新居浜市の東平(とうなる)は、約標高750mの山中に位置する赤石山系の山並みを背景とした自然環境に恵まれた場所です。ここに大正5年(1916)から昭和5年(1930)まで別子銅山の採鉱本部が置かれ、銅山関連施設や生活関連施設が整備されてて、最盛期には約5000人の銅山関係者と家族が生活していました。昭和43年の東平坑休止によって無人の地となるまで、山の町として賑わっていました。廃坑となって約50年、東平貯鉱庫・東平選鉱場・東平索道停車場の遺構がいまも残っていて、山並みを背景としたその姿から『東洋のマチュピチュ』と呼ばれています。
少し高台に上がると、新居浜の街を望むことが出来ます。当時、東平で暮らしてた人たちの目にはどのように見えていたのでしょうか?気になるところではあります。
少し高台に上がると、新居浜の街を望むことが出来ます。当時、東平で暮らしてた人たちの目にはどのように見えていたのでしょうか?気になるところではあります。