畑沢には、戦国時代から江戸時代初期にかけて、延沢城の出城というべき「楯」の跡とそれに由来
する地名が残されているとの調査結果があります。
一つが下畑沢の「畑沢楯」であり、もう一つは背あぶり峠を守る楯です。以下にその文献を紹介します。
1 【畑沢楯】
(1) 「山形県中世城館四遺跡調査結果報告書」第2集(村山地域)
平成8年3月山形県教育委員会
旧「徳専寺(浄土真宗)」があった所に楯跡があるとのことです。楯の主は「古瀬蔵人」との伝承
があるとのことです。 また、付近には「山楯」「荒屋敷」の地名も残されています。
(2) 「古城山史話」 昭和60年 菅藤貞次郎 著
この本は、野辺沢(延沢)家について説明していますが、野辺沢家の第一の家臣(家老)であった
「有路」家についても、詳しく触れています。
江戸時代初期の最上廃藩とともに、野辺沢家も運命をともにしました。家老「有路但馬守」は、
畑沢に落ち着いたとのことです。
2 【背炙り峠を守る楯】 「南出羽の城」 保角里志 著
旧背炙り峠を含む尾根の一帯に築かれた楯の跡です。戦国期から江戸時代初期における銀山
からの運搬道として、特に重要な道を守る役割を果たしていた「楯」だったのではないかと説明さ
れています。
実際に去る4月8日に現場で見ました。広大な規模でした。「櫓」の跡と同書に書かれていたも
のが写真の中央部分です。周りは、楯のほんの一部です。
どうでしょう。雪が消えたら見に行きませんか。御案内します。
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