シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

明智神社、西蓮寺をてくてく

2020年09月25日 | 散策

越前で長く過ごした光秀にとって、娘のガラシャも生まれて、第二の故郷と言ってよい越前。

朝倉家の家臣となった時期もありましたが、やがて、信長の家臣、柴田勝家が朝倉氏を滅ぼす。

勝家からの安堵状で、東大味の人達は戦火を逃れ、戻って再び暮らすことが出来た。

小さい社の中に、黒くて小さな秀光公の木像があります。

以下、福ふくガイド引用。

福井市の一乗谷には光秀の屋敷跡は見つかっていませんが、一乗谷から山越しに約3、5km、現在の福井市東大味町に明智光秀の屋敷跡と伝承される土地があり、越前での滞在の最後の短い期間は、ここでに妻子と住み、娘、明智玉子(細川ガラシャ)も誕生したと云われています。称念寺から東大味へ移転し、東大味から朝倉街道を通って一乗谷に通っていた頃が、朝倉の家臣でありながら、足利義昭の近臣として行動、細川藤考(幽斎)に出会い家臣となり、あとに足利義昭、織田信長に仕えるようになった契機だったかも知れません。

この辺は、これからの大河で登場する場所です。

現在、16時。

後は、海岸線でも走って南下を考えましたが、暗くなるし、ラジオで各地の渋滞情報。

おとなしく高速乗って19時帰宅。

明智光秀ゆかりの地、アット福井でありました。


天空の城 越前大野城をてくてく

2020年09月25日 | 散策

越前大野城。

西駐車場からあがりましたが、さすが天空の城。

階段の直登で汗かきました。

霧が出ると雲海の浮かぶ城となります。

以下、観光案内参照。

越前大野城は、天正4年頃(1576)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を守っていました。その石垣は、石を立てず、横に寝かせ、大きい石を奥に押し込んで積む、野面積みという工法で、貴重な史跡といわれています。
現在の城は、昭和43年に再建されたもので、城内には歴代城主の遺品が展示されています。

景色上々。自分の足でこの高さまで上がります。

達成感もあって、気持ちよか。

城下町を模したエリアで土産物屋などがありましたが、また駐車しないといけないので、次へ。


勝山城博物館をてくてく

2020年09月25日 | 散策

勝山城博物館へ。

勝山城とは場所も大きさも違い、あくまで博物館です。

以下ウィキ引用。

江戸時代に勝山市域を治めた勝山藩勝山城には、天守台は存在したものの最後まで天守が造営されることはなく、その城跡昭和40年代にはほぼ完全に消滅してしまった。博物館はこういった歴史遺産の記憶を留めるための象徴であり、模擬天守としてではなく、あくまで博物館としての側面が強調されている[1]

柴田家。最後は秀吉に敗れますが、秀光のように中心に添えて、大河を作っても面白いかも。

ラブリー牧場のソフト旨し。