時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

LSA@Baltimore

2010年01月09日 | 旅行記
アメリカ言語学会(Linguistic Society of America)の全国大会(Annual Meeting)でメリーランド州、ボルティモアに来てます。今日は大会3日目の朝(全体は4日)。今回は初めてこういう全国大会での口頭発表をやりました。発表は一日目だったので、前日に来て、4泊5日の旅。結果は、まあまあかな。

今回は(も)、一緒に行く師匠と、もう一人の院生(アメリカ人)にまかせっきりで、それについて行くだけ。インディアナポリスからの乗り継ぎはどこだっけ? と思ってると、なんか、大きな都市に、ひょっとしてニューヨークだったっけ? と思ってると、自由の女神が見えてきた。本当に、港の入り口に向かって立ってるんだな~と(写真では自由の女神は写っておらず、そのすぐ後ろ、マンハッタン島の突端)。

飛行機はそのまま、マンハッタン島を左手に眺めながら飛び、なんだか野球場の脇を急旋回、近づくとニューヨークメッツの本拠地だそう。で、グアルディア空港に到着。なかなかいい眺めでした。そこからボルティモアまでは30分。初めて東海岸に来ました。このボルティモア旅行の件を今日からしばらく書いてみようと思います。

今回も、宿泊は師匠と一緒。さらに、2年前にPh.Dを終えたエリックと、一緒に来たウィルと男4人で一部屋に。だから私は床に寝てます。ホテルが会場になってるヒルトンなので、カーペットも、もらったブランケットも質がいいし、疲れてるし、けっこう寝られるもんです。今日はぐっすり、ベッドの上の他の3人は、まだ寝てます。

ngapka!!.

2010年01月05日 | 
生後15ヶ月になるうちの娘は、まだろくに話しません。「はい」とか「った!」(あった)などと散発的に言いますが、本当に要求を通したいときは、手を引っ張る等の実力行使か、「うあーーーー!!!」と叫ぶ。

一方、いまだにBabblingは続いていて、ただし、作る音声がますます巧妙化してきた。最近顕著なのが二重子音で、それも閉鎖音を連続して[pta pta pta ...]とか[pka pka pka...]とか、[ngapka]!! と、実に器用。

以前、好んでやっていた吸着音もそうですが、どうやら周囲の人から耳にする以外の音声も試してみるようです。母語の習得が固まるとともにできなくなる(少なくとも、言語音としては使わなくなる)のでしょう。でも、こっちのメッセージはかなり細かいところまで理解してるのがどうやら確実で、音声知覚・意味処理はかなり発達してるようなのに、どうして音声生成のほうは母語よりにならない? まあ、音声習得の専門家が観察したら、既に明らかに日本語よりなのかも。

バイリンガル環境におかれた子供の話し始め(習得ではなくて)が遅いというのは、聞いたことがあるし、実際、Bloomingtonでもそういう例を見たこと、聞いたことがあります。うちの場合も、日本の人から、「アメリカにいるからバイリンガルになる?」と聞かれますが、親が両方とも日本人だし、入力は日本語しかないはず。たまにTVを見るくらいで、バイリンガル環境とは言えなそう。

いただいた絵本の中に、英語のものがあって、それを引っ張り出してきて「読んで」と渡すことが多い("Hand hand fingers thumb"という絵本がお気に入り。)。たぶん、出しやすいだけでしょうが。しょうがないので、心もとない私の英語で読んでやってきましたが、これも、日本語の入力の比ではない。話し出しがちょっと遅めなようなのは、たんに、ここまで、どれもこれもゆっくり目の彼女のペースなのだろうと。

先輩のお父さんから、「小さい子は、結果に興味はない。プロセスのみに興味がある」と教わりました。写真は、彼女の「実験」の結果。そのとおり、クレヨンがそこに挿せることが分かったら、シュールな「作品」はすぐ忘れられて、そのまま放置。

年の越し方

2010年01月01日 | Bloomingtonにて
昨日の大晦日、餅つきをしました。写真の臼と杵は両方とも発起人(アメリカ人、日本在住暦あり)の方の手作り。臼は庭の倒木を使って、杵は赤松だそう。もち米もちゃんとセイロで蒸して。杵を扱えない子どもたちも、細い木の棒を持って8人くらいで一斉に。

今年で2年目ですが、今回は参加が多く、もち米を持ち込んだ家族だけで15以上。多くは日本人、または日本人とアメリカ人の夫婦だけど、中国人、イギリス人などのご家庭も。多くの家族にうちのように小さいお子さんがいて、さらにその知り合いの日本人・アメリカ人・・・と合計50人くらいはいたでしょう。子どもは食べる、はしゃぐ、泣く。土間とお勝手の間を、餅や人が出たり入ったり。会場のお宅は大混雑。

子供のころは、年末に祖母の家で餅つきをやるのが恒例でしたが、まだ杵はとても扱えず、伯父や父がつくのを見るだけ。さて大きくなったら餅つき器で済ませるようになっていて、まともについたことがありませんでした。伯父が教えてくれた「杵の重さを下ろしてやるだけ」というコツと、彼らのつき方を思い出してやってみると、意外なことに上手くできて、私のついたのが出来がいちばんよかった。

今年も大成功。発起人の方にも、いつも場所を提供してくださるお宅の方にも、感謝。献身に頭が下がります。

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朝10時から始めて、3時近くになってもまだ終わっていなかったので、残念、というか申し訳ないながらお先に失礼して、Ninaばあちゃんの新しい入居先、隣町、Ellettsvilleにあるケアホームを尋ねました。

施設に入ってみて、正直、ショックを受けました。廊下にぞろぞろといる入居者の多くに生気がなく、澱んだ雰囲気とにおい。アメリカ人、とくにご高齢の人はうちの娘のようなちびを見ると「可愛いねえ」とニコニコ話しかけてくるものですが、ここではせいぜいぼーっと目で追うだけ。不謹慎ながら、ここにいたら「ああ、私ももう長くないんだ」と力をさらに落として、死期を早めてしまうのでは、とまで思ってしまいました。

施設自体も、Bloomingtonでしばらくいたところより古く、職員たちも前のところより覇気がない気がする。ばあちゃんも「前の施設のほうがずっとよかった、でも値段が月$1000も違うから。。」 悪いことが重なることもあるもので、子のいないNinaさんが息子のように可愛がっていた甥のRickさんが、彼女が倒れたころに急に亡くなってしまいました。彼がいれば、ときどきやってきて、元気付けてくれただろうに。

Ninaさんは「アパートに帰れる、と思っていたけれど、無理みたい。妹は私の持ち物を処分し始めていて、それを含めていくらお金が残るか計算しないと。ここの入居費は高くて、今の概算だと3年半くらいしかいられない」と力を落としていました。旦那さんとの思い出の品も、保管場所の都合もあり、ほとんど手放すことになるんでしょう。一緒に暮らしたシカゴにももう行けないだろうし、もうここで最期を迎えることになるのか・・・ 自分の親を入れることを想像したら、ちょっとそういう気にはなれませんでしたが、じゃあ、自分はよりよい選択肢を用意できるのか、考え込みました。

同室の女性がわりと若くてはきはきした人で(糖尿病で足を切断してしまっているけど)、気が合う、合わないはあるにせよ、他よりはいいのでは。家から車で20分弱、できるだけ行くことにしましょう。こんなふうに、我が家の2009年は終わりました。