彦根市中心部の北東部に位置する佐和山には、中世中期から近世初期にかけて山城がありました。鎌倉時代・近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされています。以降、六角氏が支配し、応仁の乱後は、家臣の小川左近大夫・小川伯耆守を城主に置いてました。戦国時代の後半に入ると、六角氏の勢力が衰退し、新興勢力である浅井氏が伸張し、佐和山城もその支配に入りました。浅井氏が織田信長に滅ぼされた後、家臣の丹羽長秀が入城。本能寺の変の後に行われた清洲会議で、佐和山城は明智光秀討伐に功があった堀秀政に与えられた。天正13年(1585)、転封となった堀家に替わって堀尾吉晴が入城。天正19年(1591)に石田三成が入城しました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで石田三成は徳川家康に敗れ、その支配地には徳川四天王の一人である井伊直政が入りました。井伊直正は、佐和山城を継承することなく新たに彦根城を築き明治まで当地は井伊家の支配となりました。下の写真は、彦根城から望む佐和山です。写真中央左側の山が佐和山になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/44/b2b407b552d955b742c0ac0b111b4037.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます