山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

11月21日は日帰りで太陽寺から三峰神社と歩いて来ました。

2021年11月23日 | 登山
 大宮を午前4時に出て大輪三峰神社表参道入口の、元民宿紅乃屋の駐車場に車を置いて置く。昔は大勢の人たちが渡った赤い登竜橋は今はひっそりとしている。玄関前に置かれた小さなノートに、車のナンバーと料金500円は下山後に払いますと書き入れておいた。一応簡単に朝飯を食って午前6時半に出発。




 国道140号を太陽寺入り口まで戻るが、荒川沿いの紅葉が見事で足取りも軽くなる。


 途中でトイレに寄ったり、写真を撮ったりで太陽寺入り口の分岐まで30分ほどかかってしまった


 太陽寺へは荒川に架かる橋を渡るが、早朝から橋の上で遊んでいる親子がいた。




 大血川に沿った道路も紅葉が奇麗で、登りの道もさほど苦にならない。


 大血川の道から渓流を覗くと釣り人が竿を垂れていました。岩魚や山女魚が釣れるというが。


 有料の釣り場なのでちゃんと管理人がいる。おじさんが二人のんびりお茶を飲んでおりました。


 登山道はここからスタート。指導票はしっかりとあります。太陽寺へは車で行くことも出来るので、歩いて登る人はあまりいない感じ。


 兎に角この道が本来の参道なので、ちゃんと大きな灯篭が両サイドに立っている。


 道はこんな感じで続いていて、落ち葉の下には石がゴロゴロしており歩きにくい。




 登山道脇には石仏や丁目石が置かれていているが、足元ばかり見つめて歩いているため、途中に何個あったのか数がわからない。


 急な痩せ尾根に付けられたつづら折りの道は、昔から数多くの女性信者たちによって登られて来たのだろう。


 釣り場から1時間かかってやっと山門に到着。


 顔を上げるといきなり京都清水寺の舞台と同じ柱の列。








 ここで感動したのが閻魔堂の仏像群です。素晴らしいです。


 地蔵峠へは寺の裏口に出てすぐ右に急斜面を登ることになるが、楓の紅葉が何とも風情があって秋を満喫させるには正に十分。


 峠に至る間3回自動車道路を横切る。その都度山歩きの良い気分が壊されるので、文句を並べながら横切った。


 このコース唯一の水場。夏だったら本当に有難い所。


 最後の車道横断個所、ここまで車で来ている人がいる。標高約1250m。


 地蔵峠まで一息という所に熊よけの鈴ならぬ、鉄パイプの拍子木がぶら下げてありました。


 すっかり葉を落とした落葉松の木。もう少し早く来ていれば黄色の落葉松林が楽しめたのだが。


 11時50分やっと地蔵峠に到着。大輪を出発してから5時間半近くかかり、ここで初めて雲取山に向かう登山者1人に出会った


 地蔵峠から三峰神社までの道は今までとは打って変わって、登山道を自動車道路のランク分けに例えるなら高速道路である。デコボコも無く平らな落ち葉の道は、足元に気を配る必要も無くスイスイ歩ける。途中炭焼窯の跡がある炭焼平を通過。


 木々の葉っぱは落ちてしまい、柔らかい初冬の日差しが心地よい。


 三峰神社奥の院への鳥居前を通過。このあたりから登山者の数が増えて来た。


 三峰神社と奥社の間を結ぶ杉並木の道。


 三峰神社表参道の門に到着。地蔵峠から1時間で歩いて来た。








 土産物屋が並ぶ広場から大鳥居の建つ参道を本殿へ。本殿建物は日光東照宮陽明門のように派手な色彩に塗り上げられた見事な彫り物に飾られている。そして参拝客が延々と列をなして並んでいるのにビックリ。


 下山は裏参道を下ることに。


 裏参道は始まりから終わりまでこのような道でとても楽な道であった。


 途中に車が捨ててあったが、どのようにしてここまで上がって来たのだろう。


 裏参道を降りたところが荒川に架かる橋の袂で、対岸には国道140号が走っている。自分はこのまま荒川右岸の道を大輪に向かった。


 途中に神庭のキャンプ場があって賑わっていた。




 右岸右手の斜面に大きな洞穴があって、縄文人が住んでいたそうだ。ここは以前にも家族と来たことがある。


 洞穴から見た荒川左岸の国道140号。






 右岸の遊歩道は景観に優れたところなので、三峰まで来たらぜひ寄ってもらいたい。


 遊歩道から離れて右に上がると三峰神社表参道に出る。立派な参道であるが人の気配がない。


 そして赤い登竜橋が見えて来た。これを渡って今回の山歩きは終了。午後4時になっていた。天気も申し分なく楽しい山歩きであった。




 




















11月7日は鹿沼の岩山まで、クラブの仲間でモンゴルの陽気なTおかみさんと行って来ました。。

2021年11月11日 | 登山
 東北道は早朝から日光の紅葉見物が目的と思われる車が多く、帰りのことが少々心配であった。しかしこちとらが行く山は観光地とはかけ離れた300m少々の小さな岩山。登山口の日吉神社には一台の軽トラックがあるだけでした。雑木林を抜けてA峰とC峰の間のルンゼ状を登り、B峰でTさんのために岩登りの基礎講習をやりました。ハーネスの付け方、ハーネスとロープの連結、基本的な岩の登り方、トップロープでの簡単なルートの上り下り、エイトカンを使っての懸垂下降、確保の方法、カラビナ、スリングの扱い方、いくつかのロープ結びなどなど。
 岩登りは初めてという割には飲み込みは早い方で、高い所にも臆せず登って行く。懸垂などは初心者、特に女性は怖がる人が多く、慣れるまでには結構時間を要する人が多いものです。ところがこの方まったく動じない。もっと若い時に山登りを始めていたらそれなりの登山家になれたかも知れない
 写真はC峰から見たA峰の頭と鹿沼の町です。


 C峰で練習中のTおかみさんです。


 周囲は紅葉がかなり進みいい雰囲気の山風景になっています。


 C峰のベンチで休憩中のTおかみさんです。


 岩登りの基礎訓練の後猿岩まで縦走です。この山は小さな岩場の登り下りが多く、山慣れた人には結構楽しめる山ですが、初心者にはハードに感じるかも知れません。途中にはこんな狭い岩の間を抜けて行く所がいくつかあります。


 ロープこそ使わないものの、この程度の岩場はいくらも出てきますから面白いです。


 Tおかみさんはこんなところも前向きで降りてきます。なかなか度胸もいいです。


 縦走中に稜線から下を見下ろすと広陵ゴルフ場が良く見えます。


 登山道にはこのような看板が何カ所もありました。


 岩山の一峰(岩山の最高地点328m)を過ぎるとすぐ猿岩に着きました。ここは岩山最大の難所で90mの鎖場です。これは上から岩場を見下ろしたところ。


 この鎖を30m降りて上を見上げたところ。


 90m鎖場の下部部分を降りて行くTおかみさん。


 まったく余裕のTおかみさんです。


 岩場を終えると入山峠で、ここから右に山すそを歩いて日吉神社まで戻ります。左に広陵ゴルフ場があってそれに沿って道があります。途中に猪を捕獲する檻が置いてありました。周囲には足跡が沢山ありましたから結構な数の猪がいるのでしょう。
 ところが道は以前の道と違い岩山の山腹に付け替えられており、歩きにくい事夥しく腹が立ちました。その理由はゴルフ場から飛んで来るゴルフボールが登山者に当たる危険があるため、付け替えたものと思います。


 そして最後に登山口の日吉神社に舞い戻って来ました。岩登りの練習時間も含めて約5時間の労働でした。一日中天気も良くて良い運動になりました。


 


奥只見未丈ケ岳に登りました。週末の寒波で越後三山はすっかり雪化粧。もう冬山です。

2021年10月25日 | 登山
 未丈ケ岳1552,8mは奥只見の真っただ中にあって、関東から行くには朝立ち日帰りをやるには些か遠すぎます。それで23日午後4時に家を出てナキ沢口を目指して車を走らせました。西高東低となってあちこちの山からは雪山情報が流れてきます。出発前から雨が降り続き、新潟方面の天気もあまり思わしくない様子だったのですが、なにせ標高が1500mちょっとで奥多摩の三頭山程度だから、例え降っていたとしても大したことはなかろうと思い出発した訳です。


 小出から国道352号を走り折立からシルバーラインに入り、湯ノ沢トンネルと黒又トンネルの継目にあるナキ沢口作業用出入り口に着いて、重いシャッター押し上げて外に出るとそこが登山口。到着は午後7時30分でした。少し入ると駐車スペースがあり、そこで仮眠をとりました。
 24日起きてみたら車が5台ほど増えていました。まだ雨は降っていたのですが、午前6時に私も出発しました。ナキ沢に沿った道は結構悪いトラバースがあったり、渡渉個所も2ケ所あり靴も濡れてしまいました。黒又川の本流になるみかぐら沢に架かる、鉄で作られた橋に着いたのが午前6時45分でしたから距離の割には時間がかかりました。上の写真がみかぐら沢に架かる橋です。こんな所に鉄の橋とはと驚きました。


 鉄橋から見下ろすみかぐら沢の流れです。


 橋を渡るとすぐに痩せ尾根の登りが始まり、徐々に見晴らしも良くなり、雲が巻いていますが荒沢岳が見えてきました。既に白く雪化粧をしています。


 花崗岩の痩せ尾根の快適な道を行きます。この細い稜線に見事な松が並木道のような景観を作り出しています。


 紅葉の尾根の先に越後三山の山肌が雲の下に見えています。


 かくも見事な松の木が稜線のど真ん中に堂々と突っ立っています。


 浅草岳の方面です。まだ雲が低く山を特定できません。


 越後駒ケ岳の方ですが稜線に雲がかかり姿が現れてきません。ただ雪は標高1000m近くまで降りて来ているようです。


 974mピークまではこのような良い道が続きます。


 974mピークから松ノ木ダワの鞍部まで下り、そこから頂上まで急登に変わり1200m付近から雪が現れ始めました。


 先登者の足跡からみて積雪は5センチくらいです。


 紅葉の尾根先に雲がかかった未丈ケ岳が見えます。


 流石に豪雪地帯だけあり、大きなブナの木も雪の圧力で曲がっています。


 頂上が近くになるにつれて、急傾斜の道は雪のために登りにくくなり、一部に大変悪く感じる所がありました。特に短いけれどもトラバース混じりの登りではそうでした。下りにはロープが必要になるかも知れないとちょっと気になりました。


 山頂にほぼ近い所から見た荒沢方面です。


 こちらは越後駒ケ岳です。なかなか雲が切れてくれません。


 未丈ケ岳山頂に午前10時10分に着きました。私を追い越して先に着いていた若い男女二人に撮ってもらったものです。逆光で映りが良くありません。この時点で雲が切れ山頂は明るくなりましたが、周囲の山には相変わらず雲がかかり、期待の山頂からの眺望を楽しむことは出来ませんでした。寒いので山頂には5分ほど居ただけでさっさと下山に移りました。



 下山途中974ピークから見た荒沢岳(上)と越後駒ケ岳(下)です。


 再びあの嫌なナキ沢沿いの道を歩いて登山口に戻って来たのが午後1時37分でした。予想していた下山時刻よりも1時間早い下山でした。振り返ると晴れあがった空の下に今登って来た未丈ケ岳が見えていました。結局この日の登山者は20名くらいいたと思います。
 帰路高速が混んでいて帰宅は午後7時40分になってしまいました。











 


奥武蔵子の権現から伊豆ケ岳まで歩いて来ました。

2021年10月13日 | 登山
 10日の日曜日は一日中曇りの冴えない天気でしたが、さいたま山遊クラブの仲間3人でスタコラ歩いてきました。通常このコースを歩く場合、伊豆ケ岳から子の権現に向かって歩くのですが、今回は何やら計画担当者が逆コースを選んだので、まっいいかと従った次第。でもやっぱり私は少々疲れました。この日山頂に着いたときはもう誰もいませんでした。我々とは反対に子の権現を目指して歩く人たちには沢山出会いました。


 50年以上も昔山頂には茶屋がありまして、面白いおばあさんが店番をやっていました。話し好きの面白いおばあさんでした。子供が好きでその子供たちを見ると、リトル坊やなどと呼んで可愛がっていました。そのため登山者たちにイングリッシュばあさんと、親しみをもって呼ばれていました。おばあさんが亡くなってから茶屋を引き継ぐ人も無く、小屋も取り壊されて今はその跡さえありません。その後小屋跡の近くの岩に、有志達によってレリーフが取り付けられて今に至っています。本当は昔のように茶屋があると楽しいのですがね。

やっと青空の下で八海山登山を楽しむことができました。写真は下山途中のカッパ倉から仰ぎ見た八海山八ツ峰です。

2021年09月14日 | 登山
 コロナデルタ株が猛威を振るって、山登りもままならぬ雰囲気の今日この頃ですが、やはり山好きはそうそう家に籠ってばかりもいられません。そこで11日土曜日午後7時半に家を出て越後八海山に向かいました。


八海山ロープウェイが出来てからは、もっぱら楽して登ることしかしていないので、今回は古くからの登山道でやや厳しい屏風道を選びました。若いころ山岳会の春の合宿を2回ほど屏風沢を中心に行ったことがあり、懐かしい場所です。そのころはマイカーなど誰も持っていなかったし、山口バス停から歩いて現在の登山口(二合目)まで行き、そこをベースに活動していました。当時合宿期間中に他の登山者は一人も見ませんでした。
 11日の夜10時に着き車の中で一眠りして、12日午前5時45分に二合目登山口を出発。天気の方は申し分なし。


 登山道はすぐに下りとなり、籠渡しのある屏風沢を右岸に渡ってから杉林の道を登って行きます。


 この道は見事な杉の巨木が林立しており、高い梢には天狗でも潜んでいそうな雰囲気です。


 四合目で清滝を望むことができました。ここが最後の水場なのですが休まずに登ります。


 杉林が終わって今度はブナ林に変わりました。それも立派なブナが多いのにちょっと驚き。


 五合目出迎えの松に着くと、眼下に六日町から塩沢にかけての稲田の広がりが奇麗で、つい見とれてしまいました。


 五合目は鎖場の多いこの登山道の中では気持ちの落ち着く所です。


 ナナカマドの赤い実がもう秋が来たことを告げています。


 嫌になるほどの鎖登りがあって、やっと七合目の覗きノ松に到着。ここも眺望に優れた所でした。


 ガラガラの岩が重なる岩溝を登り最後の長い鎖を通過すると、やっと千本桧小屋が見えて来て、そこからゼイゼイ息を切らして、やっとこ9時22分に小屋に辿り着きました。時間的には私の年齢(77歳と9ケ月)を考えるとまぁまぁというところかな。


 今回千本桧小屋は小屋番もおらず、小屋内には入ることが出来ませんでした。小屋のガラス戸を通して中を覗くと奥に祭壇が見えます。八海山は古くから信仰登山で栄え、今も信者の人たちが登って来てここで祭事を行います。一度ここに泊まったときそれに行き会わせて、読経と太鼓の音に悩まされ眠ることができませんでした。


 八ツ峰の最初のピークが地蔵岳で、東の方向に水無川の深い渓谷を隔てて駒ケ岳が堂々と聳えています。


 振り返ると千本桧小屋とその後ろに薬師岳が見えます。


 次の不動岳と七曜岳を過ぎると白河岳で、ここは高倉沢側の長い鎖を利用してのトラバースです。


 釈迦岳まで来るとハシゴ登りの摩利支天です。登っている人をこちらから見ていると、何だか物凄い所を登っているように見えます。


 釈迦岳と摩利支天のコルから迂回路に下る道があります。ここまで来たら大日岳まで足を延ばすのが筋でしょう。


 八ツ峰最後のピークが大日岳で標高1720m。八ツ峰中の最高峰ということになっています。ここから入道岳側へ約20mほどの垂直のクサリを下ると八ツ峰は終了。


 迂回路への分岐から先行した人たちはほとんど入道岳まで行ったようで、私は迂回路まで下り後はのんびりと新開道を二合目登山口へ向かいました。


 新開道もあまり面白くない悪い部分がいくつかあって、カッパ倉までは気が抜けない道です。カッパ倉から来た道を振り返ると、八ツ峰の岩峰群がなかなか壮観で、眺めているとつい顔の方もゆるんでしまいます。


 四合目まで下るとお稲荷様がありまして、水場の案内がありました。ここからは九十九折の落ち葉と砂利の混じった滑りやすい道になります。


 立派なブナ林の中をズンズン下ります。そして午後1時45分に登山口に舞い戻ってきました。下りも結構長い道程でした。

感想として私の齢ではもうこのあたりが限界かなと感じました。登っていて脚はつってくるわ、膝は痛むわで後半は休むことが多くなり、快適とは言えない山行になってしまいました。




新潟、長野、群馬の三県にまたがる白砂山2139,7mに登ってきました。

2021年08月25日 | 登山
 予定していた北穂から槍ケ岳を、新型コロナ問題と長く続く雨のため中止にして、前夜発日帰りで野反湖から白砂山を往復しました。雨の中を野反湖まで屈曲の多い山道を走るのは本当に面白くないの一言です。速度を落として目を凝らし、車のライトの先を見続けながらのドライブですから。白砂山登山口の広い駐車場の片隅に車を止めて仮眠の後、22日午前6時に雲は低いものの雨は止んでくれたので、計画書を提出して出発しました。


駐車場の登山口とは別の、車道から直接登山道に入る所に、現天皇が皇太子時代に登った折の記念碑があります。案外気付かずに登る人もいるのかも知れません。


 地蔵峠までは切明を経て和山温泉へ続く魚野川道を行きますが、途中にハンノ木沢の危なっかしい橋を渡る所がありました。長雨の後なので水量は多めでしたが、そこは慎重に渡り切りました。しかし豪雨の後などは要注意個所です。


 ハンノキ沢を過ぎると間もなく坑道入り口があって、そこの小沢も大雨が降ると結構ヤバイ個所になりそうです。


 このコースの初めの方はブナの大木などが多く、心地よい登山道になっています。


 登山道にはこのようにナンバーを振った道標が見られます。遭難事故などが起きた際に、警察にこのナンバーを言えば即座に事故現場に駆けつけてくれるということでしょう。


 地蔵峠で切明、和山温泉への道が分かれます。ここからが白砂山登山の本番です。登り道なのですが下りも多く、標高差500mほどしかない堂岩山まで2時間半もかかってしまいました。


 堂岩山の頂上は単なる尾根上のコブのようなものでした。眺望はなくぬかるんだ登山道の脇に頂上の標木が立っていました。


 しかし白砂山側へ少し移動すると端正な白砂山を望むことが出来ました。それにしてもまだまだ遠いです。白砂山と堂岩山の標高差は88,7mと
取るに足りない高さですが、この間約2kmの登下降の多い細い稜線を歩きます。


 堂岩山を少し下った所が八間山への分岐です。


 八間山分岐からは白砂山への尾根の連なりが良く見えました。雲の流れが早くこの時点での天気の予想はまだハッキリせず。


 こんな尾根ですが小さな池塘がありました。水はあまり奇麗ではなくそれでも小さな生き物たちが泳いでいました。


 猟師ノ頭で、白砂川の枝沢である猟師沢の源頭になります。


 振り返ると堂岩山のピークが見えます。


 やっと着いた白砂山の頂上です。6畳ほどの広さですが丁度太陽も顔を見せ、周囲の山々もしっかりと見回すことが出来ました。頂上に着いたのが午前10時でしたから、野反湖登山口から4時間もかかったことになります。登山口との標高差は629,7mですから、奥武蔵の伊豆ケ岳を登るのと大差ありません。が係る時間は伊豆ケ岳など問題になりません。下山も同じコースを使いましたが、登山口に戻って時計を見たら午後2時になっていました。何をかいわんやです。登りも下りも同じ時間がかかっていました。そしてこの日は他の登山者を一人も見かけませんでした。静かでとても良い登山でした。


 帰路峠から野反湖を振り返ると、人造湖とはいえ穏やかで澄んだ水面が光っていました。奥の低くなった所が野反湖キャンプ場で、私の好きなキャンプ場のひとつです。





20年前にも行った0富士(海抜0mから3776mへ)に村山古道から再び挑戦しました。

2021年07月27日 | 登山
 77歳6ケ月のゼロ富士挑戦です。体力、気力共に20年前とは較べものにならないほど落ちている現在、はたして登れるものだろうか、自分自身半信半疑で行った富士登山でした。7月23日オリンピック開催日の午後家を出て吉原まで行き、田子ノ浦に近いビジネスホテルに泊まり、その日の内に田子ノ浦鈴川海岸まで足を運びました。そこには護岸用のテトラポットがうず高く積まれており、海に入るどころか海水に手を浸すことさえ出来ない状態になっていました。山部赤人が詠んだ田子ノ浦の面影はまったく無し。


 ここをゼロ富士スタート地点としました。


鈴川の富士塚でここが本来の富士登山の起点になっているようです。後方に富士山があるのですが当日は曇りで見えず。見えていれば親子富士が楽しめたのですが。


鈴川の町中にはこのような津波避難塔が建っています。四国お遍路旅の際にも良く見かけましたが、海辺に住む人たちの海に対する警戒心の高さが判ります。


翌明けて24日の吉原駅前から見上げた早朝の富士山です。


村山道は旧東海道から始まるので、途中有名な左富士を見る所を通過します。左富士神社、左富士の松などありますが、肝心の富士山は折悪しく雲に隠れて見えませんでした。


 和田川の手前にある「平家越えの碑」です。富士川の合戦で平家の軍勢が飛び立った水鳥の羽音に驚き、戦わずして退却したという場所です。


 吉原宿の面影がまったく残っていないアーケード街を過ぎ、東海道と別れて富知六所浅間神社にも立ち寄りました。立派な神社です。



 伝法2丁目を過ぎた辺りから道は徐々に登坂に変わっていきます。東名高速富士ICの左のアンダーガードを抜け、更に新東名の下を潜り広見公園に入って休みを取りました。建物も疎らになってきて、写真のような古い石の道しるべが出てくるようになりました。道しるべは新しく設置されたものもあって村山浅間神社までは安心して歩くことができました。


 村山浅間神社には午前11時に到着しましたが、ここで丁度ひどい雨になり30分休憩を取りました。ここの杉の大木が見事です。


村山浅間神社の左手から石畳の村山古道に入ります。石畳の道は200m足らずで終わりますが、しばらく林道を進むと右に細い窪みが現れ、そこから猛烈に荒れた流水溝を辿ることになりました。これが道かと訝るなかを登っていると、下りてくる人と出会い、その人が言うには「とんでもない道だ。溝の右や左にコースが変わるので道を探すのに大変苦労した。そこに加えて道も悪い。気を付けて登ってください」と念を押されました。


 室町時代後半から江戸時代にかけて富士信仰の道として、多くの信者が通った道だと思いますが、何しろ明治維新の神仏分離令、更に続いた廃仏毀釈により、この歴史ある古道は人の往来が無くなり廃道となってしまったようです。この流水溝のような道が出来たのは、柔らかい火山灰質の土を人が歩くことでそこが雨水の流水溝となって、周囲の土が削り落とされて長い年月の間にこのような大きな溝になったものと思われます。この古道の歩き方はこの溝に沿って登れば基本的にコースは誤ることは無いと言えます。


 このような道が続きます。


 そのうちとても分かりにくい場所があって、流石に道を失い所々に付けられた古いテープを頼りに登っていたら、砂防堰堤の工事現場に出てしまい、そこでコースを右に寄り過ぎたことがわかり、一旦作業用の林道に出て左に進んで正規の古道に戻ることが出来ました。標高800mを過ぎた辺りで大ケヤキの広場・札打ち場跡を通過。さらに進ん広い林道に出たところが天照教社という新宗教団体の建物に着きました。ここでやっと標高1000mを登ったことになります。


 美しい原生林の中を一筋の道が続きます。気持ちのいい所です。


 富士山麓山の村脇を通り、歩き易い一本道の脇に馬頭観世音がありました。馬も歩いた道だったのですね。


中宮八幡宮跡に着きました。明治末ころまでには茅葺の社殿や馬立小屋などがあったと言います。ここまで馬で来ることができたと言われます。


 このような首を落とされた石仏もありました。廃仏稀釈によって破壊されたものと思われます。


 中宮跡を過ぎると標高1350mで富士山スカイラインを横切る所に出て、24日は登りをここで打ち切り、自動車道を3km左に下ってPICA表富士キャンプ場に宿をとりました。キャンプ場に着いたときは既に午後6時を回っていました。同じキャビンにはこれから村山道を登り山頂を目指す若者と、既に登頂を終えて田子の浦まで下る青年と相部屋になりました。


 25日朝再び富士山スカイラインを昨日のゴール地点まで戻りそこから再スタートを切りました。途中の西臼塚駐車場からこれから登る富士山が見えていました。


 道は先日に較べ格段に歩き易くなり林相も変わり明るさも増してきました。


 広い開けた明るい場所もありましたが、鋭いトゲの付いたアザミが多い所です。




 女人堂跡、六観音堂跡と登って行くのですが、風倒木が行く手を遮り跨いだり潜ったりの余分な労働を強いられるところです。


 周囲がダケカンバの森に変わってきました。


 低く曲がったカラマツ林の先に新6合目の小屋が見え始めました。小屋には午後2時前に着きましたが、早いけど25日の泊りは新6合目宝永山荘にしました。かなり疲れていたので、これ以上登っても疲れが増すだけでむしろマイナスと考えました。東京オリパラやコロナ問題が影響してか、宿泊客は7~8名だったようです。


 26日は台風8号が関東目指して進行中、午後から雨や雷の予報が出たため、午前4時前に小屋を出ました。雲一つない青い空が広がる中に山頂が見え、消えぬままの雪がまだしぶとくへばりついていました。


 富士宮口山頂まで途中で会ったベトナム青年二人と前後しながら登りました。彼らの登り方はパタパタと20mほど登るとすぐに座り込んで休むというスタイルなので、ゆっくり登っている私でもすぐに追いついてしまいます。青年一人が日本語が堪能だったため、苦しい登りだった割には楽しく登ることが出来ました。上の写真の左が私です。


 富士山本宮浅間大社奥宮に午前9時55分に到着。ここで30分も休んで神社にお参りをしたり、お守りも買って70歳以上の高齢者が記帳できる奉賀帳に署名もしておきました。


 午前10時50分に剣ケ峰3776mに着いて77歳6ケ月のゼロ富士が完了しました。下山は吉田口下山道を下り5合目からバスに乗り、河口湖駅で特急新宿行に乗れたため、埼玉の自宅には午後7時前に帰り着きました。


 






伊吹山1377mに登ってきました。

2021年07月13日 | 登山
 身内のお葬式に参列した後、帰路伊吹山に登ってきました。11日夜米原駅傍のビジネスホテルに泊まり、12日一番の電車で近江長岡駅まで行って、そこからタクシーで伊吹山登山口へ。山は半分ほどが雲の中。三宮神社の前を通って登山道に入りました。登山料300円が必要です。


登山口からいきなり杉に囲まれた登山道に入ります。登山口の標高が230mなので残りの1147mを登ることになります。伊吹山スキー場の入り口でもあるので、以前ならロープウェイで三合目まで行けたものなのに、いまはそれも無くただひたすら自分の足で登るのみです。


朝7時丁度にスタートして、杉林の暗い坂道を登ること30分で元スキー場の末端になる一合目に着きました。右手のロッヂは今も営業しているようです。ここからはスキー場の草原の中を登って行きます。
明るい草原の登りはちょっと北イタリアのチロルの山を思い出させます。


二合目辺りで来た道を振り返ると、眼下に近江平野が広がり東海道線の列車まで見えました。遠くに見えるのは霊仙山か。


三合目にはロープウエイ終点の建物やホテルが未だ建っていて、草原には数は少ないもののお花畑が広がっていました。但しこの中は山ヒルが多く、中を散策した人がヒルにやられたと嘆いて靴下をめくって見せてくれましたが、無数の吸血の跡がありました。オー恐ろしや。ここまでは登山口から1時間半かかりました。


伊吹山は花の宝庫として昔から良く知られています。その中にはイブキの名前を持つ植物が32種もあるそうです。草原には自生する花の名前と絵看板が立ててあります。昔織田信長がポルトガル宣教師に命じて、広い薬草園を作らせたと言われていて、またお灸に使うモグサはこの山で採れる良質のイブキヨモギが原料になっているそうです。


三合目から五合目まではたった15分で着きました。合目の位置決めが凄くいい加減です。スキー場はここで終わり、ここから本格的な山道に変わりました。望む山頂部は厚い雲に覆われています。


登山道は滑りやすい石灰岩の道になりました。お陰で一歩ごとに靴が滑り歩きにくいことこの上なし。天気が良く乾いた石であれば問題ないのですが。


六合目990m石造りの避難小屋が建っています。ちょっと可愛いヨーロッパの山で見かける山小屋に似ています。


内部は奇麗に整頓されていて、スリッパまで揃えてありました。ここで一泊して山頂を目指すのもいいですね。


七合目、八合目と石灰岩の滑りやすい急な道が続きます。こんな滑りやすい道は今まで経験したことがありません。渓流シューズでも履いてくれば良かったと本気で思いました。下山中に3回もスリップして尻もちを着いてしまいました。雲の中に入ってしまい眺望ゼロ。九合目を過ぎたところで防護柵に道を阻まれました。良くある鹿除けの柵と思いますが。扉を開けて入ると頂上はすぐでした。


午前10時15分山頂着。しかし山頂は雲の中。普段であれば沢山の登山者で賑わっている筈なのに今日は誰もいない。何軒もある茶店も店を閉じている。気温も下がり温かいお茶も飲みたいのにそれも叶わず。


山頂には日本武尊像が祀られていますが、作りは粗雑で威厳も何もありません。古く平安の時代から登られてきた名山であり、霊山でもあるこの山の頂にはもうちょっと格好いいのが欲しいですな。


山頂のすぐ下にお堂があって避難所にもなっています。汗もかき雨にも濡れて寒いので、中に入りシャツを着替えました。軽い食事も取ってお堂内部を観察。円空作とされる荒削りの仏像もありました。今までどれだけの人の手によって撫でまわされたのか、頭だけがツルツルになっていました。


下山して近江長岡駅のホームから、登って来たばかりの伊吹山を見ると、まだ薄い雲が山頂部を覆っていました。



6月5日土曜日の天気は曇り。天覧山から多峯主山を経て久須美坂まで歩きました。

2021年06月06日 | 登山
 スタートは天覧山の麓の名刹能仁寺からです。飯能駅に着いたときは小雨でしたが、幸い雨はそれで終わり、後は曇り空のまま最後まで持ってくれました。


 雨上がりの天覧山頂上はまだ人影も少なく、いつもと違って静かなものでした。


 天覧山から赤土の滑りやすい嫌な道を下り、多峯主山へ続く湿地まで下ります。


 そこにはこんな物騒な看板が立っていました。


 見下ろす見返り坂の丸太の階段です。そこにはこのような看板があって見返坂の謂れが書いてありました。



 標高270,8mの多峯主山頂上です。ここには写っていませんが、沢山の登山者がいました。新型コロナ下でも近場の日帰りハイクであれば多くの人が楽しんでいます。私たちもその口です。


 多峯主山からは歩く人の少ない天覚山へのコースを選びました。山稜のすぐ下まで住宅が迫ってきている割には、山深さを感じさせる良いコースです。途中飯能日高団地の中を通過しなければならず、この部分が一番ルート探しに悩みました。


 偶然見つけた団地内のコンビニでルートを教わり、天覚山への入り口を示す何かの骨に書かれた標識を見つけました。


 歩く山道のすぐ下に新興住宅地が広がっています。そして私たちはそのすぐ上を歩いているわけです。



 地図上の277,5mピークで、ケルンが積んであります。


 山稜は見事な杉林になっていて歩き易い良い道です。


 小さな祠の山の神がありました。


 小さな鞍部が久須美峠で、ここが西武線武蔵横手駅への下り口になります。


 最初は滑りやすい石ころの細い道です。周囲は鬱蒼とした杉やヒノキの森になっています。


 広い林道に出て暫く歩くとゲートが現れました。ここは自分で閂を開けて通過することが出来ました。と間もなく人家が現れ、踏切を横切り高麗川を渡ると国道299号です。


 そして今回のゴールである武蔵横手駅に着いて終了です。時計は午後3時20分を指していました。約5時間のハイキングでしたが、予想より長い歩きになりました。


 駅のホームからは山羊牧場が見えます。もういないかと思っていたのですが、まだしっかり生きていました。



袈裟丸山に登って来ました。

2021年05月11日 | 登山
 新型コロナの影響で山も人が少ないだろうと思ったのは大間違いでした。袈裟丸山の折場登山口はマイカーが一杯。車道は駐車した車が延々と続いていました。期待のシャクナゲにはまだ早く、その代わりにアカヤシオツツジが奇麗でした。


 特に賽の河原を中心に小丸山までの間がアカヤシオの見頃です。


 山頂まで行かずとも賽の河原周辺でのんびりツツジ見物だけでも充分です。


 一時雨も降る嫌な天候でしたが、午後には回復して気持ちの良い登山ができました。






 私たちが山頂に着いたころは人影もまばらで、静かな山に戻っていました。後袈裟丸までの往復は時間的に無理でした。でも十分に袈裟丸山を楽しむことができました。


奥武蔵伊豆ケ岳東尾根を登ってきました。

2021年04月11日 | 登山
 東尾根を登るべく、正丸駅から西吾野に行くため正丸駅のホームに入ったら、猿が線路に降りて何か一生懸命探し物をしておりました・。その数12匹。私に気付いて対面のコンクリート斜面を登り始めました。其のうちの2匹をカメラに捕らえておきました。


 東尾根へは西吾野駅から一旦国道299号に降りて、そこから少し吾野駅方向へ進み、右に高麗川に架かる橋を渡り、浅い凹状の沢を登りさらに杉林の道を登ると小さな森坂峠に着きました。20年ほど前に登ったときは、まだ道と言えるようなものではなかったのですが、今はちゃんとした道標も取り付けてありました。


 森坂峠を反対側に下ると下久通集落で、まるで世界から取り残されたような村です。


 東尾根に取りつくには右の山の上にある琴平神社まで急な階段を登って行きました。


 以前登った時には小さな赤いテープだけが頼りの、単なる踏み後程度の道でしたが、今はちゃんとした道になっています。ムジナ山と命名された小ピークにドラエモンが乗っかった標木が立っていました。


 さらに登って行くとこのように道標が取り付けてありました。


 杉林の稜線を登ります。


 新緑と山桜の咲くのどかな稜線を登ります。


 ムラサキヤシオの咲く稜をなおも登ります。


 伊豆ケ岳山頂下を左に巻いて行くと、子の権現から来た道に合流しました。



 山頂は桜とツツジに彩られてまるで桃源郷。今回はモンゴルから日本に来て生活をしているT・アムラさんも一緒でその美しさに感激。




 山頂からも下山途中にも山桜を見られ、今一番いい時ではないかとルンルンで山を下りました。


正月はどこか山の上でご来光といきたいのですが今年は中止。3日に小さく筑波山ハイキングに行ってきました。

2021年01月04日 | 登山
 高速を使えば2時間で筑波山神社まで行くことができます。そこで3日朝午前4時50分に家を出まして筑波山に向かいました。
高速はコロナの影響もあってかガラガラ状態。安全走行で午前6時30分に大鳥居すぐ上の駐車場に着きました。自宅からの走行距離は92,4kmでした。この時間帯では駐車場もまだ10台前後。10分で準備を済ませすぐに出発。筑波山神社の階段を登り本殿にお参りをしてから、登山ケーブルと並行する登山道を登りました。登山者の数は少ないのですが、そのほとんどに抜かれてしまいました。


 ケーブルカーの線路が登山路のすぐ傍を走っています。


 登山道はこんな案配。これも途中から傾斜もきつく、丸太の階段が多くなります。岩もゴロゴロ。しかも何百年も多くの登山者の足で磨かれ続けたため、見事にツルツルです。雨でも降ったら下りが大変なことになりそうです。そんなときは迷わずケーブルカーに乗りましょう。
 傾斜がきつくなる手前から登山道を外れ、右に入る細い脇道に入ってみました。こんな山だから地元の山好きが作ったマイコースがあるはずで、この道もその類と踏んだのですが、どうやらこちらの判断が間違っていたようで。行けども行けども高度は上がらず、途中から完全に獣道になってしまいました。仕方がないと稜線目指して強引に藪をかき分けて直登。稜線に出てもそこは笹の密生地で人の歩いた気配も無し。頭上にロープウェーの索道が見えて、岩場を右から巻くと一般登山道に出て、そこが屏風岩下であることが判明。


 屏風岩からは目前に女体山とロープウェー駅が真近に見えて、なんじゃこりゃ新コース発見かいな。となった具合でした。ここで新たな発見。筑波山もコースを選ばず勝手に登れば、軽い日帰りで自由気ままに登れる山なんだということを。とこんなことを皆がやったら筑波山が壊れてしまう。ここは山全体がご神体なので、やはり既存のコース以外は登らない方が良いでしょう。反省しました。


 女体山山頂には午前8時40分着。駐車場を出てから丁度2時間かかりました。山頂からは白く雪を被った日光方面の山々が奇麗に望まれました。


 現在女体山山頂には岩場には上がれないように柵が巡らしてあります。あの岩の上に立って周囲を眺めるのが快感なのです。が今はそれが出来ない。残念です。


 これはガマ石。ガマに見えるかなー。


 筑波山にもこんな立派なブナの大木があります。


 御幸ヶ原と男体山。女体山より低く860m。女体山は877mです。正月3日。この時間だと登山者の数もまばらです。土産物屋や茶店もまだ開いていませんでした。


 下山はケーブルカーに沿った御幸ヶ原コースを下りました。このコースでは見事な大杉が見られます。筑波山は女体山弁慶岩コースを歩けばわかりますが森が大変立派です。霊山として古くから伐採が行われてこなかった山なのでしょう。


 男女川の水源を指す説明板が立っています。このコース唯一の水場です。


 男女川の水源は岩の下から出てくるこの小さな湧き水です。


 下山して駐車場に戻る道の脇に紅梅が咲いていました。そういえば近くに筑波梅林がありました。駐車場に戻ったのが午前10時40分で、弁当を食って11時20分に帰路につきました。この時間になると参拝の人たちで神社は賑わっていました。いくつかある駐車場にも車がいっぱい。駐車場に入り切れない車が道路に列をなしていました。下る途中の道路には渋滞の車がどこまでも続いていて、こちらはそれを横目にスイスイと走り、昼の12時50分には自宅に帰り着きました。




 

連休の真ん中、裏妙義山へ行ってきました。

2020年11月23日 | 登山
 紅葉のピークは過ぎていましたが、3日連休ということもあって、妙義湖畔の元国民宿舎周辺には沢山の車とキャンパーがいました。国民宿舎の駐車場も満杯で、かってテニスコートが登山者の駐車場として提供されていたので、そこに空きがあったため駐車セーフと相成りました。


 籠沢は鬱蒼としていて陰気な沢ですが、途中から足場も悪くなってきて、鎖場も現れます。入山者が多く順番待ちの登山者も出るほどでした。


 沢の中ほどに大きな岸壁が両岸から迫って谷が狭くなった所が木戸で、右手の岸壁にクライマーが数名取りついていました。妙義山の岩は岩質が悪くクライマーには敬遠されていましたが、最近はルートもいくつか開拓されて、結構登られているようです。


 木戸周辺も楓の紅葉が見ごろとなっていて、ここまで来て紅葉見学だけやって帰るのもいいかもしれません。


 登山道の途中に今も形を崩さずに残っている炭焼窯がありました。少し手を加えるだけでまだ使えそうです。


 丁須岩基部まで登ると案外近くに浅間山が望めます。手前の尾根の木々たちが紅葉していると素晴らしい眺めを得ることが出来るのですが。


 丁須岩の基部まで上がると表妙義山のギザギザ尾根が目前です。何しろ狭い場所なので10人も登ったらこぼれ落ちてしまうような所です。


丁須岩を背に同行のAさんを1枚パチリ。この後すぐに縦走に移りました


 縦走途中に約20mのチムニー(煙突)があります。我々が下った後、逆縦走のパーティが登り始めました。鎖もありますが慣れない人にとってはきつい場所です。


 赤岩で後ろを振り返ると丁須の頭に人影が二つ見えました。手持ちのカメラが安物なので、これ以上引っ張るとピンボケになるのでこれで止めておきました。


 次の難所が赤岩のトラバース(横断)です。足場板が架けられていますが、最近相当痛んでいます。支持杭が破損していたり、足場板が落ちて無くなっていたりと、この分では普通の登山者は通行不能になるかもしれません。


 ここでも1枚Aさんにモデルになってもらいました。結構怖かったようです。


 三方堺から国民宿舎に戻る道はカエデの紅葉が見事で、このまま下山するのが惜しいくらいでした。


 青空と紅葉。月並みな表現しかできませんが、本当に見事な紅葉でした。今回はこれを見れたことだけでも来た甲斐がありました。








四国石鎚山に登って来ました

2020年11月04日 | 登山
 日本七霊場のひとつで深田百名山にも選ばれている四国の最高峰です。画像は弥山から天狗岳を撮ったものです。紅葉は既に終わっていました。


伊予西条駅から乗ったバスには私の他に山登りの女性が一人だけ。その人は途中で降りたため乗客は私一人になってしまいました。成就まで上がるロープウェイも私一人でした。どうやらこの山は土、日のみが繁盛する山らしいです。


 成就まで一気に上がってしまうロープウェイは流石に便利です。標高1300mまでが紅葉の見どころで、それ以上は紅葉の最盛期は過ぎていました。


 ロープウェイ駅から成就石鎚山神社中宮まではドウダンが真っ赤になっていました。


 歩き易い落ち葉の道が中宮まで続いています。


 石鎚山神社中宮です。誰もいなくて静かなものです。でも猫がいました。


 この日は成就の白石旅館に泊まりました。三軒ある旅館で営業中はここだけでした。そしてここでも宿泊客は私だけでした。晩飯は豪華版。おかずだけでも13種類もありました。お風呂もあって湯船に満々と湯を張ってのんびり山の湯を楽しみました。ビールを飲んでマンガ本を読んで午後9時に就寝。


10月31日午前6時20分山頂に向けて出発。まだ薄暗い中を神門に向かいます。


 神門を潜るといきなり下り坂です。木の階段をもったいないほどずんずん下ります。


 通称八丁坂の下りと言われる下りの途中に遙拝所の鳥居があります。頂上まで行けない人はここから引き返せと書いてありました。鳥居の間から石鎚山が僅かに望めます。


 八丁坂を下り終えると正面に山頂が姿を現します。このあたりで陽が登り始めました。改正の空とかろうじて残った紅葉が奇麗でした。


 八丁暗部から今度は急階段です。この階段登りがきついです。それにしても良く作ったものです。


 階段登りの苦行の後にいよいよ「鎖禅定」の始まり。まず試しの鎖約50mです。太い鉄棒を曲げて加工したものを繋いで作られています。つなぎ目は靴が突っ込める大きさなので、ツルツルの岩場ではここに足を突っ込んで登ります。こんな重量物をどうやってこんな高所まで持ち上げたのか不思議です。ヘリコプターもクレーンも無い時代にです。


 登り終えたところが岩塔になっていて、この上に立つとその眺めのいいこと。正面に石鎚山がバッチリです。ここから休憩所のある暗部までの下りの方が緊張します。


 岩塔から見た石鎚山です。


 暗部にある休憩所です。今は無人で何もありませんでした。


 一の鎖からさらに二の鎖と続きますが、これは長いです。80mくらいはあるでしょう。部分的に垂直に近い所もありました。いくら頑丈な鎖でも手を離したら終わりなので緊張します。


 三の鎖で親子三人のパーティに追いつきました。4歳の女の子が元気にクサリと格闘していましたが、写真を撮り忘れました。写真の人はその子のパパさんです。


 三の鎖は弥山頂上に直接突き上げています。これも長い鎖です。しかし4歳の子はここも自力で登り切りました。このこのパパは勇気があります。


 頂稜の木々は霧氷に輝いていました。やはりこの高さだと朝は相当気温が低いことがわかります。


 弥山頂上には石鎚山神社上宮が祀られていました。


 弥山山頂は広くて結構な登山者で賑わっていました。夕べから山頂小屋に泊まっていた人たちでしょう。


 山頂からの眺めは雄大です。二の森がなかなか立派です。次に来る機会があったら面河の方から登ってみたいものです。


 そして最高点の天狗岳まで足を延ばして、お粗末な私自身を記念に一枚。


 天狗からの戻りでかの4歳の女の子に会ったので、パパの承諾を得て一枚撮らせてもらいました。この子は将来日本を代表する名クライマーになるでしょう。今回の山行の一番の収穫でした。





 


九州英彦山に登ってきました

2020年11月02日 | 登山
 10月25日に福岡県田川郡添田町と、大分県中津市の境にある英彦山に登りました。英彦山は九州修験の総本山。古くから霊山として信仰の対象になってきた山で、出羽の羽黒山、大和の大峰山と並んで日本三大修験道場とされてきた山です。画像は英彦山中岳に建つ英彦山神社上宮です。


鹿児島本線久留米駅から久大線日田駅まで乗った特急ゆふ号です。


日田は山の町とは思えないほど大きな町です。ここから日田彦山線に乗り換えるわけですが、現在この線は不通になっていて、代わりに添田まで代行バスが出ています。


日田~添田間を走っている代行バスです。この日乗っていた客は私も入れて4名だけでした。


彦山駅です。現在は無人の駅になっています。ここから登山口の銅鳥居(かねのとりい)まではタクシーを使いました。


正面登山口の銅鳥居です。重要文化財になっています。佐賀藩主・鍋島勝茂の寄進によるものと言われます。


その銅鳥居に架かる扁額は、霊元法皇の宸筆によるものと言われます。


参道の両脇には英彦山信仰の華やかなりしころの坊跡が並んでいます。


奉幣殿への石段は一段ときつい登りです。兎に角階段が多いです。


奉幣殿は細川忠興公の寄進によるものとされ、国宝になっています。


中宮で出会った山伏さん二人。なかなか恰好いいです。法螺貝を吹き鳴らしてくれました。


稜線がちかくなると紅葉もきれいでした。


英彦山は北岳、中岳、南岳の三峰があり、英彦山神社上宮は中岳にあります。これも佐賀藩主鍋島勝茂の寄進と言われます。しかし今は相当痛んでいます。山頂からの眺めはまずまず。


最高峰の南岳山頂です。標高は1200mです。