二番目の大きな謎となっている公共事業も砂防ダムです。先に投稿した人面杉の真正面にある小さな山の中腹にあります。沼澤の砂防ダムは、全体をコンクリートで固めて作られていますが、この砂防ダムは鉄骨らしいもので骨組みを作って、中に大き目の採石がびっしりと詰められています。堤体の表面に雑草らしきものが生えているのは、その採石の間から出ているようです。写真には大きさを比べる物が入っていませんので、堤体の長さを推定しにくいのですが、10mや20m程度ではありません。何百メートルは言いませんが、何十メートルかになります。それほどの「ダム」を作ってまで守ろうとする「大河」は、幅30~40cmの水路です。けっして「cm」単位が間違っているのではありません。どうして「cm」の水路が災害を起こす危険性があるのでしょう。
工事の前に地元住民へ説明があったそうです。説明では、「ここには、断層が走っている」と言われたそうです。ダムを造るほどに危険な断層ならば、断層に特有の地形が見られるはずです。断層には正断層、逆断層、横ずれ断層があり、それぞれ断層特有の地形があります。そのような地形をこの場所で見たことがありません。また、特に調査をしなくても分かるほどの断層ならば、これまでの畑沢地区が示されている表層地質図にも出ているはずですが、その図面の畑沢区域には「断層」の表示はありません。
ダムの近くに、看板がありました。
四つも看板が並ぶと読みにくいので、一つ一つを個別に掲示します。
平成17年の3月22日に砂防指定地にされたそうです。断層があるとしたならば、遅すぎる指定です。文字が剥がれています。この看板から推察すると、砂防ダムは平成17~19年あたりに作られたかと思います。そう言えば、立石山の採石場が「倒産」したのもこの後あたりだったかもしれません。この砂防ダムでも立石山からの採石が使われたのでしょうか。確認できていません。
「貯水池」の文字が見えますが、ここには貯水池はないはずですが、どういうことでしょう。
「土石危険渓流」とありますが、30~40cmの―幅の水路が「渓流」とは言わないはずです。また、土石流となるような「土石」がありません。また、「尾花沢市」の文字がありますが、砂防に係る事業は「県」の仕事であって「市」の仕事ではありません。仕事を担当していない「尾花沢市」は不要だと思います。不思議な看板です。
文字が消えて分からないところがありますが、砂防指定地の区域を示しています。一般的に砂防ダム等を建造するにあたっては、「集水面積」を考慮するはずです。看板の図から推察して、集水面積は大目に概算しても100m×200m=20,000㎡ (0.02k㎡)ぐらいかと思います。普通の砂防ダムよりも二桁以上少ない集水面積です。こんなに少ない集水面積では、どんなに雨が降っても大した水量にならないので、ダムの力を借りるまでもありません。
四つの看板全体を見渡してみても、大きな違和感があります。看板に記載されている内容が「剥げ」かかっていることです。この種の看板は、看板に直接にペンキ等で書き込むはずですが、ここの看板は粘着テープ程度のものが「貼られて」いるようです。大事なことが「剥がれ」ていいはずはありません。まるで、即席に作られた看板の感じさえあります。
必要性も、看板に掲示されている内容も、看板に書き込む方法も全部が不思議な「砂防ダム」です。
人間が作った不可思議なダムは、秋になるとニホンザルの青空食堂になるとのことでした。村の中で柿をくすねた猿の群れは、この砂防ダムの堤体に一列になって腰掛け、村を見下ろしながら、ゆっくりと柿を味わうそうです。
一つ書き忘れました、この砂防ダムを建造していただいたお蔭で、砂防ダムの近くにあった廃屋が「補償」の対象になり、公費で解体していただいたそうです。
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