フランスが先頃「エボラ出血熱収束宣言」(ここ笑う所)を出した。
このエボラ出血熱はコンゴなどのアフリカ中部が出処だったと思うのだが、例の1980年台にあってツチ族フツ族の大量虐殺で広まったらしく、それが第一波の感染の波だった。(と思う調べてないし)
そして、南下してザイールなどに移動して、南アフリカ直前で止まっていたのが、一昨年、それが西アフリカに飛んだのである。
まぁ感染症なんかを気にする向きは少ないが、私はその類で、もう死のうかと思っているが、まぁ死ぬまで、この癖は消えない。
さて、この移動は何故か?どうも「ボコハラム」と関係があるんだろう。
もっと言うとリビアを潰してアフリカの危ない安定を崩したのが元凶だろう。
リビアにはマリを中心として北アフリカの傭兵を大量に雇用しており、それがリビア崩壊後、着の身着のまま逃げ出して、一年ほどサボっていたら、何かやろうとしてアルジェリアの日揮関わっていたプラントを攻撃し、気前よく人を殺して回った。
この後フランスは、問題の根深さとまぁボロ儲け路線に酔っていた馬鹿が事実の深刻さを思い知った。
それにしても不思議なのは、最低でも2000キロ最大で5000キロの間をワザワザ、エボラウイルスを運んだのか?である。
がっこうの、ウソ調教にハマっている馬鹿は、フランスがまだ、自由貿易をやっていて、平等と博愛に燃えていると思い込んでいるようだが、実際、フランスはほぼ独裁制に近い植民地主義を今もやっている。
最初日揮問題でアルジェリアの掃討に向かったが、これがリビア傭兵はおっソロしく強くて、バンバン逃げ出し、それから、まぁ前からやっていたボコハラムと連合して、フランス軍を撹乱している。そしてエボラが付いて回ったのである。
このエボラは、未だに宿主が不明で、対策のしようがない。また媒介動物が居るのか?とにかく、対ゲリラ作戦をやりながら対ウイルス対策は殆ど効果がなく、基本的に西海岸シェラレオネを中心とした端から、マリ共和国やセネガルなどの中央から北部の西アフリカだけかと思えば、どうも南下したのだろう、ガーナ、ギニア、コートジボアール、ベナンを撫で斬りで感染が広がった。
もう最初の1週間でフランスの包囲、隔離が失敗したことはWHOやCDCなどの見解を待つまでもなかった。
ただ、フランスは、この地で、フランスの糞バカヤロウは不平等貿易で、ボロ儲けを考えているが、それが出来ないのである。
ソブリン債やシリア問題で遊んでいる間にフランスは、先ず西部アフリカの支配権と秩序を完全に失った。
そして、また馬鹿が自分の利権を離さない。その結果、毎度出てくる
「フランスが先頃「エボラ出血熱収束宣言」(ここ笑う所)」を出した。って奴が出るんだけど、多分、また事しか来年にアフリカでエボラが出てくるだろう。
フランスといえばパスツールの国で検疫先進国の筈だったが、これが面目丸落とし。そして特効薬が富士フィルムが作った薬と来ては、北里柴三郎がせせら笑うだろう。
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