深澤真紀さんの「うまないうーまん」という連載コラムに興味深い記事がありました(コチラ).「遺伝子」と「姓」という,異なるものをそれぞれ「残したい」という理由で,不妊による問題に苦闘する人たちの件.とくに注目したい一節を引用させていただきます.
コラムのタイトルや,引用部分直前の「法律が医療に追いついていない」という記述からすると,深澤さんはこのような「欲望」や「感情」を尊重し,われわれの社会が対処すべきかどうか考慮するに値するものとして取り上げているようです.連載コラム全体も,結婚・子育て等をめぐる人の思想・選択の多様性を肯定し,サポートできないかというテーマに貫かれているので,それと整合しています.
この点には賛成できなくもないのですが,「遺伝子を残す」には,引っかかりをおぼえました.素人なので誤りがあるかもしれませんが,ここで「残したい」と考えられている個人に固有の遺伝情報とは,ある特定の遺伝子の組み合わせの総体ということになるのでしょう.それは,直接の子どもには概略1/2ほど伝わるのでしょうが,世代を経るごとにどんどん断片化して,子孫が所属する集団の遺伝子の海の中にバラバラに存在することになり,個人としての痕跡はほとんど見出されない,ということになるのでは.もちろん,さらに突然変異もあるし,ある系列では子孫が途絶えてそのタイプの遺伝子型が失われることもある.ちょっと長い目で見れば「特定の人物の遺伝子を残す」という考えはどんどん意味を失っていくように思われます.クローンでも作り続ければ別ですが.
とはいえここで,「この主張には科学的な根拠がない!」と批判をしたいわけではありません.上記引用部分のような主張は額面どおり受け取るのでなくて,その裏にあるもっと原初的な欲求,たとえば「愛するこの人の子が欲しい」というような,真意を汲み取って議論すればよいのでしょう.
もっとも,批判に対抗する根拠の一つとして「遺伝子」云々を持ち出した,という面もあるのかも.だとすれば,皇位継承問題で男系維持支持派が持ち出した,「Y染色体」云々に似てる,という感じがします.くわしくは,専門知識のある方の発言をごらんいただきたいですが(たとえばコレ),kikulogというブログの記事(ココ)のコメント欄での議論での管理人さんの発言が的を射ていると思うので,そこを引用させていただきます.
このような意味で,「遺伝子を残す」とか,「Y染色体が」という議論は,この管理人さんのおっしゃる「科学のつまみぐい」の一例で,足下をすくわれる隙を作るだけで,真の説得力はないように見えます.もし,そういう意図はなく持ち出しているのだとすれば,理解できていない(でも権威は感ずる)概念に振り回されているわけで,深澤さんの「「優秀な遺伝子」という思想に苦しめられた」という言い方は,その意味で適切.以上,欲望やら,イデオロギーやらを主張・正当化したいとき,それを科学で根拠付けようとしても,あんまりうまくいかないのでは,というハナシでした.
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半可通を承知で,自分の浅薄な理解に基づいて蛇足を.もし本当に「遺伝子を残す」のが重要と考えるんだったら,自分の子だけじゃなくて,兄弟の子,従兄弟の子,近い遺伝子型を持っている可能性が高い,近隣の子... も大切に,という議論だって成り立ちそう.あるいはグローバリゼーションの進む未来を思えば,海外の子供だって...... 途方もない,愚かな議論かもしれませんが,このように考えると,私には,自分が未来の世代全体と(必ずしも自身の子を通してではなく)ゆるやかにつながっているような感じがして,穏やかで豊かな心境に至れるような気がします.
個人的に注目したのは、向井が「血縁のある子供が欲しい」というだけではなく、「高田の優秀な遺伝子を残したい」という欲望を明らかにしたことだ。実際に向井は、自身の卵子が使えない場合は提供卵子を使ってもいいから(つまり自分と血縁がなくてもいいから)、高田の遺伝子を残したいと考えたのである。高田も「自身の優秀な遺伝子」を残すことを望んでいたのだろうし、血縁だけではなく「優秀な遺伝子」という思想に苦しめられた向井自身の複雑な感情がうかがえる。
コラムのタイトルや,引用部分直前の「法律が医療に追いついていない」という記述からすると,深澤さんはこのような「欲望」や「感情」を尊重し,われわれの社会が対処すべきかどうか考慮するに値するものとして取り上げているようです.連載コラム全体も,結婚・子育て等をめぐる人の思想・選択の多様性を肯定し,サポートできないかというテーマに貫かれているので,それと整合しています.
この点には賛成できなくもないのですが,「遺伝子を残す」には,引っかかりをおぼえました.素人なので誤りがあるかもしれませんが,ここで「残したい」と考えられている個人に固有の遺伝情報とは,ある特定の遺伝子の組み合わせの総体ということになるのでしょう.それは,直接の子どもには概略1/2ほど伝わるのでしょうが,世代を経るごとにどんどん断片化して,子孫が所属する集団の遺伝子の海の中にバラバラに存在することになり,個人としての痕跡はほとんど見出されない,ということになるのでは.もちろん,さらに突然変異もあるし,ある系列では子孫が途絶えてそのタイプの遺伝子型が失われることもある.ちょっと長い目で見れば「特定の人物の遺伝子を残す」という考えはどんどん意味を失っていくように思われます.クローンでも作り続ければ別ですが.
とはいえここで,「この主張には科学的な根拠がない!」と批判をしたいわけではありません.上記引用部分のような主張は額面どおり受け取るのでなくて,その裏にあるもっと原初的な欲求,たとえば「愛するこの人の子が欲しい」というような,真意を汲み取って議論すればよいのでしょう.
もっとも,批判に対抗する根拠の一つとして「遺伝子」云々を持ち出した,という面もあるのかも.だとすれば,皇位継承問題で男系維持支持派が持ち出した,「Y染色体」云々に似てる,という感じがします.くわしくは,専門知識のある方の発言をごらんいただきたいですが(たとえばコレ),kikulogというブログの記事(ココ)のコメント欄での議論での管理人さんの発言が的を射ていると思うので,そこを引用させていただきます.
「科学的な根拠」は欲しいけど、「科学的に理解したい」わけではないんですね。「科学」は「権威」だとは考えられている。いや、それこそが「ニセ科学」を受容する最大の理由だと思っています。科学不信ではなくて、むしろ科学盲信なんですよ。ただし、その「科学」とは「自分の希望通りの内容を言ってくれる科学」なんですけど
このような意味で,「遺伝子を残す」とか,「Y染色体が」という議論は,この管理人さんのおっしゃる「科学のつまみぐい」の一例で,足下をすくわれる隙を作るだけで,真の説得力はないように見えます.もし,そういう意図はなく持ち出しているのだとすれば,理解できていない(でも権威は感ずる)概念に振り回されているわけで,深澤さんの「「優秀な遺伝子」という思想に苦しめられた」という言い方は,その意味で適切.以上,欲望やら,イデオロギーやらを主張・正当化したいとき,それを科学で根拠付けようとしても,あんまりうまくいかないのでは,というハナシでした.
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半可通を承知で,自分の浅薄な理解に基づいて蛇足を.もし本当に「遺伝子を残す」のが重要と考えるんだったら,自分の子だけじゃなくて,兄弟の子,従兄弟の子,近い遺伝子型を持っている可能性が高い,近隣の子... も大切に,という議論だって成り立ちそう.あるいはグローバリゼーションの進む未来を思えば,海外の子供だって...... 途方もない,愚かな議論かもしれませんが,このように考えると,私には,自分が未来の世代全体と(必ずしも自身の子を通してではなく)ゆるやかにつながっているような感じがして,穏やかで豊かな心境に至れるような気がします.
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