時々雑録

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アメリカに来た理由 -ベロニカの場合-

2007年05月22日 | Bloomingtonにて
ベロニカ(仮名)はイタリア北部の小さな都市の出身。まだ二十歳。あるプログラムを利用してアメリカに来ました。今はBloomingtonのある家庭に住み込み、そこの3歳の子の面倒を見て収入を得つつ、昼は地域の運営する成人教育のクラスで英語を勉強しています。以前、取材にうかがったMonroe County Community School CooperationのESL(English as a Second Language)に通ってもう一年です。

ベロニカ(仮名)はもう6歳の頃から「将来はアメリカに住むんだ」と言い続けてきました。周囲は真剣に取り合わなかったのですが、ベロニカ(仮名)の意思は変わらず、ようやく彼女が本気であることに気づいたときには、この労働・教育プログラム受け入れを決めてきていたそうです。

イタリアの教育が嫌いで大学になど行く気はなかったベロニカ(仮名-もういいですか・・・)は、アメリカに来て大学に進みたい気持ちに変わりました。絵がとても上手く芸術系を考えているよう。「芸術だったらイタリアだろう。日本人の多くはアメリカなんかじゃなくてイタリアに行きたがるよ」と言うのですが、ベロニカに興味はありません。サッカーも嫌い。フットボールならアメフトが好き。華奢なイタリア男は対象外。マッチョなアメリカ男を夫にしたい。でも「若いアメリカ男はパーティのことばっかり考えてるバカが多くてダメ。遊んで英語を勉強するために付き合うだけ」だそう。

ベロニカの今のホストファミリーはイタリアに移住することになり、この8月、新たに見つけた受け入れ家庭の住むカリフォルニアのSan Diegoに行きます。でも本当は友達もいて、人も親切なBloomingtonが好き。1年過ごしたら帰ってきて、できればインディアナ大学に入りたい。イタリアに戻るつもりは・・・更々ありません。大好きなお父さんのことだけが気がかり。

ベロニカが利用したプログラムを使って、同時期に南米・欧州などから多くの人が渡ってきました。月に一度インディアナポリスの集会に参加する義務があるそうですが、イタリア人は彼女だけ。ベロニカはたぶんふつうのイタリア人ではありません。祖国の社会や文化に興味はなく、アメリカにずっと憧れをいだき、その夢を実現させる途を邁進しています。

私が日本を離れたのにもそれなりの理由はありますが、アメリカに対する憧れはありませんでした。食べ物も映画にもアメフトにも、いまだに興味はありません。最近、深夜の「ゆるい」TV番組が面白いことに気づき始めましたが。2年暮らした現在の印象は、「住み心地はいいけど住み続けるべきところではない」。そんな私も、ついに「アメリカ大衆文化の象徴」である「あの場所」に行くことになりました(泣)。それは、フロリダ州Orlandoにあります。旅行記を記事にするつもりでいます。

写真は春学期が終わってすぐにIUの庭園内で行われた「中世フェスティバル」で売っていたターキーの腿。ばっちりいぶしてあって、スモークハムのよう。現場でもちょっと食べましたが、持ち帰ってきて5日間くらいもちました。$4.99。フェスティバルは中世の騎士に扮した男たちの戦い、鍛冶屋、手品師、呪術師、愛と呪いのポーションの作り方を売るお店、など、凝っていてなかなか面白いものでした。残念ながらその写真はありません。

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