おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

伊都高野1

2021年05月18日 23時20分06秒 | 歴史
※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月23日)
 高野山全体を総本山金剛峯寺といい、「一山境内地」とされていました。山内は「奥之院」と「壇上伽藍」を二大聖地とし、人々の信仰を集めています。 奥之院には、墓石群のほか慰霊碑や供養塔などが数多くあり、民族や宗教の違いに関わらず全てを受け入れる寛容さは、高野山が1200年継承してきた精神です。2004年に高野山内の奥の院を少しだけ散策してきました。写真撮影はあまりしてないようで、2枚ほどしか掲載できるものがありませんでした。


高野山奥の院 結城秀康墓所|2004年10月23日おさかな撮影(NIKON E5000)


高野山奥の院 供養塔|2004年10月23日おさかな撮影(NIKON E5000)

▶高野山奥の院
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山550

▶伊都郡高野村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|伊都郡高野村(いとぐんこうや-)
▷伊都郡相之浦村・大滝村・高野山寺内・細川村・西郷村・西ヶ峯村・林村・南村・柏原村・東又村・平原村・杖ヶ藪村・花坂村・湯川村
②町制施行|1928年|昭和3年11月1日|伊都郡高野町(いとぐんこうやちょう)


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