お正月にはふさわしくないかな?と思って触れてなかったんですが、大みそかの日にミュージシャンの大瀧詠一さんが亡くなりましたね。
ボクよりも少し上の世代の方が詳しいと思うんだけど、大滝さんと言えば“J-POPの父”というべき存在。
YMOの細野晴臣さんや今は作詞家の松本隆さんと組んだ、“はっぴいえんど”というグループでデビューしたのが1970年。
「初めて日本語でロックをやった」という点で、まさしく伝説と呼ぶにふさわしいバンドです。
その後ソロに転向し、山下達郎さんのいた“シュガーベイブ”のプロデュースなどを担当。
ソロでは1980年にリリースしたアルバム“A LONG VACATION”が有名ですが、個人的に初めて大瀧さんの曲の魅力を知ったのは、
1982年にリリースされた“ナイアガラ・トライアングル Vol.2”という、我らが佐野元春先輩と杉真理氏が参加したコンピレーション・アルバム。
“A面で恋をして”っていう曲を覚えている人もいるかもしれませんが、佐野元春先輩の名前を世に広めたアルバムと言っていいかもしれません。
曲として好きだったのは、若かりしボクのアイドルだった太田裕美さんに提供した“さらばシベリア鉄道”。
何とも言えない哀愁を感じる良い曲でしたね~。
大瀧さんの作品の特徴は、何と言っても“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれるそのサウンド。
楽器やコーラスを何重にも重ねて、音に壁の様な厚みを持たせるところからその名前が来てるんですが、
佐野元春先輩のあの大ヒット曲“SOMEDAY”にも、そんな大瀧さんの影響がうかがえます。
ファンはもちろん日本の音楽界にとって、偉大な人を失ってしまった・・・そんな寂しさがありますね。
という訳で、曲は太田裕美さんが1980年にリリースした“さらばシベリア鉄道”を。
Shin
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=BcHQh6qjyqQ
ボクよりも少し上の世代の方が詳しいと思うんだけど、大滝さんと言えば“J-POPの父”というべき存在。
YMOの細野晴臣さんや今は作詞家の松本隆さんと組んだ、“はっぴいえんど”というグループでデビューしたのが1970年。
「初めて日本語でロックをやった」という点で、まさしく伝説と呼ぶにふさわしいバンドです。
その後ソロに転向し、山下達郎さんのいた“シュガーベイブ”のプロデュースなどを担当。
ソロでは1980年にリリースしたアルバム“A LONG VACATION”が有名ですが、個人的に初めて大瀧さんの曲の魅力を知ったのは、
1982年にリリースされた“ナイアガラ・トライアングル Vol.2”という、我らが佐野元春先輩と杉真理氏が参加したコンピレーション・アルバム。
“A面で恋をして”っていう曲を覚えている人もいるかもしれませんが、佐野元春先輩の名前を世に広めたアルバムと言っていいかもしれません。
曲として好きだったのは、若かりしボクのアイドルだった太田裕美さんに提供した“さらばシベリア鉄道”。
何とも言えない哀愁を感じる良い曲でしたね~。
大瀧さんの作品の特徴は、何と言っても“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれるそのサウンド。
楽器やコーラスを何重にも重ねて、音に壁の様な厚みを持たせるところからその名前が来てるんですが、
佐野元春先輩のあの大ヒット曲“SOMEDAY”にも、そんな大瀧さんの影響がうかがえます。
ファンはもちろん日本の音楽界にとって、偉大な人を失ってしまった・・・そんな寂しさがありますね。
という訳で、曲は太田裕美さんが1980年にリリースした“さらばシベリア鉄道”を。
Shin
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=BcHQh6qjyqQ