先日、NPR(アメリカのラジオ局)のPodcastで、東北の大地震以降しばらく日本に滞在した記者の談話を聞いたのですが、その一人が「日本の文化の違いを感じた。彼らは当局が『危険のレベルはこれこれこの程度です、差し迫ったものではありません』と発表したら、基本的にはそれを額面どおり受け取って行動する。わが国との大きな違いだ」と驚き(とたぶん敬意)をこめて述べていました。アメリカなら、不信・陰謀論等が巻き起こり、収拾がつかなくなる可能性が高い、ということだと思います。日本人は恐怖や不満がアメリカ人に比べて明瞭になりにくい(あるいはアメリカ人には受け取りにくい発信の仕方をする)、という表出レベルの差もあるのでしょうが、基礎的な教養レベルの高さや、行動の秩序正しさも反映しているのではないかと思いました。
ところで、いつも読んでいる小田嶋隆さんの日経ビジネスオンラインのコラム、ここのところ地震関連の記事が続いています。先週の記事は「この「風評」の半減期はどのくらい?」というタイトル。頭と終わりはその通りだと思うんですが、コラム半ばで、「風評に踊らされる庶民を露骨に軽蔑する」専門家の態度は、「恐怖」に対する無頓着さを表す、として
目の前で議論が紛糾しているタイプの学説や、解説する人間の立ち位置によって
意味付けが180度変わってしまうデータをもとに、安心立命を得ることは、少なくと
も理系の学部なりで専門的な訓練を受けたわけでもない一般の人間には不可能な
仕事だ。とすれば、特に科学に明るくない者としては、とりあえず大きめの安全係
数を確保した上で、過剰にこわがっておくのが精一杯の知恵ということになる。
これは、決して「愚かさ」と決めつけてほしい態度ではない。
と述べるくだりには疑問を持ちました。
「風評に踊らされる愚民」が本当にいるのか知りませんが、そういう人の行動の影響で被害が出ているなら、被害を被るのもやっぱり(専門家も含めた)「一般の人間」でしょう。このコラムでは魚が例に上がっていますが、被害を受けている漁民の中にも、別の風評被害を生み出した人がいるのかもしれない。風評被害を作り出すのも、その被害を受けるのも一般の人間。原因も迷惑も同じところで回るだけであって、専門家が「風評被害」を生み出すわけではない。(もっともそう強弁する人はいるのでしょう、情報の与え方や態度が悪いとか)。「愚かというな」と怒ってみても、「お前たちの言うことなんか信じられるものか」と風評に踊らされ続けようと、専門家だけが困ったり損失を被るわけではない。みんながお互いに困るだけ、誰も得しません。専門家批判に八つ当たり以外、何の意味があるんでしょう。
恐らく小田嶋氏の主張の真意の一つは、
放射性物質を海洋投棄した人々の責任は、放射線が検出されない範囲にまで及ぶ。
当然だ。彼等は、「根拠のない恐怖」に対しても、全面的な責任を負わねばならない。
ってところにあるんでしょう。つまり、風評被害の責任は「一般の人間」にあるのではない、怖いものを撒き散らしたやつにあるんだ、と。
一理あるとは思います。でも、そうまでリクツをつけ、他人のせいにしてでも、自らの行為を正当化しなければいけないんでしょうか。「われわれはあなたの国に迷惑をかけてますが、それは北朝鮮があそこで怖いことをしてるからです。私たちを責めてはいけません」と言ったら、近隣の国が「おっしゃるとおり」と、北朝鮮に補償を要求してくれるでしょうか。科学的知識がどうのじゃなくて、自分たちの行為のために困る人がいる、という事実があるなら、それを自らの行いの結果として受け止め、省みるくらいのことはしていいのではないでしょうか。
おそらく総じて見れば、多くの日本人の行動はNPRの記者の報道にこそ近いのではないかと想像(期待)しています。だから小田嶋さんのコラムのこの部分には、(一部の専門家の「愚民」扱いが事実だとしても)そんなところに目を向けてどうする、という感想を持ちました。これに限らず、いくつかのコラムやブログに、大丈夫か?ストレスでやられてるんじゃないか?と感じることがあります。安全な海の向こうで、知りもしないで何を言うか、という批判を恐れながら、岡目八目ということもあるかもしれないと思って申し上げました。
ところで、いつも読んでいる小田嶋隆さんの日経ビジネスオンラインのコラム、ここのところ地震関連の記事が続いています。先週の記事は「この「風評」の半減期はどのくらい?」というタイトル。頭と終わりはその通りだと思うんですが、コラム半ばで、「風評に踊らされる庶民を露骨に軽蔑する」専門家の態度は、「恐怖」に対する無頓着さを表す、として
目の前で議論が紛糾しているタイプの学説や、解説する人間の立ち位置によって
意味付けが180度変わってしまうデータをもとに、安心立命を得ることは、少なくと
も理系の学部なりで専門的な訓練を受けたわけでもない一般の人間には不可能な
仕事だ。とすれば、特に科学に明るくない者としては、とりあえず大きめの安全係
数を確保した上で、過剰にこわがっておくのが精一杯の知恵ということになる。
これは、決して「愚かさ」と決めつけてほしい態度ではない。
と述べるくだりには疑問を持ちました。
「風評に踊らされる愚民」が本当にいるのか知りませんが、そういう人の行動の影響で被害が出ているなら、被害を被るのもやっぱり(専門家も含めた)「一般の人間」でしょう。このコラムでは魚が例に上がっていますが、被害を受けている漁民の中にも、別の風評被害を生み出した人がいるのかもしれない。風評被害を作り出すのも、その被害を受けるのも一般の人間。原因も迷惑も同じところで回るだけであって、専門家が「風評被害」を生み出すわけではない。(もっともそう強弁する人はいるのでしょう、情報の与え方や態度が悪いとか)。「愚かというな」と怒ってみても、「お前たちの言うことなんか信じられるものか」と風評に踊らされ続けようと、専門家だけが困ったり損失を被るわけではない。みんながお互いに困るだけ、誰も得しません。専門家批判に八つ当たり以外、何の意味があるんでしょう。
恐らく小田嶋氏の主張の真意の一つは、
放射性物質を海洋投棄した人々の責任は、放射線が検出されない範囲にまで及ぶ。
当然だ。彼等は、「根拠のない恐怖」に対しても、全面的な責任を負わねばならない。
ってところにあるんでしょう。つまり、風評被害の責任は「一般の人間」にあるのではない、怖いものを撒き散らしたやつにあるんだ、と。
一理あるとは思います。でも、そうまでリクツをつけ、他人のせいにしてでも、自らの行為を正当化しなければいけないんでしょうか。「われわれはあなたの国に迷惑をかけてますが、それは北朝鮮があそこで怖いことをしてるからです。私たちを責めてはいけません」と言ったら、近隣の国が「おっしゃるとおり」と、北朝鮮に補償を要求してくれるでしょうか。科学的知識がどうのじゃなくて、自分たちの行為のために困る人がいる、という事実があるなら、それを自らの行いの結果として受け止め、省みるくらいのことはしていいのではないでしょうか。
おそらく総じて見れば、多くの日本人の行動はNPRの記者の報道にこそ近いのではないかと想像(期待)しています。だから小田嶋さんのコラムのこの部分には、(一部の専門家の「愚民」扱いが事実だとしても)そんなところに目を向けてどうする、という感想を持ちました。これに限らず、いくつかのコラムやブログに、大丈夫か?ストレスでやられてるんじゃないか?と感じることがあります。安全な海の向こうで、知りもしないで何を言うか、という批判を恐れながら、岡目八目ということもあるかもしれないと思って申し上げました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます