唐招提寺境内北東に位置する鑑真和上の墓所です。
鑑真は奈良時代に日本へ仏教の戒律を伝えるためにやってきた唐の高僧です。日本への渡海は困難を極め5回失敗し6回目でようやく日本へ渡ることができました。度々の渡海失敗により失明もしています。平城京に到着後、東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた。その後、天平宝字3年(759)、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置しました。4年後の天平宝字7年(763)唐招提寺で死去した。享年76だそうです。
鑑真は奈良時代に日本へ仏教の戒律を伝えるためにやってきた唐の高僧です。日本への渡海は困難を極め5回失敗し6回目でようやく日本へ渡ることができました。度々の渡海失敗により失明もしています。平城京に到着後、東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けた。その後、天平宝字3年(759)、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置しました。4年後の天平宝字7年(763)唐招提寺で死去した。享年76だそうです。
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