続いて、がまだすドームへ
海岸側から見ると、手前に眉山、後ろに普賢岳平成新山が見えます。
歩いて行ける普賢岳は後ろで見えず。
手前は眉山。
溶岩ドーム。
もりもり成長してはパカッと割れる。人がいないので大きさがわかりにくいけど、なん分の一程度のかけらが落ちると、ボロボロと分解してもくもくと煙をまとって火砕流となる。
岩イコール冷たいイメージですが、それは先入観。
実は何百度もあって、高温のガスも中から一気に解放されるため、ただのがけ崩れではないのです。
時速100kmで通過するので、建物はあっという間に全焼。
噴火といえば溶岩の赤のイメージ。
赤いものが見えないので、土ぼこりだけ?と様子見てしまいそうです。
ジオラマで、何度も発生する火砕流、土石流の様子が時系列的に理解できます。
普賢岳の平成新山だけでなく、島原大変という事件がありました。
手前の眉山の山体崩壊。岩雪崩で津波が発生し、約15000人が死亡。
やっぱり津波が最大級の被害をもたらします。
足元には土石流の後。
積もった火山灰に雨が降っても、すぐに浸透せず、斜めの斜面では表面を流れてしまう。
不安定な岩を巻き込み、木々を巻き込み、土石流に。
火砕流で大きな被害が出た後で避難しているため、人的被害はないけれど、復旧の工事なんか、はじめられたもんではありません。
改めて、手前の眉山を見る。
手前の切り立った崖は、間違いなく、崩壊の後。
でも、ここは海岸ですが、岩雪崩が海まで行って対岸で津波発生までは、想像できない。
ドームの屋上に、東北の津波の高さが表現されていました。
最初、眉山の津波かと思ってみてました。
見渡す限り、この高さをクリアできる建物はありません。
色々あるのに、人は住んで働いて学校行って。
そういえば、関西も阪神淡路の震災があったのに、特に引っ越さずに住んで働いてますね・・。
雲仙普賢岳の噴火のわずか3年後に阪神淡路大震災。関西の人は、普賢岳の印象がそのあとのことで飛んでしまっているのかもしれません。
次に東日本大震災が続いて・・。
年数並べてみると、この3つは、実に近いうちに続いています。
4つ目はできれば100年後でお願いしたい。