歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

誰も言わない基本的原則「経済は戦争を好む」戦争を好まない経済が狙うものは?

2010年05月21日 23時11分24秒 | 日記
おや?またPVが増えている?興味があって見てくれているのか?それとも「監視者」増の事なのだろうか?(これって麻薬患者の強迫観念?)まぁ昨日は「適当に」のつもりが7000文字。へへへ、やっぱりダメですなぁ~。ついつい冗長になりまして…。

こういうの迷惑ですよね…。でも、そうすると推敲に時間がかかって…。本当に物書きの人の偉さを感じる(村上フィラリアを除く)。GHウェールズって(宇宙戦争とか火星人来襲ってSFの大家ですが)人は殆ど一度書いたそのままが出版されているんだそうで、凄い人は凄いんだなって思っています。

中国では、これに類する人として阮籍って人が居まして、この人も達筆の詩や文章の名人で、酔っ払って書いたものが、名文名筆として知られています。(三国志の竹林の七賢として有名です。)まぁ他にも李白や杜甫とかも居ますがね。(杜甫も「とか」って言われたら立つ瀬無いな。ちょっと反省って、このちょっとがいかんのね)

さて、ネタが無いので、ってあるにはあるが、ちょっと古臭いので、どうしようと思っているので、別の事を書きましょうか?「300」って映画(ギリシアのスパルタとペルシャの戦いを描いたもの)がありましたが、あれが放送されるのは、今秋、「アレキサンダー」って映画が封切られるという事も全く関係ないわけじゃない。

(ちなみに、この時のペルシア帝国の王は、その名を「アルタ・クセルクセス」といいまして、ついこの間まで「笑っていいとも」のアルタは、ここから名前を取っていたと思っていました。ははは。)

このアレキサンダーは、色々な伝説があって、まぁ若くして戦争と国家運営に才覚を発揮し、大帝国を築き上げたのですが、アレキサンダーが若死にして、分裂しました。その一つの帝国として後のクレオパトラを生む「プトレマイオス朝エジプト」が出来ます。

それはともかくとして、このアレキサンダーは若い時から、アリストテレスから教育を受け知的とか、モーホーとか言われて、大体子孫を残すのに熱心じゃなかったとか、まぁありましたが、皆さん、ちょっと疑問に思いません?

何で征服したのか?

理由は「そこに国があるから?」だけど、何故インドの東まで攻めたのか?

やっぱり「国がある」からで、その情報はどこから?

商人からです。

人類の文明は12000年前頃から発生しています。中国やボガズギョイ(トルコ)とかシリアとかに耕作跡が残っています。国家は5000年ぐらい前から発生していますが、商業と言うものは3000年ぐらい前に発生しています。

ミノス・クレタ文明とか船を使った貿易により巨利を得た人々は商業に希望を見たようです。この商人は偉い目に遭っていました。その当時、色々な国がありまして、まぁ国家としての体を成してはいないのですが、商人を襲い、モノをとる盗賊は掃いて捨てるほどいました。日本だって江戸時代中期まで、半農半盗賊という物騒な所が多かったのです。

そこで、統一した国家による統一した秩序の設立を望みました。それを理解してやろうと言ったのがアレキサンダーでした。そう「戦争」は「経済」によって引き起こされるのです。戦争と経済は切っても切れない絆で結ばれているのです。

大体、日本で通貨が使われ始めたのは今から500年ほど前からです。それ以前に寛永通宝とか富本銭とかがあるという向きがいますが、それは「実態」ではなく、米、着物、砂金、その他モノが価値として普遍的に言われているだけで、貨幣は、さほどの流通が無かったようです。

ここを断言できないのは、万葉集に「旅館」の記述があります。「旅館」は通貨流通が無いと、成立し得ないのですが、実際、一般人=農家は殆ど貨幣を使っていません。それが一般的に使われるようになったのは、戦国時代があったからです。その引き金は、鉄の生産がある程度以上になったと言う事だったと思われます。

鎌倉時代、荘園領主は鍬の先端に鉄を使った「最新式」を持っていまして、自分の荘園の耕作にのみ使っていました。その結果、荘園の生産性は高く、農民のそれは弱かったのです。それを一般的な鍬や鋤に鉄を使えるようになって、「余剰生産物」が出来るようになったと言うのですが、この頃は「シュぺラー極小期」と言う太陽活動の低下期だったため、不安定な状況になりました。

それで戦国時代になって、兵糧を確保する必要性が出てきました。実は、この戦争を始めた頃はさほど取れなかったのが、戦争中は結構取れていて、そして平和になって取れなくなった。シュぺラー極小期は1400年から1500年まで、100年無かったのですが、マウンダー極小期というものは1500年から350年ぐらい続いた奴で、って事で、江戸時代はマウンダー極小期の間あったといっても過言じゃない。農作物がよく取れたのは1500年代ぐらいでした。

金良く使われるようになったのは、日野富子が、通行税として取ったのが最初で、その後「応仁の乱」と呼ばれる事件が発生して乱れるのですが、兵糧確保に金は実によく使われました。また金が流通する事で武器となる鉄が大量に手に入りました。鉄は国内生産もありましたが、中国や朝鮮から輸入と輸入業者による海賊行為で、大量に入って来ました。つまり、その当時日本は「困ったちゃん」だったんですね。

貿易は一般的ではなかったけど大陸に近い博多や神戸付近に昔からありました。昔って言うと、本当に紀元前ぐらいからあったんですね。何とはなれば邪馬台国の卑弥呼や福岡では「漢の倭の那の国王」の時代から中国には行って来ています。

日本の貨幣流通は、この戦国から始まりましたが、ヨーロッパと言うか今の地中海沿岸には、この頃から世界最初の通貨「エレクトロン貨」が鋳造されました。ですが、この頃には中国にも通貨が発行されていただろうと思われます。

エレクトロン貨は、綺麗な模様が彫られていましたが、中国の貨幣は、刀銭とか荒っぽい鋳込みの貨幣で、欧米のそれとは大きく異なるものだったりします。これは日本も同じで中国がきちんと鋳造をするようになった後で、室町時代、資本の増強が必要な時代、丸に穴の開いただけの金属の塊が、きちんとした鋳造の銭と同じ価値で流通していました。(後に、古い汚い貨幣は鐚銭「びたせん」と呼ばれ1/4の価値で取引されます)

この頃明らかに中国とヨーロッパは連携していました。ローマ帝国の勃興は、秦王朝や大漢帝国と同期しており、戦争についても兵法が整った時期はほぼ同じです。先程の「300」は最後「プラタイアイの戦い」の直前で終わります。

この「プラタイアイの戦い」は、後にナポレオンが好んで使った戦術「斜線陣、右回転包囲戦術」が取られた戦いと記憶しています。この戦術は日露戦争の「奉天会戦」で使われ左翼の「乃木希輔」少将だったっけ?が敵陣深くに入り、見事右旋回を遂げて、ロシア軍を撃退しました。

他にも哲学がギリシア・中国がほぼ同時期に出来て、それは今に到るまで、見事な知の果実となって残っています。例えばローマ帝国の中央集権体制は、中国でも呉起や商鞅により唱えられ秦で韓非子により強力に実行されました。ただ、異なるものも多く、ギリシアのデモクリトスやヘロン(ちょっと時代が違うけど)のような人は中国にはおらず、逆に中国の孔子や老子、墨子、管子(古代のジョン・メイナード・ケインズと私は呼んでいます)は、ギリシアにはいなかった。

大体3000年ぐらい前に、中国とヨーロッパは繋がった。この頃ってゴーダマシッダルダ(朝鮮のクズ野郎が韓国出身とほざくが、そんな事実は無い。仏教の始祖。仏教が国教でもないのに、何でこんな見え透いた嘘を平気でほざくかな?)が生まれて仏教が出来たし、歴史上の色々な事は、実は、妙にリンクして発生して変化しているのである。

(トリビアを言うと「そろばん」や「はさみ」はローマやギリシアが起源である。そろばんはアバカスって言われていまして、ローマが起源です。はさみは、中央の支点を中心に回転する奴はローマ式、すずめの舌を切った裁縫の糸切りはギリシア式である。日本では江戸時代中期まで、そろばんは使わず算木を使っていた。この算木は中国がオリジナルで、元々占いを立てるのに使った道具です。)

つまり「グローバル化」は3000年前から起きてはいたのだ。実は、記録が残っていないだけで、色々と通商があったのは分っている。特に3000年前となると、気候自身が変わっているので、正確な事はわからないが、東海大学が新型衛星の合成開口レーダーを使ったリモートセンシングでアラビア半島の砂漠の下にあるシルクロード以外の交易の道の跡が足跡の遺跡として発見されている。

この交易路としては、海のシルクロードもそうだし、ポリネシアやメラネシアにも海の交易路があることがトンチキ号だったか?で実際に移動できた事が言われている。また陸のシルクロードは、幾つかのルートがあったようだが海より安全だったらしく、かなり長く続いていたようだ。

この陸の北廻りのシルクロードがチンギスハーンを担ぎ出したのだが、理由は、当に隊商の安全と秩序の確立だった。ただ、そんなに大量の物資を動かしたかどうかは知らない。

しかし貿易が儲かるのは事実で、本当に貿易している連中は最初はぼろい商売をしている。神奈川の華僑と言うのが酷くて、年一回親族会と言うのをやるのだが、その主眼は、どの位贅を尽くした会をするか?なのだそうだ。それをやれるぐらい貿易は儲かるらしい。

グローバル経済とは貿易の経済であり、そう言った濡れ手に粟を狙う奴が多いと言う事だ。だが、今の状況はちょっとかつて無い程の問題である。これを話し出すと、日本の経済の話にならざるを得ない。何故なら日本の経済は、今の経済の雛形だったのだ。

中国は3000年以上も前から公益にともなる貨幣流通を行ってきたが、その知識よりほんの350年前の日本の流通の方が「洗練」されていたのだ。これはグローバル経済の教科書にも載っている事だ。これは世界的に認められている。それとも「韓国」がオリジナルと主張でもするのだろうか?

さて論旨がちょっと離れてきているけど続きます。

今の所、シルクロードばかりが喧伝されていますが、それだけじゃない、海の航路は東南アジアとか、インド、それにマダガスカルからアフリカまで広がっていた。この辺りではインド人がメインロールを担っていた(印僑)が、アラビア半島ぐらいになるとアラブの商人となってきており、そこからボスポラス海峡までは、アラブ人が仕切り、それからユダヤの商人となってくる。もっともイタリアのベニスの商人のようなヨーロッパの通商はあっただろうが、長い間、借金の利率が取れない為に、流通自身が非常に微妙なものだった。(それはイスラムも同じなのだが)

長い間、交易は様々な理由によって阻害されており、当に自由貿易になったのは1990年ぐらいだったのだろう。

それまでは、本当に、盗賊が跋扈する世の中だった。グローバル経済の最大の障害は、暴力だったのだ。戦争という暴力によって経済は潤い、強盗と言う暴力によって経済は阻害される。どちらも暴力だが…。

この状況を一番端的に見せているのが海上警備行動の渦巻くアラビア海である。つまり国が、盗賊を管理する役割を担っているのが現状で、そのお陰で貿易が安全に行え、その結果海上移送コストとしての保険をほぼ考えなくて良い状態になったから、グローバル経済の利益を上げる率が高くなったのだ。

今は弱くなってしまったロイズ保険組合は、その昔、貿易関係者が集まるコーヒー屋が前身であり、そこで保証の問題について話し合う人間が多かった事から保険業が発生した。ハイリスク・ハイリータンは、この頃の貿易の危なさと暴利から生まれた。このハイリスクは、ある一定の確率でなくなると言う事だった。つまり資本の消失は、この盗賊行動や戦争によって、何時の時代も良くあった。

しかし、そのロイズが守ったのは、植民地貿易である。植民地貿易とは、一帯何だろうか?

元々インドへ船で行きたい、だけど、まだスエズ運河も無い状態で、紅海を抜けるルートが無い状態では、喜望峰ルートを回るしかなく、また、当時でも地中海から紅海へ、一部陸路の載せ替えとか無いではなかったとの事なのだが一般的に無かった。

海路だけで反対側からインドに行ければ?とは当時誰でも考えたものだがナカナカ行えなかった。ただ既にアイスランドの人間がやっていたとの事でコロンブスより遥か前だったそうだ。バイキングの航海術の凄さだろう。ただ喜望峰ルートを見れば分るが、沿岸を見ながらの航海である。それを絶海の只中を移動するのは、本当にあの世への旅みたいなものだ。当時はオケアノスの海とか本気で信じられており、地の底に落ちる気持ちだったかもしれない。

コロンブスはインドには行けなかったが、アメリカ大陸を発見した。そこで彼の地を征服して金銀財宝を本当に沢山盗って来た。このぼろ儲けは、凄まじい勢いだった。

だがスペインが強かったかと言えば、これが実に大した事は無かった。無論アメリカ大陸からかっぱらってきた財宝を使い、国内の森林の大半を使ってアルマダ(無敵艦隊)を作ったのだが、これがドレーク提督率いるイギリスの正規軍・海賊混成部隊に大敗を喫したぐらいだったから弱かったのだ。ちなみに、この時に伐採し尽くしたスペインの自然は、ギリシア・シリア・イースター島・黄土高原よろしく復活していない。

つまり、ここでスペインの富は自然と共に消失したのだ。無論勝ったイギリスも色々消耗している。

この戦いの後にスペインは東回り、イギリスは西回りとなり、どちらかと言うと西回りの方が金回りが良かった。スペインにしてもイギリスにしても、現地人の人権を踏みにじって、原材料を安く手に入れ、製品を高く売りつけるという見え透いた「慶応の夢」ビジネスをやったのだが、それは実に下劣だった。しかし、まだまだイギリスは海を船によって渡るしかなく、大規模な軍隊を動員できる筈は無かった。

実際、喜望峰ルートを渡るなんぞ、そりゃ大したものだった。実際アントニオ猪木の祖父は、ブラジルへ向かう船の上で息を引き取った。最初のオリンピックに日本人が出場したが3ヶ月かかってヨーロッパに向かった。古橋頑張れの古橋さんは、会場につくまでに相当な体力を消耗してあれである。

つまり、中国にしてもインドにしても、丁度この頃、肝の据わったカリスマがいなかったのである。その割には日本の明治維新では、そんな誰が前に立ってと言う事は無かったが、実に良く、個人が動いて戦ったものである。

それを思うと今の民主の「屁みたいな」議員が、今の難局を目の前にして馬鹿面しているのが腹立たしい。

だから植民地支配は、結構危ない橋を渡っての事だったと思われる。結構、お人好しだから、つけ込まれて、酷い目に遭わされた感がある。慶応のように「自分さえ良ければ良いんだ」とほざいている奴らが牛耳っていると、植民地支配が実にしやすいようだ。下劣な品性は、外国につけ込まれるのだ。民主・慶応に共通しているのは、この下劣な品性である。

結局、海運力の年々の向上が、支配のやり易さを決めて来ていた。だが例えばロシアのバルチック艦隊は、黒海から日本に来るまでに、相当に体力を消耗していたから、本気でイギリス軍を攻撃していたら、果たしてどうなったか?疑問である。

それにベトナムでさえアメリカを撃退したのだから、ゲリラ戦を仕掛けたら、インドにしても中国にしても、相当やれたと思う。それを出来なかったのは、諦めが先にあったからだろう。江戸時代の幕府が、外国の襲来に対して、何が問題だったのだろうか?それは船の問題ではない、日本と言う国が寄り合い所帯だった事の方が大きい。黒船を買うなんぞ、大した事ではない。

ただ、この少し前までは、欧米もアメリカも大騒動だった。それはヨーロッパ内部で度々発生する戦争の問題だった。イギリスは、陸上戦では、弱かった。大航海時代とか言うが、フランス革命の後にすぐナポレオンによる戦争があった。ヨーロッパはこれで忙殺された。

イギリスも植民地からの利益を戦争に振り向けるのに、おおわらわだった。オランダは、本国が壊滅的打撃で事実上崩壊してしまい、オランダの旗は、長崎の出島にしかなかった時代がある。アヘン戦争も、日本への開国要求も、ナポレオンの戦争が終わってからである。

しかも、イギリスは、スエズ運河が出来るまでは、あの延々と延びる海路を喜望峰航路を使って人・モノ・金を運んだのだ。それほど儲かったのだろうか?レ・セップスがスエズ運河を掘ってからが本当に利益が上がっただろう。

アメリカも日本に開国を要求している暇は無かった。何とはなれば南北戦争である。下手をすると南北に分裂する恐れがあった。

これが、事ほど左様に、富を消失させた。つまり儲ける先から無為に金が無くなっていった。戦争で灰燼に帰したら、豪邸も富を生み出す工場も価値が激減する。そうやって金をかけて作ったものを欧米の連中(に限らないが)は戦争で潰してきた歴史がある。これが小国や地方の民族紛争ならまだしも列強の正面からの戦いである。

年を経るにつれ、貿易の利益は増加するが、その戦争も酷くなった。映像の世紀を見ると、この頃から戦争が酷くなってきた。日露戦争は本当はロシアが勝つ可能性があった。それはシベリア鉄道である。シベリア鉄道になって初めて人々は馬を使わない機械力で人を大量に輸送できる戦いが出来るようになった。(まぁクリミア戦争と言う事もあるかもしれないが…。)

陸上戦力に充分な兵力と必要物資を供給できるようになったのは、ホンの百年前だった。それともう一つ。大きな問題。それは火力の強大化である。

南北戦争で使われ始めたガトリング砲、ホチキス社の自動式機関銃、イギリスのルイス式機関銃(7.7mmの定番マシンガンである。)が出てきて、相当な威力を見せた。鋼の錬金術師で、総統府の屋上への道を2台のマシンガンで守っているシーンがあったが、あれは正解。

7.7mmの重機関銃は幅100m奥行き500mの面にある兵士(立っていようと寝ていようと)殺傷する確率は99.9%だ。ほぼ全滅になる。だから戦車が生まれたのだよ。それ以外にも塹壕戦という形が生まれた。これは塹壕自身が初めてと言うわけではないが、常套手段として使われ始めたのだ。それは長く続く。南北戦争も最後の戦いは塹壕戦だった。

この塹壕戦は、あっと言う間に人をぶっ殺した。この頃から戦争の戦死比率が向上した。それまでは補給物資の欠乏と環境の悪化、風土病による感染など、大体戦闘より病気で死んだのだ。三国志でも、殆どの戦いで、死者の半分以上は病死である。日露戦争では凍死というのもあった。

死亡するということ自身には、差は無いものの人員が効率的に送られるから、結局死者の数が莫大に増えた。つまり送れなければ戦争の規模も大きくなり得なかったのだ。これは富を損耗するより大きな問題だった。何故なら、今まで馬を機械みたいに簡単に作れなかったから大規模戦闘が出来なかったのだが、それが馬から人間に代わったのである。

「欲しがりません勝つまでは」は日本ドメインではなく、イギリスが第一次世界大戦の時に作った標語である。そして、戦争が終われば「生めよ殖やせよ」である。

今も慶応の厄病物体群がほざく「子供を育てるにはコストがかかる」だが、それは払ってきたのだ。そのコストがあるから、富が消失し、金融商品の暴騰がなくなったのである。これは極めて有効な富の分配であり、価格を安定させるものだった。

それだけではない。株式市場と言うか、相場自身は何時の時代もあった。戦争に絡むと、その前後に暴騰暴落があり、その時に、富が失われる。三国志で催州平が劉備元徳に向かって「治乱の道理」を語ったが、実は、それはつい最近も通用する話だった。

このクリミア戦争や日露戦争、普仏戦争などの列強対決の後、第一次世界大戦となった後で第二次世界大戦となった。このくだりは、後に話すとして、第二次世界大戦の後は、独立をかけた戦争が続く、朝鮮戦争、スエズ動乱とかコンゴ動乱、その他、インドネシア独立戦争、などなどが発生し、戦争のネタに事欠かなかった。

インドネシア独立戦争では日本軍の生き残りが実に良く戦い、インドネシアの英雄となった。この様な事をした韓国人はいない。日本人は、インドネシアやブラジル・アルゼンチンで評価されているのだ。

民族独立の戦争といえば、ベトナム戦争だろう。これは本当に富を消失させた。一方で、アメリカの軍産複合体が悪といえば悪いのだが、ここの富の浪費は、相当なもので、悪いといえば悪いが、これが無かったらリーマンショックなどの事件はもっと早く起きたのではないだろうか?

湾岸戦争が2回あったが、石油の流れが若干悪くなっただけで、戦争で物不足になったり、株の暴落はあっただろうか?つまり、戦争によって儲ける奴が金を使ったり、大損をする事は無くなった。そして、その無くなる筈の金は、投資に向かっている。

分るかい?NHKの「すぅ~ぱぁ~せみなぁ~」で竹中平蔵が自信満々に言っていたのは連綿とした歴史上の最大の矛盾を理解しない愚か者の寝言だったのだ。目先の資本の勃興だけを見ているだけの、近視眼的な教養の無い歴史的スケールでモノを見る能力の無い、極めて愚かで貧相なクズの。

利益は、今まで、貯まる事は無かった。儲かれば、すぐに戦争で消費していたからだ。今の危機を作っているのは経済的安定であり、それによって作り出される膨大な利益であり、それを戦争で消費しない「金持ちの為の平和」なのだ。だからと言って「慶応適合理性」を振りかざすだけで、何もしようとしない。そんな平和が長く続くのは異常事態なのだ。その異常事態を経験した民族は1つしかない。日本である。だから日本の経済を今後説明する。

何かと言うとアメリカを引き合いに出す、あの醜悪な厄病の言う事を今後も信じるのかい?朝日?

私は止めないよ。お前達の「恥の記録」に、醜悪な色を増やすだけだから。


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