じっと見てください。目、長い鼻、腕らしきものが見えてくるはずです。今から20年ほど前に、山形県鶴岡市の池で「人面魚」と言う鯉が有名になりました。しかし、人面魚でなくとも、周囲のいろんなものに目を向けると、人面〇〇なるものは沢山見つかります。
この写真の人面〇〇は、ただの人面〇〇ではありません。樹齢何百年もなる怪物のような老樹です。上畑沢の大杉です。この大杉の前を県道29号線が通っています。でも、ここに道路があるのは、今に始まったわけではありません。ずっとずうっと昔からこの大杉の前に道がありました。楯岡を「上郷」と言っていた江戸時代は勿論のこと、もっと昔からここに道がありました。大杉は江戸時代になってから生まれたものかもしれません。それでも数多くのことを見てきました。 畑沢村の村人が生まれ、成長しそしてこの世から去るまでを繰り返してきた何十世代の姿です。決して、江戸時代も平穏な日々が続いたわけではありません。全地球的な寒冷化の中で、度々の飢饉が訪れて飢餓に陥りました。それでなくとも、成長する前に幼くしてこの世を去った子どもたちの方が多かった時代です。村人の嘆き悲しみも大杉は根から吸収してきました。大杉の近くにある墓地には、「〇〇童子」の文字が刻まれた江戸時代の墓碑が多くあります。墓碑は「地像」の形になっています。子どもに先立たれた親の悲しみが伝わってきます。
また、大杉の前の道を行き交った旅人の変遷も大杉は見てきました。銀山から産出した多くの銀を山形へ運ぶ牛馬と人足の姿、逆に多くの人口を抱えていた銀山へ生活物資を運ぶ姿もありました。出羽三山参りのために、関東諸国から上の畑を通って来た旅人も明治時代初期までひっきりなしだったようです。
そんな光景を目の当たりにしてきた大杉に「目」があるのは当然です。私も背炙り峠を越えて、この大杉の前を通るときに「視線」を感じていたのは、この大杉の目のせいだったようです。「スビタレ、また来たか。遅かったな」。相変わらずの辛口です。ついでに、「顔の前の電線が五月蠅くて、かなわん。なんとかしてくれ」とも言っていますが、何ともできません。お気持ちだけは、察しています。
その大杉の向いで、大杉の目がひん剥ける出来事がありました。それは……。次回に投稿します。
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