金毘羅詣での上陸地点でもあった丸亀港、往事は参拝客で大いに賑わっていたそうです。旧金毘羅街道の出発点であり、琴平の高灯籠まで150丁(約12km)の位置に建っている『太助灯籠』は、丸亀港上陸の際の目印でもありました。
太助灯籠は、江戸在住の人々[千人講]が浄財を出し合って、江戸末期の天保9(1838)年に完成したものです。燈篭側面には、寄進者や世話人の名前が刻まれています。寄進者の中で最高額の80両を出した「塩原太助」の名にちなみ「太助灯籠」と呼ばれているそうです。
太助灯籠は、江戸在住の人々[千人講]が浄財を出し合って、江戸末期の天保9(1838)年に完成したものです。燈篭側面には、寄進者や世話人の名前が刻まれています。寄進者の中で最高額の80両を出した「塩原太助」の名にちなみ「太助灯籠」と呼ばれているそうです。