歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

矢口問題を叩く無精子症ども。

2013年11月17日 21時58分16秒 | 日記

昔、親父が読んでいたエロ小説の中に精神鑑定医の症例が書かれていた。

患者は、有名大学を優秀な成績で卒業した女で、何しろプライドが高かった。その女はその時精神病院に隔離されていた。

基本的に行動が全く問題が無いが、ある種異常な行動を行った。それは、夜になると、ふと目をつぶり、オナニーを始めるのだ。

何故か?彼女は、その暫く前に、見下していた男で、多分結婚を求めてくるという男からふられたのである。

最初の入院は、その事実による錯乱であったが、小康を得たら、その有様となった。人目も構わず、夜始まる行為は、彼女曰く

「彼が私を求めて、セックスしたいと思った時に私は空間を越えてセックスに応じているのだ」との事である。

実は、この手の「錯乱」は結構あるものらしく、この女も小生意気なだけではあるが、実は恋愛に弱い、臆病な精神をプライドで

固めて立っていたのだ。それがふられると、一発で精神の支柱が崩れ、哀れオナニー魔に成り果てたのだ。

この様な事は、女性刑務所の中で一晩中オナニーするのが止まらなかったり、精神病院では、自分の食事や飲み物に精子などを混ぜられるなどの性的なものをモチーフとした被害妄想を持つのである。

この手のちょっと変な精神の関係は往々にして性的なものと繋がる。それはフロイトやヤングの精神分析に任せるが、往々にして、人間は

この一般的にはタブーとされる性的なものがベースとなっている事を馬鹿は分からない。いや、馬鹿文科系大学を出て、矢口の行動をこき下ろすような、恋愛体験の貧相な奴等は、無精子症の性欲無しの、却って異常者なのではないか?とも思う。

実は、この手の「ご清潔なバカの集団」は近年に出てきた人類的に異常な存在である。つまり自分だけは利口で上手なのであるという、

様々な歴史の話を知っているものからすれば、歴史上よくいる「利口なつもりのバカ」なのであろう。

そういえば1970年代、何がこんな映画を作らせたのか知らないが峰岸徹と、もう一人有名な女優が主演をした「夢判断とセックス」をテーマとした映画がある。これは、ちょっとマニアな映画だが深夜テレビでやっていた。

その映画では「牛が出てきて夢を見ている女を追いかける」から始まって「牛の角が男性器」と言う事に成り、「足が挟みになり」「最終的に好きな男を攻撃する」となって、結局男も女も両想いだったが、真面目で潔癖な正確だったためにお互い告白できなかったとなっていた。

ただ、その中で繰り返し出てくるのは「表の顔は理性で抑えているだけで、基本的に性衝動で人間は動かされる部分が少なくない」と言う事である。となるとチョングソや虫獄名物のレイプを肯定しないか?となるが、では欧米人は皆レイプ魔か?となる。

イタリア人は最近性的に旺盛ではないが、やっぱり1970年代の欧米人の夜の話をオーラのトンスル色の髪の毛がほざくには「日本人の10倍の精力」と言っていた。やっぱり、それは正しく、その当時のイタリア人の夜の行動は23時から2時までの間との事だった。

事ほど左様にセックスは日本人以外では往々にしてお盛んなのである。

ただし相手の意思を無視してやるチョングソ中国方式もやはり例外なのである。

中島らもの明るい悩み相談室では20代の女の人が親切で海外から来た独り者の60代のおじいさんを案内したら「ラブホ」に入ろうとしつこくされて困ったというものがあった。

矢口麻理が淫売か?と言われたら、そうでしょう。しかし、それは否定されるべきか?とも思う。無論不倫はいけないが、裁判所の裁判官は、それをいけないという人間を鼻で笑うだろう。

矢口麻理を批判する奴らと裁判官が同じ判断をする点は「公の立場としては馬鹿なことだ」ぐらいだろう。そしてもう一つは「自分の本性が、ここまでブレーキが聞かないとは思わなかった」だろう。

矢口の問題は、もう正体は十二分に見せているのに否定も肯定も説明もせずに逃げているのだ。それで「なんとなく復帰」は有得ない。

だが淫売が悪いのか?と言う点からすれば「浮気はするが女房とはご無沙汰」は「まともか?」と言う事となる。思うに、矢口の亭主も矢口をヒーヒー言わせるほど満足させたのか?と言う疑問もある。

ただ一ついえるのは「性の不一致」なのだろう。

体裁を捨てて吹っ切れれば、それはそのネームバリューと実際の当事者として、まぁソコソコの存在意義があると思う。

ちょっと前までKBCのドォーモに性のコンサルタントみたいな存在だった夏目菜々などの存在からすれば、何をカッコウつけて?と思っているのではないだろうか?

計算が上手く、世の中も上手く乗れると思ったのだろうが、大きな誤算が出たのだから、ここはご破算に願うしかないのでは?

それにしても男をとっかえひっかえする女を男が叩くとは妙な時代となったもんだ。


何故中国は1700年まで人口が1億を超えなかったのか?(オリジナル出典)

2013年11月17日 21時29分39秒 | 日記

それは穀物は実りが外目から一発で分かり、略奪しても貯蔵性が高いからだ。

これは一般的に長所とされる。しかし、一方で権力者が人々を抑圧するのに極めて有効な物資なのである。

つまり権力者は穀物を暴力的に引き上げる事が可能だ。だが、芋ならどうであろう?実っているのか?茎を取り外せば外目には

分からない。一方で、そのまま放って置くと、その後栽培が自動的に可能となる。

また略奪してもサトイモ、サツマイモ、ジャガイモ全ての芋は芽がすぐに出て、毒となる部分が多い。また水分が多いので往々にして腐る。

つまりドメインな地産地消を物理的に強制できる食品なのだ。実際、ジャガイモを外国に輸出するのには距離に限度がある。

そうでないと乾燥ジャガイモの様な手間のかかる加工が必要となる。

実は、1700年は中国にジャガイモやサツマイモが入って、生産が一般化した後の結果である。その事をリンクして考えた人間を

私は私以外に知らない。

ノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・セン教授は貧困や飢餓は、経済の流通機構の齟齬によって発生するものであると言っている。その経済の流通も重要だが自衛も重要である。芋の生産、備蓄用の雑穀の生産。これらは技術と言うより知恵である。

この知恵は、何も自分で考え出さなくても結果論として状況がもたらした物である。つまり、こう言う事も言える。

サツマイモやジャガイモが無ければ、中国の人口はアメリカ程度しかない可能性がある。

そして、こうも言える。300年ほど前の状況など、幾らでもぶり返す事が出来る。その時中国は13億が一発であの世行きだ。

中国は大量の人口を吹聴しているが、それは砂上の楼閣だ。どのような浄水システムも役に立たない汚水を放置して、

それで世の中が回ると本気で信じているのか?と中国のバカどもには言いたい。

ちなみに1700年以前の中国は最大で1億、最小では3000万をきっている。この1億から3000万への減少は、僅か数十年、

もっと言えば30年以下で落ち込んでいる。年間死亡率が10%内外と言う信じられない状況がある。中国は、4000年の歴史で何度も

それを繰り返してきたという事が考古学上検討や書類の記録により大体分かっている。

と言う事で、今の中国は、どんな状態か?考えてみてはどうだろうか?


高級食材「海苔」を庶民に普及させた徳川家康(Diamond on line)

2013年11月17日 20時50分05秒 | 日記

この記事によると、海苔がよく食べられるようになったのは、江戸時代であり、そのときも、まだ高嶺の花だったとの事。

この江戸時代の魚を養殖するための生簀のひびに入って増えたのりを使っての事だったのですが、海苔の大量養殖は

明治以降になってイギリスの藻類学者であるキャサリン・メアリー・ドリュー女史が海苔の胞子の育ち方を発見してからの

事で、今の海苔を安物として扱うのは、本当に愚劣な事です。また、この様子から見れば、チョングソのトンスルを混ぜたチョンの

海苔的なものは、やっぱり日本のパクリの捏造だったという事です。何故ならドリュー女子が海苔の生育を伝えたのは

九州大学の教授だったのです。

しかし、明治時代は、海苔、トマト、椎茸、ジャガイモ、玉葱、キャベツなどなどの今の食卓の重要な脇役を次々作り出している。

実際、それまで鰹節も醤油も味噌もあったが、この3つも室町時代から江戸時代の生産物。清酒も江戸時代中期、となると、

我々の言う日本的な食事と言うものは、江戸時代中期から明治時代前期に於いて完成したと言うべき物だったりします。

平安時代に完成していそうな海老芋は江戸時代の発明品で、平安時代は、硬い干物と漬物程度しかなく、後は釣ったばかりの魚を

焼いて食べるぐらいしか脳が無かった。平安時代には麺が素麺としてあっただけで、饂飩も一般的ではなく、また蕎麦は江戸時代に

面の形にするぐらいが精一杯でせいろ蕎麦は茹でるとボロボロになるから蒸して体裁をとったもので、とても今の蕎麦とは比べ物に

ならない蕎麦だったりします。

また生卵は、昔の状態ではサルモネラ菌の問題は否定できず、世界で唯一生で出しても問題の無い卵の生産国であえる日本は、

フランスの高級料理店でも食べられない生卵が安い朝飯にでも出てくるのです。

5年ほど前、鳥インフルエンザ問題で浅田農産が倒産しましたが、浅田社長があんな事までして秘匿しようとしたのも、あの設備を見れば分からないでもない。

日本は、徳川家康とそのお抱えの魚業者や、法師がもってきたり作った味噌や漬物、ある学者の発見と情熱で探し出したものなどの、

ある意味一生をかけた、或いは、何気なくという様々な方向からの努力と思いと、固執で作り上げられたものであると、本当に、

この分野に関しては、名も無き、いや我らが名を知らない英雄が活躍していたのです。それが、どれほど我々の生活に平安と豊かさを

与えてくれたのか?毎度毎度、驚き、呆れて、その重厚な文化に、本当に感心します。

我々を守ってくれる神様は、毎度毎度の食事の中に隠れて見守ってくれているのです。ああ、何て素晴らしい日本。