背炙り古道の峠には、地蔵堂が建っています。畑沢では「背炙り峠のズンド様」又は単に「峠のズンド様」と呼ばれています。この地蔵堂についての文献は、袖崎郷土史研究会が発行した「袖崎の郷土誌(昭和55年発行)」が唯一でした。そこに書かれている内容は、次のとおりです。
1 地蔵堂が建っている地域一帯を「乳母木」といい、「乳母木地蔵」は、これ
に因んでいること。
2 猿羽根(サバネ)峠、山刀切(ナタギリ)峠の地蔵と並んで「峠の三地蔵」
と呼ばれていたこと。
3 地蔵堂の別当は、畑沢在住の人だったこと。
4 春の山開きのころは、畑沢から縁結び、安産、子育ての地蔵として
参拝者が押しかけていたこと。
5 現在のお堂は、昭和42年に建て替えられたもので、それ以前はもっと大き
な建物だったらしいこと。
以上が文献の内容ですが、地元、畑沢で次のことを聞きました。
1 別当は、大戸○○さんであったが、今は畑沢から転居されたこと。
2 別当は、村山市新山(にやま)の斎藤家も務めており、大戸家と斎藤家は
1年ごとの交代だったらしいとのこと。
3 地蔵堂一帯は、毎年、スズバタの3軒を中心とした上畑沢の人達によって、
下刈り、清掃等が行われていたこと。
4 しかし、3年ほど前の作業を最後に、管理作業が困難になって中止してお
り、再開の目途が立っていないこと。
5 畑沢の前々区長(故人)が、この看板を自費で製作し設置を楽しみにして
いたこと。
これらのお話をお聞きして、私でもできることを何かしたいと思っています。また、同じようなお気持ちの方がおられます。
ところで、「背炙り峠を訪ねる会」を行います。是非、御参加ください。予約は必要ありません。詳細は後日お知らせしますが、現時点での予定概要は次のとおりです。
1 実 施 日 平成25年5月12日(日)時刻はこれから調整
2 集合場所 元の畑沢分校
3 行動範囲
集合場所→背炙り峠(現車道)→林道→背炙り古道→地蔵堂→弘法水(湧水)
4 呼びかける範囲
ブログ閲覧者 畑沢に所縁の人 尾花沢市及び村山市の背炙り古道愛好者
その他興味のある人
私は 乳母木地蔵尊の 別当をさせて頂いていた 畑沢の 大戸家の娘に あたります。以前 お地蔵様の事を お調べして下さっていた様ですが 私も歳を重ね 今 とてもお地蔵様の事を 案じています。もし 可能でしたら ご連絡頂けましたら 幸いです。
地蔵堂は、平成22年ごろまでは上畑沢の人たちによって手入れされていましたが、昭和42年に建てられてから半世紀経って老朽化し、さらに熊による被害などにより倒壊寸前状態です。今年はまだ見ていませんが、去年、撮影した写真がありますので、私の資料も含めて郵送します。常盤中学校同窓生名簿の住所でよろしいでしょうか。