牛若丸と弁慶が出会った場所として有名な「五条大橋」の近くに「五条楽園」と呼ばれた花街がありました。江戸後期から明治期にかけて七条新地の名で繁栄した京都最大の遊郭地帯になります。京都の花街といえば、「島原」が有名ですが、島原は武家や富裕層を相手にしたもので、七条新地は庶民が楽しむ花街でした。
下の写真は、高勢川沿いに建つ「本家三友」です。地域最大の元お茶屋になります。とても不思議な外観で、屋根がどのように納まっているのか、気になってしまう建物です。ただ、インパクトは強烈で目の前に現れると、圧倒的な存在感があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/39/4cdbb7b34942ae737205b4b6118174a6.jpg)
下の写真は、高勢川沿いに建つ「本家三友」です。地域最大の元お茶屋になります。とても不思議な外観で、屋根がどのように納まっているのか、気になってしまう建物です。ただ、インパクトは強烈で目の前に現れると、圧倒的な存在感があります。
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