某関係者から「市や県から金が出る案件で○○○○作りにIoTって言われているんだけど…。」
突然の問に私は思わず回答した。「へ?温度や湿度を測るぐらいしか無いですよ?どうせ作るのは人手なんだからマイコンやセンサーの出る余地はないですよ?」
「いやぁ〜今年のアイテムには載らなかったけど、来年なんか考えようかと思っているんだ。」
と妙な意欲を見せている。
「○○○○作りにIoT」とは、例えば「野菜の水やり」「日照管理」「病害虫防除」みたいな農業の方が圧倒的に役割が出てくる。例えば「雑草刈り」なんかも小豆に出来る。
そうではなく伝統の「○○○○作り」は製品が単純な分、その途中の慣れと手技の洗練がメインである。
IoTは「野菜の水やり」「日照管理」「病害虫防除」「雑草刈り」などは出来ても「摘果」つまり収穫をするのは難しい。その一番の例はイチゴであり、最近は収穫する実を、収穫前に集めるのだが、例えば今も胡瓜や茄子は、生え方に合わせて鋏を入れるしか無いが、それが難しいのである。
この様にIoTを使うと言われても得意分野を外されると、人間のような応用性は低いのである。
だが、この話は続きがあって、此処は日本でも珍しい年間通じての生産で、ある時、急に需要が増えた時、突発の商売に対応できたのは、その市の製品だけだった。「売りそこなった」と残念がるが、それはIoTでも、どうにもならない。
これを営業チャンスと考える場合、営業の人間を増やし、市場調査を小まめに行い、経営会議生産会議を行う事が重要だろう。また、前回の需要発生、その需要伝達過程、そして、生産増でも間に合わなかった原因調査こそ必要だろう。
それは別に「データ分析学」或いは、「機械学習」「ディープラーニング」のテーマとなるものだ。だが、これら「データ分析学」「機械学習」「ディープラーニング」の効用を知って貰うのが一苦労である。
昨日(2020。9・29)の文化人放送局で「デジタル庁」にサボタージュする尖兵として「警察」が出てきて高橋教授が口汚く罵った。
「役人なんてデジタル化を馬鹿みたいに怖がって、全く理解しない。本当に原始時代のままだよ。交通の啓発ビデオをITで見せないのは日本だけだ。何処まで役人は馬鹿で役立たずなんだ!」と相当なものである。
こちらは、某関係者同様新しい技術は自ら首を突っ込んで嫌われものになるのだが、だからどうした?ってなもんだ。だが役所の「馬鹿集団」は洒落にならない。実務を考えても、この馬鹿は後々日本を侵食するんだろう。こっちも「サイレント・レフト・ビハインド」(静かに世界から取り残される)として、多分「サイレント・インヴェージョン」より始末に負えないだろう。
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