時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

変わる(?)言語学

2010年01月14日 | 旅行記
アメリカ言語学会@Baltimoreのつづき

今回、参加して感じたことの一つが、「実験的研究が多くなった」ことでした。LSAの報告によると、受け取った要旨の割合を反映した部分があるそうで、実験的研究が行われている数自体が多いことを反映している部分がありそう。

具体的には、音声にかかわる分野では「Experimental Phonology」とか「Psycholinguistics: Phonology」とか、「音韻論」という括りだけど実験的・定量的な研究のセッションがたくさん。逆に、「Formal Phonological Theory」というセッション名もあってニヤリ。前なら「形式的」とか「理論的」なんて言わなくても、ほとんどそうに決まってたはず。いわゆる「無標」だったものが「有標」に変わってきたかと。

理論的な部分にしか興味がないと公言するうちの学科長(Davis先生)ですら「今後、音韻論は実験・定量的研究か、数理モデル研究(Albrightさんとか?)かのいずれかになっていくだろう」と言うくらいだし、Phonology(学会誌の)でもそういう論文が増えてるし、この流れが止まることはなさそう。実験屋としては歓迎。私の発表も、「Perception/Acquisition of Phonology」というセッションに入れてもらえて「OTの研究、一つもないんですけど、『音韻論やってます』って言っても、いいですか?」という気に少しなってきました(ウソです)。

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構文論のほうでも、「Psycholinguistics: Syntax」とか「Acquisition」とか、やはり実験的・定量的な研究セッションが多数。その一つに出てみました。UCSD(サンディエゴ)の研究グループは、文の「容認性(Acceptability)」について検討してるらしくて、その一つの発表が「作動記憶(Working Memory)の大きいグループと小さいグループで、容認性の与え方のパターンが異なる」という結果から「容認性は記憶の負担の大小を反映する可能性がある」という結論だったので、「おや!」と。

「つまりあれかい、容認性は、文処理の困難さ(等々)を反映するんであって、文法性のチェックにはならんと、ついに認めるんかい!?」と思ったので、そういう趣旨の質問をしてみると。。。答えは「容認性は、言語知識を探るための「道具」で、話者にどんな操作・情報を与えるかによって、話者から得られる情報は異なってくる部分があるだろう」というようなことでした。ほぼ全面的に同意なんだけど、だとすれば、文構造を論ずる(ために文法性をテストする)データとして容認性は信頼できない、ということが明らかになってきた、ということだと思うんだけど、こっちの流れはどうなるんだろうか。

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写真は、Baltimoreのホテル近くの通り。こんなふうに、やや古い建物が多くて、けっこういい雰囲気でした。