館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

初エノキ・2011。

2011-02-18 06:19:21 | 山菜・きのこ・釣り
あれほど豊作だった2010年の秋のキノコだが、どうしたわけか、11月になっても、12月になっても「エノキタケ」だけは、お目にかかれて居なかった。

いつもの切り株も何度か見に行ったが、発生は無かった。



それがねぇ、庭に伏せておいた「ハナミズキ」の枯れ枝の回りに発生しただよ・・・

この木は、数年前入手し、相性が合わないかも?と思いつつ「ナメコ」を植菌し、半分は土に伏せていたブツなのだ。(当然、ナメコは発生しなかった・・・)
そういえば、昔、庭のハナミズキが立ち枯れし、そのままにしておいたら、根元から「エノキ」が発生し、5年ほど楽しんだ、記憶が蘇ったのだった・・

ハナミズキには、エノキタケであったか・・・・

しかし、エノキの駒・・・売ってないんだよな~~



かわいいやつだ!

もう少し大きくして、吸い物で戴くのだっ!
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丸真正宗など・ある日の晩酌テースティングノートその158付き。

2011-02-17 06:36:58 | グルメだ!


冬将軍 鍋で助かる にわか主夫。

豚スキヤキ。下仁田ネギタップリ。



ホウレンソウのお浸し。赤い根っこが大好き。



柚子たっぷりの塩辛。




本日は江戸のお酒。

蔵元の口上コピー!

「今から約四百年前、慶長元年1596年に江戸の神田、神田橋付近で、初代、豊島屋十右衛門が酒屋兼、一杯飲み屋を始めました。当時、神田橋付近は、神田川を利用した水運の要所として栄え、多くの武士、職人、商人が集まっておりました。そこで十右衛門は、江戸での草分けとなる白酒の醸造を始めたといわれ、現在の豊島屋酒造の礎となっております。
 昭和の初期、現在の地、東京都、東村山に醸造元として豊島屋酒造を設け、富士山からの伏流水を井戸から汲み上げ、仕込水として用いております。酒造りに好適な国産米を厳選して、ひとつひとつ丁寧に酒を醸し、全国新酒鑑評会でも幾多の金賞を受賞しております。」

こちら、浅草演芸ホールで売ってマフ。

甘い酒だけど、ふくよかな味わいである。水準。




先日、コメントで話題になった東京北区の造り酒屋。その「丸真正宗」。
思いのほか早く、めぐり合った!
オラ、酒に相性はいいらしい・・・

江戸東京博物館の売店では、東京の酒がすべて揃えて販売されていた。

東京都北区岩渕・小山酒造(株)の酒だ。23区唯一の蔵だ。

吟醸香も中々、コクもあってよろし。

水準である。

ちと、大吟醸など試したいかも?

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あかんべ山余話・・これからが問われている。

2011-02-16 06:51:46 | あかんべ山ログ



まったく知らされていなかった。実行委員は実質7人・・女房も知らなかったと言うから、たぶん5人ほどで図ったのだろう。

やられたと思ったのだったが、うれしかった。

30年で、1度も本番を外さなかったのは僕と、音響の関口氏。
ロストのユッコは、病気だったか・・1度出なかった。
関口氏はロストのメンバーであった。脱退を聞いたことは無いので、本当は今でもロストなのだが、2足のわらじは履かない意思がある。
ずっとその音響を守り続けてくれた。館林でコンサートと言えば、一緒にこなしてくれる。よしだよしこさんのコンサートも、太鼓叩きのコンサートも、皆彼にお世話になっている。よしだよしこさんは、そのナチュラルな音作りが好きで、いつも気持ちがいいと話す。

その3人に・・・・感謝したいと、メンバーが大きなペンダントを作って、本番、ステージ上、沢山のお客さんの前で、表彰式であった・・・。

メンバーに抱きしめられるすごさ!分かるかい?





沢山の花も、手渡された。

ずっと支援してくれた、喫茶店のマスターが楽屋まで持ってきてくれたのには驚き、まだ、本番前なので、不覚にはならなかったが、「ちゃんとステージを務めねば・・と、ピンと背筋が伸びた。

そして、ロスト本番が終わって・・袖に向かおうと・・・

もう10年以上も前に、「もう歌えない」と、ロストを去ったSベーベーが、花束を抱え、僕をめがけて進んでくるではないか!!

こちらは、不覚にも、不覚であった・・・・

やめるもののせなかをなんどもみおくってきた。

やめる意思・続く意思・その固い固い意思を溶かして、交わらせる力が、音楽、音楽という文化には有ったのか!うれしかった。

武力に武力で臨んで、平和が訪れた事実が、今の時代・・僕らの生きた時代に有ったか?
差別や、貧困や、弾圧に、非暴力と文化で対峙することを学ぶべきだ。
あのマーティン・ルーサー・キングが黒人差別に、非暴力と音楽と言う文化で対峙し、やがて黒人の大統領を用意する土台を作ったようにね。




これも、参った!参りました!

大人がやっと抱えられそうな大きさの板に、「あかんべ」と丁寧に掘られた、木製のプレート。
大方片付いた会場で、大きなイーゼルに載せられ、会場に残り、最後のコンサートの最後のバラシを黙々と行なうすべての人を見つめるように、南の端にあった。
どうしたの?誰が?と問うと・・・PAの田島君が、記念にと、僕らに贈ろうとしたものらしい・・・
裏方!その裏方たる、土台を支える「プロの仕事」の心意気を見た。

20回を過ぎて、さらに大きくなったあかんべ山は、彼の仕事無しには、正直続かなかったかもしれない・・・

音のクリエーターでもあった彼は、つつましく、決して表に出ることを望まなかったが、このプレートも、彼らしく、そっと僕らに手渡された。

その場で、皆が名を刻み・思いのたけを綴った。
まだまだ、刻むべき人がいて、これから数ヶ月・・持ちまわって、刻んでもらおうと思っている。

あらためて、彼には、感謝したい!

その関口氏とのコラボで生み出された音に、どんなにか、僕らは助けられ、酔いしれただろうか。
僕らロストは、他のコンサートで歌わせてもらうことが時々ある。今だ、あかんべ山の音響を越える、オペレートに出合ってはいない・・・・




あかんべ山の焼印

磨いて、あかんべ山の資料と共に、物置整理し、仕舞った。

沢山の友人に・隣人に、僕らあかんべ山の出演者、スタッフは褒められ、賞賛され、惜しまれたに違いない。

恩返しは、僕らが、この地で、音楽を続けることだと思うのだ。
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物置その後。

2011-02-15 06:33:00 | 生活雑感


子供が小さかった頃大活躍の2段ベッド。もはや、役割を終え、粗大ゴミ化しつつあった。
分解して、部材を物置の棚に再利用の日だった。





それほど広くは無い物置も、壁一杯の棚などで、空間利用すると、思いのほか広い。

こうした場所は地か置きは厳禁!最下層にはスノコを作った。



坊主が良く手伝ったぜ!ノコ・カンナ・かなづち・ドリル・ジグソー・釘の長さや太さの選択・木工用ビスの同様の選択と、感心しきりであったが、現代の子供・・・意外にこうした経験がないのだな・・・と、思った次第。

僕が小学生の頃、新築ラッシュがあって、新築の家で、大工さんから木切れを貰ってきて、船とか、車とか作ったものだが、ゲーム世代とは、遊びの中から生活に必要な技を取得する機会を喪失しているのかもしれないな。ナイフなど持つのは、もってのほかの時代だからね。



母屋からは7~8m離れた物置。
電気を通すには、途中に支柱など必要で、半端ではない、お金がかかる。

母屋の室外コンセントから、電気を引き込み、照明も付けた。

古い散水用のホースに、電気コードを貫通させ、両端を防水加工した。

踏んでもOK!



どこぞのブログで、枝きりのジグソーを見た。

こちら、板の加工用ジグソー。

何かと活躍するのだった・・・・・・
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ひさびさに菜園に立つ。

2011-02-14 06:47:46 | 僕の菜園


これは、2月6日の記録なのだ。

まだまだ春はやってこないのだ。

庭の半分は、凍土となっている。

2月は、タマネギに肥料と過燐酸石灰をあげる月。

やがて、気温が上がり、日差しが早春になると、日1日と成長する。

あまり化成肥料はやりたくないのだが、タマネギは作間が15センチほどなので、利きが穏やかな、低度化成を過燐酸石灰と一緒に蒔いた。

過燐酸石灰は、甘さを増し・貯蔵性を高めるので、タマネギには必須。

撒き時期は、2月中!



一雨欲しいぜ!

この週・・・・雨があると予想し、撒いたのだった。

大きくなれよ~~



この後。数日して、雪三昧!

水分も十分で、やっぱり、季節は移ってゆくのだね。

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