今日のプロフェッショナルを見ていて、この人の画力をふと思った。
画力という意味では安彦良和や星野之宣と言う、おっそろしく線が少なくて質感を出す描き手が居る。
それに比べると宮崎駿の絵の描き方は、私のそれと似ていて線が多く、修正が多い。これで、あの大作を作っていたとは、それは疲れるだろう。
妙にクラフトワーク感を感じるあの画は、ただひたすらイメージを追い求めて手を動かした結果のものであると分かった。そりゃ握力も無くなる。
顔を構成するのに30本もあれば綺麗に描く安彦、星野とは違い、十倍は手を入れているのでは?と思う。
服を畳む姿をスケッチする画を見て、何とも荒っぽすぎる画だなと思った。思えば、この人は大学の時にアニメを見て感動してアニメーターになったと言うから、画を本質的に描いていた人ではないのだな?と思った。
ただ、それは安彦良和も同じで、結構行き当たりばったりでアニメーターになった人だ。ただ、この人の絵は本当に線が少なくて描く人だ。
また宮崎駿がパステル、水彩絵の具とすれば安彦良和は、ざっとクロッキーをして油絵を塗るタイプで、何とも質感がする絵を描くのだ。フェルメールの様な光彩を描く安彦良和に比べると、宮崎駿は、ともすれば画力として低く思える。
しかしアニメとして出てくると、これが妙に厚いのだから、やっぱりマジックがあるんだな?と思う。
それにしても、宮崎駿と大友克洋は、何故そこまで描き込む?と思うほど「モブシーン」が好きだね?毎度毎度、丸ペンや、ロットリングペンを使って、馬鹿かと思うほどの手の入れ方だ。
実際二人とも腱鞘炎の常連だったりする。原稿は、大体1枚ナンボであって、幾つ線を書き込んでも値段は変わらない。宮崎駿は自分の漫画の上がりを殆ど考えていないようで、風の谷のナウシカは、何時まで経っても値段が変わらなかった。
でも、本当に命を刻み込んで描いていたんだな?と思う番組だった。
引退したら呆けるかな?いや、そんなおっさんではない。
私としてはモデルグラフィックでよくやっていた糞みたいな薀蓄の話が好きだ。何故か知らないが、この人は第二次世界大戦のイギリスの飛行機が好きで、ホーカタイフーン(ヤーボと彼は言う)が好きで、やたらと濃いヤーボ談義をしていた。
その時宮崎駿は結構楽しそうで「ワッハッハ!」を連発するのである。
ドイツのめっサーシュミットMe109のスピナー(先頭のプロペラ回転軸をカバーする風防)を「付けても付けなくても変わらないだろうけど、あのチンコの皮みたいな奴を付けたがるのがドイツ人の謹厳で馬鹿なところだ。そこをつけないアメリカのF6Fの方がよっぽど大人だ」なんて話をする。
何時か、ニコニコ動画で、馬鹿の寄せ集め企画として、トンデモ兵器を宮崎駿と語るってのは「たぎるネタ」だろうと思う。
宮崎駿を見ると「マニアな俺も生きていて良いんだ」と思える。
私は私で濃いネタがある。今は江戸時代の経済学に嵌っているし、何より世界経済の未来を見る上で重要な情報である事は日銀通貨研究所のレポートに釘付けの世界のウォッチャーと同じである。
ただ、江戸時代の世界を見ていると、それ以外の世界が見えてくる。経済、特に通貨経済の日本の独自の発展と共に、室町ルネッサンスで通貨経済の発展と共に日本の食生活の発展が始まる。
それは日本的な食事が実は江戸時代の中期後半から、明治初期までの間に出来上がったことだ。平安時代の食事は原始人の食事と大差ないのである。
また、それは世界的にそうで、世界の食事の大改革はルネサンスから始まり、大航海時代、そして、植民地主義の展開と共に広がっていったのである。
だが、その時にアフリカの食文化が殺されていった。特に今のアフリカの状況はユダヤフリーメーソンの歴史捏造の最たるものである。アフリカはルネサンス前の500年以上前は立派な国が多かったようなのである。それはコプト教のアフリカの寺院を見れば分かるものである。
一枚岩を削りに削って、三階建ての教会を作った技術を見れば、それは文明の低い国とは思えない。それを果たして、どの程度の人間が知っているだろうか?
またコプト教はローマ帝国で国教となる前のキリスト教の分派であり、ローマ帝国にキリスト教が受け入れられなかったら、キリスト教のほぼ唯一の存在形態となった所である。
ちなみに今混乱中のエジプトはイスラム教が7~8割で、残りはほぼコプト教徒つまりキリスト教徒なのである。
と私の話は、経済の話から、宗教の話と飛んで飛んで飛ぶのである。
そんで、今、室町以前の食事も興味の中心である。驚くのは、栽培野菜として、外来種としては里芋の次は蒟蒻芋ぐらいしかなかった。残りは牛蒡ぐらいで、それ以外の野菜は室町時代以降に入ってきたのだ。
その一方で、エジプトはピラミッドを作っている時代からアブラナ科の野菜を中心として野菜をやたらと食っていた。我々の食べている野菜の多くは3000年前からエジプトで食べられているもので、日本人は殆ど野菜は食っていなかった。食っていたのは野草だったのだ。
麦は、西アジアの主要作物で原種もイランからイラクの北部が多い。それから東欧までが、各種麦の原種の取れる所だ。そして2000年前に、穀物の大進化の一つである。小麦が樽穂小麦と二粒種小麦の合いの子で生まれた。穀物の大進化のもう一方トウモロコシは、まだ原種のままで、今の五分の一も取れなかった。
またネパール付近に原種を持つ蕎麦は、結構経たないと広まらなかった。だが、広まると凄まじいもので、寒く、土地が痩せている所では、蕎麦とジャガイモが定番である。
実は、蕎麦が伝来したのは日本もヨーロッパも同じぐらいのころである。実際、よく勘違いする馬鹿ばっかりだが、パスタの多くは蕎麦を使ったもので、大体、パスタは小麦を練った物というのだが、例外として蕎麦を練った物も入る。北イタリアでは蕎麦なしで料理は語れない。
って、宮崎駿の話だったよね?