おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

くま模様の「くま」という名のねこ

2009年07月13日 | 暮らし
世の中、きれいなお仕事をしている人たちはいるものです。



これはジュエリーフラワーの先生の作品です。



ご縁があってお仕事でかかわらせていただくことになりました。
「花嫁のブーケをぜひお嬢さんに使って欲しいの」となんともステキなご提案をいただきました。

急なお話でしたので、実現出来るか心配でしたが、どうやら実現できそうです。
友人のご紹介をいただき、お仕事をご一緒させていただくことになったのですが
何とこの方とは30年も前にお会いしていたらしいのです。

私は21歳の時、龍生派のいけ花教室へ通っておりました。
どうやらその時期この方もいらしたようなのです。
この方はしっかりお教室を開いてりっぱな先生になっておいででした。
私はなんとなくの花嫁修業。なので何年も続かなかったと思います。

私はこのいけばな教室で得たもの、それは・・

「くま」と言う名の猫。

ある日教室に行ったら先生が突然こう言いました。
「かわいい子猫あげるから連れてって」
「え、だって・・・」
考える間もなく、気がつけば、車の中には段ボールに入れられた白と黒のブチの子ねこがアジ干物と一緒に乗せられていた訳で・・・
先生にどうこういう立場もなくそのまま帰宅。

それから数年、「くま」と私のふたり生活が始まったのでした。

当時はキャットフードなんてかっこいいものは一般に普及されてませんでしたから
味噌汁とおかかをかけたご飯が「くま」の食事でした。
ひとり暮らしでしたら、外食が多かったのですが「くま」が来てからはいやおうなしにご飯を焚く生活が始まりました。

彼女は平気で彼氏を家へ連れて来ました。
朝目覚めると、枕元と足元にねこの気配・・・
ぎょっとして目覚めると知らない雄猫が私の枕もとで寝ているではありませんか!
それを満足げに眺めている「くま」

「くま」は私が結婚してからも少しの間一緒に暮しました。
でも産後の経過が思わしくなく、体調を崩し、その後失明という不幸な結果が待っていたのです。
食べれない、動けない、そんな「くま」への最終的な決断は「安楽死」でした。
そのために「くま」を病院に連れていったのは主人でした。
主人はつらい役割を果たし、傷心しきって帰宅。
その後おんおん泣きっぱなしの私をなだめる仕事がしばらく続いたのでした。

ですから、私が「犬を飼いたい」と言ったとき最後まで反対していたのは主人。
30年以上経った今でも「くま」の最後が脳裏から離れなず、もう二度とつらい思いをしたくないというのでした。

そして・・・
気がつけば3匹の犬に囲まれ、彼の生きがいのほとんどはこの3匹にあったりする今。
いつか必ず訪れるその時を覚悟しながら、限りない愛情を注いでいる主人です。

ペットとの暮らしは大きなシアワセを得ることができます。
でも、反面、大きな覚悟も必要なのです。