-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

沼沢の「沼」を探してみました。(2 伝説の復習)

2015-12-20 18:10:03 | 古里

 今回は沼沢の「沼」を調べるきっかけになった伝説について復習いたします。二年ほど前に沼沢の伝説を投稿したことがあります。尾花沢高校郷土研究部が昭和41年に発行した「尾花沢の伝説」に収録されているものです。投稿してから大分、月日が経ちましたので、あらためてその部分を掲載します。

121 大ツブ(大たにし)―(以下は原文のままです。)

沼沢地内に沼がある。その沼に昔、大きな俵のようなツブが住んでいて、そばで昼寝などしていると、その大ツブに呑みこまれてしまうほどであったそうである。

 

 短い伝説ですが、私に『沼沢に「沼」があるのではないか』と思わせた大変に重要な伝説です。畑沢で一度も沼を見たことがなかったのですが、伝説が残っているのだからどこかにきっとあるはずだと思い始めました。私は小学生時代に「沼沢方面の池」に関する経験がありました。一つは「中畑沢のある人が沼沢に池を持っていて、そこで魚を飼っている」ということを聞いたことであり、もう一つは荒町から峠の方へ行って、沢山の鮒を捕まえてきたのを目撃したことです。そのため、私の知らない沼沢の方に池があるものと思い込んでいました。そこで、この伝説に巡り合ったときには、今まで想像していた「池」と伝説の「沼」が完全に一緒になってしまいました。

 背中炙り峠(古道)を調べているうちに、二年前、古道に近い山中にうっそうした樹木に囲まれた池(沼)が見つかりました。

 

しかし、その場所は沼沢地内ではなくて、西の入沢の奥にありました。沢が異なりますので、沼沢の「沼」ではないのですが、私が勝手に「昔は西の入沢も沼沢の一部と考えられていたのではないか」などと私流の拡大解釈をしてしまいました。ところが、畑沢の先輩たちに聞いたところ、あの池(沼)は、昭和40、50年ごろに水田開発と一緒に作られたものであることを教えてもらいました。また、昔、小学生が峠の方で捕まえた鮒は、村山市内の「高来沢堤」からでした。さらに、中畑沢の人の池は、池ではなくて田んぼだったようです。これで完全に沼沢に「沼」が残っている可能性が否定されてしまいました。

 それでも伝説が残っているわけですから、その当時に沼があった可能性は残っています。伝説にある「大つぶ(大たにし)」と見間違えるような大きな石もあります。伝説は、けっして根も葉もないことではありません。


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