クローズアップ現代を見ました。
『「選択的夫婦別姓制度」の議論が高まっている。経団連は夫婦が同じ姓を名乗らなければならない現行制度がビジネス上のリスクになると、政府に「選択的夫婦別姓制度」の早期実現を求めた。一方、家族の絆がゆらぐなどとして制度導入に慎重な意見もある。国はパスポートや国家資格などで旧姓の通称使用ができるよう対応を拡充している。30年にわたって続く議論の現在地を多角的にとらえ、令和の時代の夫婦の名字について考える。』
選択的夫婦別姓(あくまでも選択的)に反対する人の考えが理解できません。
「選択的夫婦別姓」は、本人たちが選択するもので、そこに大きな意味がある。
個人の人権を守る意味でも、男女ともに社会で活躍する現在の社会環境に対応する意味でも、「個人の価値観による判断」に任せる時が来ているのではないだろうか。
家族の絆なんて、家族の構成員が作りますよ。 国に云われなくても・・・。
以前、道徳が「教科」になったことが問題になりました。
道徳指導要領 中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編
そんな指導要領の中で、こんな文章があります。
3 改訂の要点 (2)第2 内容
(エ) 「郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度」。
(オ) 「我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度」。
自国や故郷を見つめる気持ちは生まれながらに持っているものだろうし、大切なことだと思う。
ただ、「愛する」かどうかは、本人の価値観に基づくものだから、強制すべきではないだろう。
「教科」として指導すると云うことは、それが正しいものだと大人が示して行くことだと思うので、道徳の教科化には違和感があった。
社会の変化に抗って現状を維持し続けることが「伝統」と勘違いしている人がいるようです。
夫婦の姓と共に、国を愛するかどうかは本人の判断となるべきではないか。
どうも人の心の中にまで干渉しようとする輩には、困ったものです。
政治家がすることは、「国を愛せ」と命じることではなく、「誰もが愛するような国」を作ることではないだろうか。
日本には100年以上続く会社が世界で一番多いのだそうです。
そんな会社が創立当時と全く同じ形で組織されているとは思えません。
変わるところは変わる、守るところは守る。
守るべきは個人の尊厳で、そこから考えをめぐらせば、選択的夫婦別姓はたいしたハードルでは無い気がします。
なんと云っても夫婦同姓が法律で強制されているのは、世界広しといえども日本だけなのですから。
https://tsunagood.net/couples-same-surname/