昨日の大晦日、餅つきをしました。写真の臼と杵は両方とも発起人(アメリカ人、日本在住暦あり)の方の手作り。臼は庭の倒木を使って、杵は赤松だそう。もち米もちゃんとセイロで蒸して。杵を扱えない子どもたちも、細い木の棒を持って8人くらいで一斉に。
今年で2年目ですが、今回は参加が多く、もち米を持ち込んだ家族だけで15以上。多くは日本人、または日本人とアメリカ人の夫婦だけど、中国人、イギリス人などのご家庭も。多くの家族にうちのように小さいお子さんがいて、さらにその知り合いの日本人・アメリカ人・・・と合計50人くらいはいたでしょう。子どもは食べる、はしゃぐ、泣く。土間とお勝手の間を、餅や人が出たり入ったり。会場のお宅は大混雑。
子供のころは、年末に祖母の家で餅つきをやるのが恒例でしたが、まだ杵はとても扱えず、伯父や父がつくのを見るだけ。さて大きくなったら餅つき器で済ませるようになっていて、まともについたことがありませんでした。伯父が教えてくれた「杵の重さを下ろしてやるだけ」というコツと、彼らのつき方を思い出してやってみると、意外なことに上手くできて、私のついたのが出来がいちばんよかった。
今年も大成功。発起人の方にも、いつも場所を提供してくださるお宅の方にも、感謝。献身に頭が下がります。
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朝10時から始めて、3時近くになってもまだ終わっていなかったので、残念、というか申し訳ないながらお先に失礼して、Ninaばあちゃんの新しい入居先、隣町、Ellettsvilleにあるケアホームを尋ねました。
施設に入ってみて、正直、ショックを受けました。廊下にぞろぞろといる入居者の多くに生気がなく、澱んだ雰囲気とにおい。アメリカ人、とくにご高齢の人はうちの娘のようなちびを見ると「可愛いねえ」とニコニコ話しかけてくるものですが、ここではせいぜいぼーっと目で追うだけ。不謹慎ながら、ここにいたら「ああ、私ももう長くないんだ」と力をさらに落として、死期を早めてしまうのでは、とまで思ってしまいました。
施設自体も、Bloomingtonでしばらくいたところより古く、職員たちも前のところより覇気がない気がする。ばあちゃんも「前の施設のほうがずっとよかった、でも値段が月$1000も違うから。。」 悪いことが重なることもあるもので、子のいないNinaさんが息子のように可愛がっていた甥のRickさんが、彼女が倒れたころに急に亡くなってしまいました。彼がいれば、ときどきやってきて、元気付けてくれただろうに。
Ninaさんは「アパートに帰れる、と思っていたけれど、無理みたい。妹は私の持ち物を処分し始めていて、それを含めていくらお金が残るか計算しないと。ここの入居費は高くて、今の概算だと3年半くらいしかいられない」と力を落としていました。旦那さんとの思い出の品も、保管場所の都合もあり、ほとんど手放すことになるんでしょう。一緒に暮らしたシカゴにももう行けないだろうし、もうここで最期を迎えることになるのか・・・ 自分の親を入れることを想像したら、ちょっとそういう気にはなれませんでしたが、じゃあ、自分はよりよい選択肢を用意できるのか、考え込みました。
同室の女性がわりと若くてはきはきした人で(糖尿病で足を切断してしまっているけど)、気が合う、合わないはあるにせよ、他よりはいいのでは。家から車で20分弱、できるだけ行くことにしましょう。こんなふうに、我が家の2009年は終わりました。
今年で2年目ですが、今回は参加が多く、もち米を持ち込んだ家族だけで15以上。多くは日本人、または日本人とアメリカ人の夫婦だけど、中国人、イギリス人などのご家庭も。多くの家族にうちのように小さいお子さんがいて、さらにその知り合いの日本人・アメリカ人・・・と合計50人くらいはいたでしょう。子どもは食べる、はしゃぐ、泣く。土間とお勝手の間を、餅や人が出たり入ったり。会場のお宅は大混雑。
子供のころは、年末に祖母の家で餅つきをやるのが恒例でしたが、まだ杵はとても扱えず、伯父や父がつくのを見るだけ。さて大きくなったら餅つき器で済ませるようになっていて、まともについたことがありませんでした。伯父が教えてくれた「杵の重さを下ろしてやるだけ」というコツと、彼らのつき方を思い出してやってみると、意外なことに上手くできて、私のついたのが出来がいちばんよかった。
今年も大成功。発起人の方にも、いつも場所を提供してくださるお宅の方にも、感謝。献身に頭が下がります。
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朝10時から始めて、3時近くになってもまだ終わっていなかったので、残念、というか申し訳ないながらお先に失礼して、Ninaばあちゃんの新しい入居先、隣町、Ellettsvilleにあるケアホームを尋ねました。
施設に入ってみて、正直、ショックを受けました。廊下にぞろぞろといる入居者の多くに生気がなく、澱んだ雰囲気とにおい。アメリカ人、とくにご高齢の人はうちの娘のようなちびを見ると「可愛いねえ」とニコニコ話しかけてくるものですが、ここではせいぜいぼーっと目で追うだけ。不謹慎ながら、ここにいたら「ああ、私ももう長くないんだ」と力をさらに落として、死期を早めてしまうのでは、とまで思ってしまいました。
施設自体も、Bloomingtonでしばらくいたところより古く、職員たちも前のところより覇気がない気がする。ばあちゃんも「前の施設のほうがずっとよかった、でも値段が月$1000も違うから。。」 悪いことが重なることもあるもので、子のいないNinaさんが息子のように可愛がっていた甥のRickさんが、彼女が倒れたころに急に亡くなってしまいました。彼がいれば、ときどきやってきて、元気付けてくれただろうに。
Ninaさんは「アパートに帰れる、と思っていたけれど、無理みたい。妹は私の持ち物を処分し始めていて、それを含めていくらお金が残るか計算しないと。ここの入居費は高くて、今の概算だと3年半くらいしかいられない」と力を落としていました。旦那さんとの思い出の品も、保管場所の都合もあり、ほとんど手放すことになるんでしょう。一緒に暮らしたシカゴにももう行けないだろうし、もうここで最期を迎えることになるのか・・・ 自分の親を入れることを想像したら、ちょっとそういう気にはなれませんでしたが、じゃあ、自分はよりよい選択肢を用意できるのか、考え込みました。
同室の女性がわりと若くてはきはきした人で(糖尿病で足を切断してしまっているけど)、気が合う、合わないはあるにせよ、他よりはいいのでは。家から車で20分弱、できるだけ行くことにしましょう。こんなふうに、我が家の2009年は終わりました。