キイロスズメバチです。5年ほど前に蕨畑で見てしまいました。虫を捕えて、口で噛み砕きながら丸めています。巣へ持ち帰ろうとしているようです。
近年、スズメバチと聞くと、命にも関わる大変に危険な動物と捉えられます。しかし、私の子ども時代は危険ではありますが、決して命に関わるほどのものとは思われていませんでした。むしろ、男の子たちには絶好の遊び相手でした。「あそごさ、かめばぢいっどう」、訳すと「あそこにスズメバチの巣があるよう」となります。スズメバチは「かめばぢ」と呼ばれていました。スズメバチの巣は、土手の穴や木の洞(ほら)に作られている場合が多かったようです。
スズメバチの巣を使った遊び方は、いろいろありました。初級編は、どこまで近づくかの度胸試しです。そろそろと近づくのですが、夏と違って秋になると、スズメバチは縄張り入ってきた侵入者を目ざとく見つけ、戦闘的な見張りが侵入者に向ってきます。もうそうなったら、間違いなく「刺す」つもりのスズメバチからは逃げるしかありません。後は、運を天に任せて一目散に走って逃げます。天から見放されますと、あえなく刺されて泣きっ面になりました。とても泣かないで我慢できる程度の痛さではありません。泣かされたことを一方的に根に持って確執が始まりました。
中級編は、石を巣に向って投げつけます。昔の道路は砂利道ですから、手ごろな石がわんさかありました。石を投げるとなると、モーションが大きいので、そっと近づいてから投げるなどは絶対にできません。十分な距離を確保しながら、力いっぱいに石を投げつけます。遠いので、中々、巣に命中することはありません。それでも、巣の近くに石が当たると、それなりに蜂が騒ぎ出します。一応、逃げますが十分な距離がありますので、何とか逃げおおせました。
上級編は、「2B弾」の発射です。2B弾と言うのは、花火の名前です。7、8センチの紙筒で太さは鉛筆よりも少し細い程度です。紙筒の頭に火を点けると、何秒後に激しく爆発します。良い子は決してこのような花火で遊びませんでした。小学校児童会の「きまり」で禁止していたような気がしますが、確かではありません。さんざんこの花火で遊んでいた当人としては、しらを切るしかありません。さて、2B弾に火を点けたら、手作りの矢の先に2B弾を付けて、弓で巣へ目がけて打ち込みます。弓道をたしなんでいたわけではありません。弓と矢もお粗末なヒョロヒョロです。とても、命中などはしたことがありません。大抵は巣に届かないで、ずっと手前に落ちて、「バンッ」で終わりです。でも、矢を放つ時は那須与一です。頭の中では、矢は巣へ一直線に飛び、巣の中で2B弾がさく裂します。何度も何度も失敗するからこそ、スズメバチとの確執は拡大するこそすれ、消え去ることはありません。「いつか見ていろ」です。
可愛らしかった餓鬼もいつかは大人になります。それでも頭の中は、あの時のままです。スズメバチの巣を見つけると、どうしてもそわそわしてしまいます。そんな横しまな精神は、スズメバチにも見透かされます。畑沢で実家の軒下を歩いていた時に、突然、頭の真上に激痛が走りました。すると、軒にスズメバチの大きな巣がありました。何も巣に悪さをしていませんでしたが、それでも私を攻撃してしまいました。「確執」が再燃し、以来、スズメバチを見ると手に持っている物で叩き落とすことにしています。最も効果的な道具は、バドミントンのラケットです。ある程度の面積があり、叩くスピードも出ます。
大量にスズメバチを退治したこともあります。実家の外壁に蜂が齧って穴を開けて、内壁との隙間に大きな巣を作っていました。巣のある隙間は、内壁には開いていませんので、内壁に錐で小さな穴を開け、そこに殺虫剤を大量にスプレーしました。さすがのスズメバチでも、これには敵いません。巣の中がわんわんと大騒ぎになり、外壁の穴から外へ次かに次へと飛び出してきました。スズメバチは即死はしません。弱りながらも翌朝まで持ちこたえるようです。可哀想ですが、「許せ これも人のため」です。