼の人々が言う、「平和憲法を守れ ! 」という主張が、正しいことには繋がりません。次回から、氏の著作でそれを教えてもらいたいと思います。

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近況報告

2021-11-09 10:41:10 | 徒然の記

 名前を変えて、同一人物が、何通もコメントを入れてきます。最初は読んでいましたが、今は読まずに消しています。

 ずっと以前に、「コメントの承認制」を勧めてくれた方がありましたが、反対意見もまだ少なく、そのままにしておりました。今回は数が多いので、「コメントの承認制」を実行し、読まずに削除することにいたしました。

 「ねこ庭」を訪問される方々のコメントも、攻撃していますから、当分の間コメント欄を閉じ、皆様へご迷惑がかからないようにしました。

 個人のブログに、ここまで根気よく「迷惑メール」を入れる人物がいると、今回初めて知りました。それでも私は、この人物の意見の全てを否定していません。国民のことを忘れ、大企業の利益の方を向いている自民党の政治への批判を、なるほどと思っています。読書の日々を送る私が、悲惨な暮らしをする人たちに比べたら、贅沢な人間だと言われるのも、なるほどと思います。

 反日左翼の学者や、政治家や評論家を、私もこの人物のように口汚く攻撃していますから、似たようなことをしているわけです。その点について、この人物は、まさに「他山の石」でした。どこまでやれるのかわかりませんが、これからのブログの書き方を、改めなくてなりません。

 一つだけこの人物との違いを挙げるとすれば、私が主として批判・攻撃しているのは、公人だと言うことです。自宅や事務所に何度も電話やメールをするのでなく、自分のブログで意見を述べています。学者や政治家や評論家は、報酬を得て公言しており、反対論の存在も自覚しています。それを職業としている公人ですから、ブログで批判して当然だと思っています。

 この人物が、私の個人ブログに、沢山のコメントを入れているのと同じではありませんが、他人を邪魔して楽しむ人間には、区別がつかないのでしょう。

 と言うことで、しばらくコメント欄を閉じ、ご返事もしませんので、ご容赦ください。以上「近況報告」です。

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モグラ叩きのもぐら現象 ?

2021-11-06 17:06:42 | 徒然の記

 読書計画が進みません。綺麗な青空の広がる、晴天の秋日和だと言うのに、心が沈んだままです。10月31日、日曜日の千葉日報の12面の記事が、さらに気持ちを暗くさせます。

 紙面の4分1を占める6段組の、大きな記事です。

 「空襲補償 いつになったら」「戦後76年、法案未提出」「被害者ら『支援を』」

 中心になっているのは、昭和20年の東京大空襲で被害に遭った人たちです。後に沖縄戦での被害者が加わり、一人50万円の損害賠償を求める裁判を起こしています。国を提訴している団体の名前は、「全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)」で、訴えの理由は、旧軍人、軍属には補償があるのに、一般国民は犠牲があっても耐えるべきなのか。おかしいではないか・・と言うものだそうです。

 街頭活動をするメンバーの写真が掲載され、立て看板には「空襲惨禍  繰り返させない  !」と、書かれています。

 以前にも、同じような記事を読み違和感を覚えたため、スクラップ帳に残しました。探してみると、すぐに見つかりました。8月12日の記事でした。いずれも、共同通信社の配信記事です。こちらの方は3段組みの小さな記事で、タイトルに違和感を覚えたため切り抜いていました。

 「私の戦争終わらせて」「空襲被害者、国に補償」 

 鹿児島県で空襲に遭い、左膝から下を失った82才の女性の言葉が紹介されています。

 「国家の意思で始めた戦争で、多くの非戦闘員を犠牲にした。」「再び戦争を起こさせないためにも、後始末をきちんとして、」「私の戦争を終わらせて欲しい。」

 ロシア軍の捕虜となり、シベリアの炭鉱で働かされた父も、ソ連との国境近くのハイラルから、命からがら私を連れ引き揚げてきた母も、この女性のような意見は言いませんでした。国を守るためにした戦争で、自分の国を訴えるという思考が、そもそもありません。

 「犠牲者一人に50万円を支給」してもらい、国が謝罪したら、再び戦争を起こさせないことになるのでしょうか。世界の国々では国が戦争する度に、犠牲になった民間人が、補償を求めて国を訴えるのでしょうか。そういう話を聞いたことがありませんので、82才の老女が、普通の人とは思えなくなります。

 常識があれば、こんな思考をするのでしょうか。東京大空襲は、非戦闘員を狙った「国際法違反の米軍爆撃」ですから、この女性は、国を訴える前にアメリカを訴えるのが筋です。

 「再び戦争を起こさせないためにも、後始末をきちんとして、」「私の戦争を終わらせて欲しい。」と、米国に向かって言い、米国の政治家や軍人を糾弾するのが先でしょう。

 そうしてみますと、この「全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)」も、いつもの反日左翼団体の仲間なのでしょうか。「日本だけが間違った戦争をした。」「悪いのは、日本だけだった。」と、そんな考えをしているから、無差別空爆をしたアメリカには何も言わず、自分の国だけを非難するのでしょう。

 いつまで経っても共同通信社は、偏向報道の配信をやめません。空襲連や82才の老女だけでなく、同社も「モグラ叩きのもぐら現象」の構成メンバーです。自分のことばかりを優先させ、日本という国や、大切なご先祖や歴史については何も考えない人たちが増えています。

 保守自民党の中にさえ、自分のことだけしか考えない議員が現れています。 辻元清美氏を応援した山崎拓氏、女性天皇も良しとする河野太郎氏、河野太郎氏の一番弟子と称する秋本真利氏など、自民党員と思えないような人物が、次々と現れています。

 言葉にするのも嫌になりますが、ご自分のことだけを優先された眞子さまと、その眞子さまを支援された美智子様など、皇室の方々も、というより、皇室の方々が率先して「自己中心」の思考を優先され、国民のことを蔑ろにされました。

 上から下まで、国の隅々に、「モグラ叩きのもぐら現象」が広がっています。こんな時は、「ねこ庭」で目を閉じ、深呼吸をすればいいのです。

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青山繁晴氏 【ぼくらの国会・第233回】 - 2

2021-11-03 22:12:06 | 徒然の記

 まず最初に、青山繁晴氏による「西村宮内庁長官」評を紹介します。

 ・西村長官は、眞子内親王とだけでなく、秋篠宮様、天皇陛下とも親しく話をされている。内容については外に出さず、全てを自分で被っておられるのだが、こういうことは西村さんでなくては決してできない。

 ・西村長官への誹謗中傷は、今でも私のところへ多く寄せられるが、西村さんは苦悩を外へ出さず、よく我慢され、本当に深いところで話をされていると思います。

 西村長官を称賛する青山氏の話は、聞く度に私に疑問を生じさせます。

 西村氏は、KK問題に関する、一連のK氏の行動について、眞子内親王が主導的に関わっておられたことを、マスコミにそれとなく漏らしていました。それでも青山氏が、西村長官は苦悩を外へ出さなかったと称賛する理由は、何なのでしょう。

 こうなると、青山氏の説明で隠されていることは、以下の事実しか思い当たりません。

  ・強い意志で行動されている眞子さまは、何度お諌めしても聞き入れられなかった。

  ・秋篠宮様と話し合っても、眞子さまのご行為を、止めてくださらなかった。

  ・天皇陛下とのお話でも、西村長官の意は汲み上げてもらえなかった。

  ・長官は、この苦しみを誰にも語れず、自分の胸に収めてきた。

 つまり、「眞子さまのご結婚問題に関して、長官は孤立無縁で、無力な存在でしかなかった。」ということ。

 あるいは事実なのかもしれませんが、そうなりますと、今度は青山氏が、眞子さまや秋篠宮様や上皇陛下を、立派な方々であるとする説明と、両立しなくなります。青山氏の動画は、「国民に隠し事をしない。」「事実を率直に伝える。」ところに希少価値があり、多くの視聴者を惹きつけています。

 真子様のご結婚問題に関する限り、氏の説明には率直さが欠け、隠し事があるという思いが払拭できません。割り切れない気持ちのまま、氏の話を思い出す限り、箇条書きにしていきます。

 ・暗い話ばかりでなく、前向きの話をこれからしたいと思います。

 ・敗戦後にGHQが、勝手に廃絶した「旧宮家」から、皇統譜へ戻る覚悟をされている方がおいでになると、聞いています。

 ・国会質問に備えるため、私は国会議員として、政府の情報機関に調査を依頼し、文書で回答を得ました。それによりますと、父系で皇統につながっておられる、旧宮家の独身の男子の方は、

  10代・・5名  20代前半の方・・2名  計 7 名  ということでした。

 ・具体的なことは、さらに確認しなくてなりませんが、この方々の中に、国のため、日本のため、皇統譜へ戻られる覚悟をされている方がおられるということです。

 ・GHQが強権で排除した旧宮家の方々は、今は私たち同様、一般国民として自由な生活をしておられます。

 ・皇統譜へ戻られますと、健康保険がなくなり、職業選択の自由も無くされます。日本の皇室は敗戦により、戦前に比べますと、コペルニクス的展開をしています。

 ・こうしたことをご承知の上で、皇室へ戻られるというご決断が、どれほど尊いものであるか。

 ・真子様のご結婚問題を、暗い面だけで捉えるのでなく、逆に前向きに考えるべきであると、私が言うのは、この意味です。

 ・旧宮家の方たちの中から、眞子さまと同様に、「自由なご意志」で皇統譜へ戻られるということが、尊いご決断として、むしろ鮮明になるのではないでしょうか。

 悠仁親王殿下が、即位の辞退を意思表示される可能性で出てきたという説明にも驚きましたが、旧宮家の方々の話がここまで進んでいるという説明にも、驚きました。氏が代表を務める「護る会」の活動目標には、「11宮家の皇籍復帰」が掲げられていますので、「護る会」を頼もしく思い、支援していますが、それは「憲法改正」の目標と同じく、遠い先の話とばかり思っていました。

 ・旧宮家の方々は、菊栄親睦会の中で、皇室の藩屏として重荷を背負って、戦後75年間を歩かれたのです。この方々の中から、強制でなく、自由意志で皇籍に戻っていただくことが、唯一の、至高の解決策なのです。

 ・このことについて、私たちと一緒に考えてください。

 確かこのような内容でしたが、青山氏の意見は、現在の皇室の方々を皇居をから追い出し、新たな皇統の御一族を迎えるという内容です。私は以前のブログで、国民の敬愛の中心にあった皇室は昭和天皇の御世で終わった、と述べました。「公」より「私」を優先されるようになった平成以後、私たち国民は今後長い間耐えていくしかないのだと、そう思っていました。

 現在の皇室の方々を、別系統の方々とそっくり入れ替えるなど、考えてもいませんでした。上皇陛下や天皇陛下、秋篠宮様や眞子さまを称賛している青山氏が、これほど冷酷な意見を述べるのですから、信じられない思いで一杯になります。アメリカナイズされた皇室の方々を一掃し、皇室の伝統と文化を大切にしてきた御一家を迎え、新規蒔き直しをしようという、荒っぽく、粗雑な意見です。

 菊栄親睦会におられる方々が、本当に国民の敬愛の中心となられる方なのか、そういうことについての検証を、氏はいつの時点でしたのでしょうか。これほどの重大事を、自分のブログで発表する軽率さの方に、失望しました。

 皇籍を離れられても、眞子さまが悠仁親王殿下の姉上であるという事実は変わりません。小室氏が義兄であるという、耐え難い事実も変わりません。しかし、降って湧いたような旧宮家の方の皇籍復帰、皇位継承の説明を、本気で聞く人間がいるのでしょうか。皇位と、「健康保険や職業選択の自由」の喪失を並べて語るなど、とんでもない屁理屈です。

 長らく青山氏の動画を、貴重な情報源として見ていましたが、これからはそうできなくなりました。「護る会」の活動には期待しますが、青山氏個人への信頼は、眞子さまへの信頼と同様に、今回で地に落ちました。

 これが私の、結論です。

 明日からまた、「温故知新」の読書に戻り、遅々とした歩みでも、自分で考えていこうと思います。「急がば回れ」・・ですね。

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青山繁晴氏 【ぼくらの国会・第233回】

2021-11-02 19:20:05 | 徒然の記

 私を苦悩、あえてこの言葉を使いますが、苦悩させているのは、氏の動画です。タイトルが、「小室真子さんのご結婚の本質」です。氏の意見を、そのまま転記します。

 ・今回のご結婚の一番の本質は、「一時金を辞退されたこと」「皇室の一員としての一切の儀式をなさらずに、進められたこと」の2点にあります。

 ・皇室の一員である時に、皇室の一員でないような過程を踏み、ご成婚に至られたこと。つまり真子様はご自分の「自由意志」を、「皇室の定め」よりも優越したということです。

 ・今回の件につきましては、国民には何の責任もありません。こうしたことを受容した宮内庁と、私たち立法府の国会議員にあります。

 ・これは、眞子さまの個人的な問題ではありません。今後悠仁親王殿下においても、他の皇族の方々おいても、同じことがありうるということになります。

 ここまでの意見は、私と同じ見方です。皇室を護持すべき宮内庁はもちろんのこと、終始口をつぐんでいた国会議員諸氏を、何度かブログで批判しました。しかし驚いたのは、次の意見でした。

 ・場合によっては、悠仁親王殿下が皇位の継承を望まれないということが、起きる可能性が出て来ました。

 ・御即位される時の悠仁親王殿下の「ご意思」が、今回の例により、「皇室に定められた先例」より、より上にあるとお考えになられるとしたら、あり得ます。

 ・悠仁親王殿下のご即位はまだ先のことですが、上皇陛下が、現代におけるご譲位の先例を作られたので、それを基準に考えれば、今上陛下が80代半ばになられる頃だろうと思われます。

 ・上皇陛下が、「ご自分の自由意志」で、憲法に背いたご譲位をされたことは一切なく、陛下は決して、間違ったことはされません。

 ・自分が疲れたからという理由では、一切ありません。国民の象徴であるご自分が、長寿社会となったため、介護の姿になる前に、今上陛下に譲位を決断されたのです。

 ・これは内閣が認めたことでありますから、陛下について「憲法に背かれた」というのは間違いです。

 青字の部分は、氏の苦しい言い訳としか、私には受け取れません。自民党の議員の限界かと、私が言ったのはこの説明です。あの時上皇陛下は、政府の頭ごしにNHKを使い、ご自分の気持ちを国民に直接伝えられました。どのように言い繕うとしても、上皇陛下のご行為は憲法違反でした。

 「これ以上公務を続ける体力がなくなったので、譲位する。」と陛下は言われ、国民の多くが「お疲れ様でした。」と、感謝しました。なくなった後の葬儀を簡潔にしなくては、家族の負担が大きいとも言われました。代々の天皇のように埋葬せず、簡素にするため火葬にし、御陵も作らないと語られました。

 青山氏の説明に反しますが、あの時の上皇陛下のお言葉は、「国民」でなく、残される「ご自分のご家族」の負担の話でした。

 「真子様がご自分の「自由意志」を、「皇室の定め」よりも優越した。」というのであれば、それを最初にしたのが上皇陛下であると、率直にいう方が筋の通った意見になります。

 話が横道にそれましたので、悠仁親王殿下のご即位の件に戻ります。

 ・譲位の先例から考えますと、悠仁親王が即位されるのは、40才前半の頃になります。127代天皇は、悠仁親王殿下だと思っていた考えが、揺らいだということは否定できません。

 予想もしていない説明ですが、次の意見になりますと、私の考えと多くが一致します。

 ・これは根の深いことで、日本の敗戦時にあります。あの時の日本は、「アメリカの民主主義は、正しい。」と、全面的に無批判に、受け入れました。

 ・上皇陛下は、即位されるまでの間で、アメリカの民主主義教育を受けられました。それまであった皇室の帝王学がなくなり、代わりに民主主義教育を受けられたのは、上皇陛下が最初の方でした。

 ・上皇陛下の「譲位のご決断」は、今後の皇室のためには、素晴らしいものでしたが、しかし、かすかに「自由意志」の気配があります。

 ・眞子内親王が、今回のご結婚で「ご意思(自由意志)」を貫かれたのは、そこに源流があります。

 ・また秋篠宮様が、上皇陛下のご意志を継がれた方であるということについて、私は関係する人物から聞いています。何事もご自分の頭で真剣に考えられ、考えられたことは変えないという強い意志の方です。秋篠宮家の家庭教育では、それが貫かれていると思います。

 敗戦後の上皇陛下に関する、民主主義教育以降の氏の説明は、かって私がブログで取り上げた説明と基調が同じです。違うところは、青山氏が上皇陛下や他の皇室の方々を称賛しながら、説明しているところです。どのように聞いても氏の説明は、上皇陛下と秋篠宮様への痛烈な批判だと、私には聞こえます。

 ・だから秋篠宮様は、お子様たちお二人を学習院でなく、国際キリスト教大学へ決められました。イギリスの王家との比較で考えますと、これは、王家の直系の方が「国際仏教大学」あるいは、「国際イスラム教大学」へ行くことと同じ意味になります。とても考えられない話です。

 ・しかし、おおらかな日本の社会では、何の反対もなされませんでした。真子様は、こうした中で育たれ、ご自分の意志でご結婚の判断をされました。

 敗戦時の皇室を変えたのは、ホイットニー准将が率いる「マルキスト」の米人スタッフでした。日本側の協力者は、まず片山総理大臣で、「11宮家の皇籍離脱」を実行しました。次の協力者は芦田総理で、宮内庁を徹底的に変えました。芦田氏は、昭和天皇のご意志を無視し、田島道治氏を宮内庁長官として送り込み、美智子様を皇太子妃とするための工夫をさせました。

 何度も取り上げたことなので、これ以上は冗長となりますのでやめますが、青山氏が私と異なるトーンで説明するので、頭が混乱します。同じことを言っていても、オブラートで包まなくてならないのが、国会議員なのでしょうか。

 スペースがなくなりましたので、ここで終わりとし、一番肝心の結論部分を、次回といたします。青山氏も苦悩しているのだと思いますが、私も同じです。「苦悩のブログ」に参加し、少し荷物を軽くしてやろうと思われる方は、どうか次回も「ねこ庭」へ足をお運びください。

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青山繁晴氏と篠原常一郎氏について

2021-11-02 00:09:40 | 徒然の記

 最近は、この二人の人物の発信する動画をよく見ます。そして、単純な疑問に囚われています。

 二人は、自民党の参議院議員と、元共産党から愛国者に転じた作家という肩書きです。二人とも自分の動画を持っていて、沢山の視聴者がいます。

 しかし二人には、接点がありません。協力すればと思うのですが、互いが無視しているかのように見えます。

 互いに皇室を守ろうとしていますが、眞子さまのご結婚については、対照的な対応をしています。篠原氏は、KKの母親の年金疑惑その他を厳しく追求し、検察に訴えています。秋篠宮様の不決断を婉曲に批判し、疑惑の母親を持つKK氏が、皇室とつながりを持つことに危機感を抱いています。篠原氏の動画を見ていますと、私の思いと重なる部分が多く、うなづきながら見ています、

 青山氏は、KK氏の母親の刑事訴追は、あり得ないのではないかと言います。氏は真子様、秋篠宮様も、皇室の方々について、立派な方だと説明します。宮内庁長官も、天皇陛下も、上皇陛下も美智子さまも、立派な方々だと褒めます。

 皇室の方々に関する限り、「11宮家の皇籍復帰」を除きますと、氏と私は意見が重なりません。共通しているのは、「KK問題」が、皇室と国民の間に大きな溝を作っているという認識です。自民党の国会議員の限界なのかと、そんな気がします。

 他の問題については、自民党の中の親中派や、憲法改正、尖閣問題など、貴重な報告を有難いと思っています。

 「温故知新」の読書も、中断しています。満州国問題や日中戦争を、詳しく知るほどに、書評が難しくなります。

 青山氏の自民党内での孤軍奮闘に、敬意を表し、応援していながら、相容れない部分の大きさに思考停止状態です。私自身の判断も、揺れて定まらなくなりました。

 「青山氏の意見」、「篠原氏の意見」、『日中戦争の書評』が、揺れています。

 途中経過のご報告です。こういう経験を初めていたします。「自分のブログは、何か意味があるのだろうか ? 」・・疑問はここまでになっています。

コメント (6)
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