時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

サクラサク 2

2006年04月12日 | Bloomingtonにて
(一つ下の記事からの続きです)
もうひとつ、写真のような桜も見ます。撮ったのはアパートの管理事務所の脇。ちょっと枝が下向きに「しだれ」た、日本にもあるタイプでしょうか? でも見つけた限りこのタイプはつねに一本だけ植わってる。ピンク色の桜が見渡す限り連なる、といった風景は見られそうにありません。

さて、今学期もあと3週間となり、レポート、音声学のグループ実験の論文化(われわれは知覚実験をやるのでまだまだ)、最終成果の発表などを抱えて、ちょっと追い込まれてきました。

Minimalist Programを勉強しはじめましたが、私はここまでの印象ではけっこう懐疑的です。とくに「目に見える移動より見えない移動のほうが経済的だ」というのは「ウソ」だと思います。北川先生は、文法システムは文の生成・理解の両方のモデルであり、いずれも同じ順序(Numeration→Mergeなど→Spell-Out)で処理が進むとすべきだとのこと。それなら文理解のコストの高さも問題になるはずだと思います。目に見える移動がない入力をLFのレベルたくさん移動するとしたら、こっちのコストもけっこう高いと考えるべきでしょう。だいたいからして、PFの移動が「目に見える」と言ったって移動処理自体はPFへSpell-Outする前でやってるわけで、これだって頭の中(言語認知部門)の作業です。声に出す(物理レベルの処理)だから負担が高いなんてはずもない。

実際にこの問題をまともに議論すればせいぜい「目に見える移動も見えないものもコストは同程度だ」という結論にしかなりえないのではないでしょうか。「PFにかかわる移動の方が負荷が高い」とすれば説明になると考えるのは、結局Chomskyが音のことは大してまともに考えてないから(だからそっちのせいだと言っておけばいいと思いがち)だとしか思えません。

ともあれ、そのMimimalistに基づいた論文について来週発表せねばなりません。勉強始めます(ヘロヘロ)。