シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

奈良町をてくてく。

2020年12月31日 | 散策

スタバで休憩。

ミーハーなんで、期間限定のものを飲むけど、名前は覚える気がない。

何とかというミルクティー。

のんびり散策。更に人がいない。自分だけの素の感覚で見ていくけど、古いと言っても新しい。

格子の家も、昔、自分の家の周りにも、あったような風景。

古い看板が少しだけ。

新しい一画。

伊勢神宮周辺や彦根城周辺など、同じデザイナーが手掛けているかもしれないけど、なんだか同じに見える。

外カリッ中アツのいつもの肉屋のコロッケ。

中がジューシーのいつものヨモギ餅。

今日、歩いた周辺。

奈良公園をてくてく。でググると毎回同じ。

そんな奈良公園でありました。


奈良公園をてくてく

2020年12月31日 | 散策

正月は寒波とのこと。

暮れの唯一のお散歩日和。

息子娘はゴーツーなくなっても、約束通りに思い出作り。

大掃除は戦力外通告。家にいても邪魔物みたい。

空いてる電車に乗って、30分。

奈良公園をてくてく。

中華屋さんでサービス定食。

優しく旨し。

東大寺。

誰も、相当な理由がなければ、財政的に大きな負担となる、巨大な建物、仏像を作ったりしません。

天然痘の大流行という大事件がきっかけでした。

以下、ウィキ引用。

天平の疫病大流行(てんぴょうのえきびょうだいりゅうこう)[1]は、735年から737年にかけて奈良時代の日本で発生した天然痘の流行。ある推計によれば、当時の日本の総人口の25–35パーセントにあたる、100万–150万人が感染により死亡したとされている[1]。天然痘は735年に九州で発生したのち全国に広がり、首都である平城京でも大量の感染者を出した。737年6月には疫病の蔓延によって朝廷の政務が停止される事態となり、国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死した。天然痘の流行は738年1月までにほぼ終息したが、日本の政治と経済、および宗教に及ぼした影響は大きかった。

鬼滅の刃の影響で、鬼がクローズアップ。

鬼って本当に山から出てきて人を食うのか。

学者さんによると、疫病なんではないか?とのこと。

見えない恐ろしいものを形に表現して、後世に残そうとしたら、鬼になったと。

何度も東大寺を訪れては、上ばかり見てましたが、ここにも鬼がいました。

両端にいる像の足元。

天然痘を形にした鬼です。

広目天。鬼滅の刃風に言うと、柱の1人。

多聞天。こちらも柱の1人。

続いて2月堂。

お水取り。火の粉を浴びると無病息災。

春日大社は年始の準備で中は参拝できません。

コロナ関係なく、混むのがやなんで、大きなところは年末に参ります。

紅葉に鹿、の写真を今年もゲット。

まだ早いので、奈良町でも・・。