山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

猛暑が続く8月16日は奥多摩水根沢で水浴びをしてきました。

2020年08月17日 | 登山
 何と言ったら良いのか、毎日体がそのまま沸騰してしまいそうな今年の夏。暑さに耐えるためだけに、体の全エネルギーを消費している感じです。コロナ騒ぎで外出は控えるようにと、お国のお偉いさんがおっしゃっていますが、とてもじゃないがそうそう家にばかり閉じこもってはいられません。という訳で去年も行った水根沢へ、クラブの70歳と64歳の昔お嬢様二人を誘って出かけました。二人とも沢登りはズブの素人。恐々と渓流に足を踏み入れて、もう最初から腰までの水中散歩となりました。


 入渓して間もなく第1の滝、第2の滝と表れて、早速泳ぐハメになってしまいました。頭上にワサビ田への丸木橋を見上げ、ひきつった顔になりながらも何とか前進します。


 そして最初のゴルジュ。その手前でお二人さんはまだ余裕を見せておりましたが、ゴルジュの中は泳ぎの連続。でも二人は頑張りました。


 更に第2のゴルジュの難しいナメ滝も必死の思いで乗り越えて、迫力満点ゴルジュ最後の大滝は何の心配もなく登り切りました。
ワサビ田の見張り小屋が沢の右岸に建っています。ここまで来れば水根沢は残り少なくなります。が相変わらず水の中の歩行が続き、最後のゴルジュ帯に入ります。


 そのゴルジュ最後の滝が水根沢の一番人気、半円の滝です。ここは流石に初心者の昔娘さんには無理なので、右岸から超えてもらいました。


 その半円の滝を登る別パーティを滝上から撮っておきました。この滝を登れば終了点はすぐです。沢はさらに続きますが、水根沢の面白いところはここまでなので、荷をまとめて後は鷹ノ巣山登山道を、30分で駐車場に戻って終了ということになりました。私たちの隣の車が富山ナンバーで、しかも最後に前後して登っていたパーティでした。
この日は本当に久しぶりに汗をかかずに済んだ一日でした。70歳のAさんは頑張り屋です。水を恐れず滝つぼも瀞もどんどん泳ぎます。64歳のKさんはちょっと気が弱く、最後まで緊張が取れなかったようです。しかし帰りの車の中では大はしゃぎでしゃべりあっていました。


今回は鎌倉古道山の道旧正丸峠コースを正丸駅から歩いてみました。

2020年08月03日 | 登山
 先週は同コースを横瀬駅から二子山を越えて、正丸駅を目指しましたが、結局二子山西面の小島沢源頭でコースを誤り、反対側の初花へ下ることはできませんでした。そこで今回は反対の旧正丸峠側から二子山へ行くことにしました。何だか小さな冒険に出かけるようで、いい年こいて久しぶりに少し高揚しました。
 西武線正丸駅までマイカーを使い、駅の駐車場に駐車しましたが、先週同様今回も無料でした。未だに自動の駐車券販売機が故障したまま。有難くその機械に両手を合わせ、お礼を言って後にスタート。電車から降りた殆どの人が伊豆ケ岳に向かうのに、私は駅前から国道に出る手前に立つ案内標識に促されて旧正丸峠へ。


 正丸駅から国道を正丸トンネル方向へ400mほど歩くと、左に高麗川に下る道があり、それが旧正丸峠への道で、途中小さな村落を抜けて行きます。道路わきには小さなお堂。民家の屋根には猫が一匹こちらを睨んでおりました。



 間もなく舗装の道が未舗装の林道に変わり、路傍に苔で青くなった古いお地蔵さんが立っておりました。その先で道は杉の森に入って行き、暗い陰気な登りが暫く続きます。

 途中,道の両側に大きな岩が門のように立っている間を通り抜けて行きます。
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更に登って行くと、正丸峠を経て秩父市へ行く国道を横切ります。

 旧正丸峠には先着の2人がいました。正面の階段は虚空蔵峠を経て丸山へ行く道です。初花へは左の道です。

 旧正丸峠に立つ案内板です。

 旧正丸峠の峠道は恐らく昔と変わっていないのではないかと思います。牛や馬も通った生活の道だから、勾配もゆるく大きくジグザグを切った歩き易い道になっています。森の様相は飯能側が深い杉の森になっており陰気な感じですが、横瀬側は反対に明るい広葉樹の森になっています。
 南沢の渓流に沿って下る途中に、横瀬町が設置した新しい標識が立っていました。


 南沢の林道に出た所に、杉の間伐材で造られた堰堤があります。ここからは広い林道歩きとなり、横瀬川と合流する所に架かる南沢橋に着くと、国道299号はすぐでした。ここまで正丸駅を出発してから丁度2時間かかっていました。

 横瀬側の旧正丸峠入り口です。

 旧正丸峠入り口から国道299号を正丸トンネルの方へ約300m歩いたところで、右に二子山へ行く道が分かれていて、茶畑があって民家が一軒建っています。

 この道はすぐにゲートで塞がれていて、現在NTTの専用道路になっており、関係者以外は立ち入り禁止になっていました。この道の通行を必要とする人は、横瀬町役場の方へ連絡するようにと掲示がありましたが、今日は日曜日でもあるし役場はお休みで、連絡はどうせ取れないだろうと、無許可で通り抜けました。

 この道は二子山雄岳の直下まで行き、さらに甲二田山まで延びている舗装された立派な道です。

 道路脇の崖が青い苔にびっしりと覆われてなかなか立派です。

 地図上の標高650m位置が二子山のコルに至る破線の道の分岐で、それが写真の場所だと思いましたが、念のために荷を下ろして空身で先まで歩いてみました。地図上の750m地点でトンネルに出会ったので、そこからさっきの所まで引き返し、鬱蒼とした杉の森の中を真西に向かって登りましたが、どういう訳かトンネルのすぐ手前に出てしまいました。

 自分の方向感覚がおかしいのか、地図がおかしいのかわかりませんが、兎に角トンネル位置から右にトラバースすれば地図上の破線に乗れるはずと、しっかりしたけもの道を辿り、浅い開けた沢の地図上750m地点に出てそのまま直上して行くと、ピッタリ二子山のコル到達しました。

登って来た沢を見下ろした所です。結構きつい斜面です。

これは反対側の小島沢側です。こちらの方が傾斜もきつく悪相です。

 取りあえず雄岳の頂上まで登っておきました。

 小島沢源頭は傾斜もきつい上に、足場が悪く一時も気を許せない下降になりました。一か所安全を図ってロープを使用し懸垂下降までやりました。

やっと水流が現れ、荒れた沢を下る内、赤いテープが現れて後はそれを頼りに下降を続けました。沢を左岸から右岸に移り、杉林の中の踏跡を見つけ、前回自分が道を見失った時の、見覚えのある場所に下り着きました。

 そして間もなく小島沢の最後の橋に到着。ここからは前回歩いて来た道を下り、小島沢が横瀬川に合流する地点で国道に出て、後は前回通った道を横瀬駅まで歩いて今回は終了です。駅到着が午後3時42分でした。

 旧道沿いには根古屋城跡があり遊歩道が作られているので、山城に興味のある人は寄ってみるのも良いでしょう。

 旧道が西武線鉄道と一番近くなるところに、武甲山参拝路の大きな石柱が立っています。正面には立派な武甲山が聳えています。正面の道が武甲山表登山口への道であり、鎌倉古道の妻坂峠越えの道です。また秩父札所西善寺への巡礼道でもあります。

 横瀬駅近くから見た二子山で、今回越えてきたのが二つ並んだピークの間です。興味のある方は越えてみたら良いでしょう。歴史の道です。

鎌倉街道山の道・旧正丸峠のルートを横瀬駅から追ってみました。

2020年07月29日 | 登山
 秩父市から鎌倉へ通じる峠として、旧正丸峠、山伏峠、妻坂峠の三つがあるということで、そのうちの一つ、妻坂峠は今年3月に皆野から名栗まで歩きました。このコースは三つの峠越えの中で一番無理のないものだと思います。
 さて山の道を小田急線町田駅まで歩いたところで、残りの部分は上の道と重複するため後に回して、上記の三峠の内一番気にかかっている、旧正丸峠コースを歩こうというところで、今回のコロナ騒動が始まってしまいました。
 延々待つこと4ケ月。長い梅雨がまだ終わらぬ7月26日、何とか雨にならねば良いがと念じつつ家を出ました。そして西武線横瀬駅を出発したのが午後0時40分と、どうみても山登りには遅すぎる時間。今日二子山だけでも越えることができれば十分と考えていたため、さほど心配はしていませんでした。写真は横瀬駅前から見た雲に覆われた武甲山です。


旧正丸峠コースは横瀬川の支流、小島沢を詰めて二子山の雄、雌両岳の間を抜けて初花へ下り、そこから旧正丸峠に上り返すという、結構厳しそうな道。国土地理院2万5千分の1地形図にも破線で沢沿いに道が記されている。ただ奥武蔵のガイドブックを開いてみても、そのコース案内はどこにも見当たらない。しかし山と高原地図には一応破線は入っているので、踏み後くらいはあるだろうの、軽い気持ちで国道を離れて小島沢沿いの林道に足を入れました。生憎気になっていた雨が降り出したため、石灰岩砕石工場の屋根の下でカッパを着込んで、更にビニールの雨傘を広げて調子よく再スタート。写真は小島沢に入ってすぐに表れる石灰岩砕石工場です。


 最初の小橋を渡り、さらに進むと第二橋。此のあたりから林道は荒れ果てた道となり、車はおろか人間が歩くにも一苦労。倒木が道を塞ぎ崖からの落石が道を覆っている。小島沢の銘が入った小橋を渡り最後の小橋で林道は終わり。後は人が歩けるだけの細い道が続き、それもガレ沢が現れたところでプッツン。道が無くなっても沢に近いところを登って行けば、二子山のコルには行けるはずと、気にもせず膝までの草をかき分けて登って行くうちに、登りの傾斜がきつくなり始め、歩きやすい所を選んで登っているうちに、左の小尾根に追い上げられて、結局そのまま稜線まで登ってしまう羽目になってしまいました。写真は小島沢に架かる最初の小橋です。


 小さな橋に小島沢の銘が入っています、


 二子山稜線に出るまでの小尾根はこんな調子です。しかし傾斜はきつく40度から50度くらいはあります。


 結局今回はルートを見失い失敗ということになりました。雨は上がりましたが、稜線に出たときは全身ずぶ濡れ。幸い今の時期の雨は冷たくないので助かります。稜線着が午後3時30分。横瀬駅から2時間50分かかっていました。写真は雨の上がった武甲山です。


 帰りは770mピークから岳の沢コースを下り芦ヶ久保駅に出ました。このコースの最初の下りはメチャ傾斜がきつく、その上ツルツル滑るためロープ頼りとはいえ大変です。
 余談ですが、車を置いた正丸駅の駐車場の料金精算機が現在故障中です。まだ修理がなされていませんので、現在のところ駐車料金はタダ。
 次回は旧正丸峠の方から二子山へと逆コースで歩いてみます。このコースが実際鎌倉古道の一部として利用されていたとは信じ難いのですが。


今年最初の山が奥武蔵の伊豆ケ岳ということになりました。

2020年01月26日 | 登山
 令和2年になり山が少し遠くなりました。私の山のクラブでも何となく腰が重くなってきたようで、今日も本当はクラブの定例山行日になっていたのですが、実行日の一週間近くも前に天候が思わしくないということで、早々と中止となってしまいました。
 その代りという訳ではありませんが、今月は3回も映画の観賞に行って来ました。今話題の韓国映画「パラサイト・半地下の家族」とクリントイーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」。24日から銀座シネ・スイッチで始まった「イーディ、83歳 初めての山登り」です。やはり印象に残ったのはイーディ初めての山登りです。スコットランドのスイルベン山に登頂するまでの苦労がリアルに描かれています。 と話がずれましたが、天候の方は良い方向に向かうと判断して、のんびり車で家を出て伊豆ヶ岳に向かいました。正丸駅に車を置いて出発した時は既に11時過ぎ。


 駅を出るとすぐに階段を下るわけですが、この階段はどういう訳かステップが斜めに造られており、えらく下り難いのです。何とか真っすぐに造り変えてくれないかな。


 階段を降りると西武線のガードを潜って右に登って行きます。西武鉄道がまだ吾野が終点だったころは、バスが正丸峠を越えて走っていたので、伊豆ケ岳に登ると言えば正丸峠が出発点でした。


 トンネルを過ぎて一車線しかない坂道を登って行くと、右に恐ろしく急な坂道の住宅地があります。雪の積もった朝など車は滑って登れないんじゃないかと心配になります。


 坂道の途中には50m間隔で滑り止め剤が置いてあります。がまだこの冬は雪が降らず出番はないようです。


 安産地蔵尊を祀ったお堂があります。明治の廃仏毀釈で地蔵を他に移そうとしたところ、地蔵が頑として動かず、結局お堂を建てて祀ったということです。面白いですね。


 中丸屋という茶店ですが、冬場は登山者も少ないので休業中です。梅が咲くころには開店するでしょう。


 大岩が左にあってここが伊豆ケ岳と正丸峠への分岐です。新正丸峠と旧正丸峠とがあって、こちらは新正丸峠への分岐になります。


 伊豆ケ岳への登山道を登って行く途中から名栗少年自然の家へ向かう道が分かれます。この道は正丸峠と伊豆ケ岳を結ぶ縦走路上の大蔵山に通じており、直接伊豆ケ岳に向かう道より登りやすい道なので、今回はこの道を登りました。ただ分岐の指導標は壊れていました。


 大蔵山の頂上にある指導標です。ここは左に向かいます。


 伊豆ケ岳頂上手前で道は二つに分れて、右は女坂、左は岩場の男坂。男坂は高さ約80mから90mの岩場になっており、頑丈な鎖がぶら下がっています。ただここは死者が出たこともあって現在原則通行禁止となっています。禁止とは言っても登る人は結構いるようです。今回私もこのコースを使わせていただきました。(申し訳ありません)写真は男坂の上部です。


 山頂には昔茶店がありまして、おばあさんが店番をやっていました。子供が来るとリトル坊やなどと言って笑わせていました。イングリッシュばあさんと呼ばれて人気がありましたが、亡くなって数十年も経ち知っている人も少なくなりました。今はレリーフにその顔と名前が刻まれており、私達ハイカーの安全を見守っていてくれています。


 伊豆ケ岳山頂の三角点は本当の山頂より1~2m低い所にあります。国土地理院2万5千分の1地形図では、山の標高は三角点の上の面と言うことになっていますが、現在はそうでもないようです。


 昨日までの予報では雨が降るという予報もあったのに、山頂に着いた頃から青空も広がり始め、太陽まで顔を出すという良き登山日和になってしまいました。風も無く穏やかな山頂で、たった一人寂しく昼弁当を食べました。北の方を見れば遠くに白い稜線が認められ、あれは確か谷川連峰と一人納得。




 下山途中小さな谷川に細いながらも滝が幾本か認められ、ちょいとした山に来た感じが致しました。いやほんと。登山タイムは正丸駅発11時10分。山頂着13時.下山開始13時半。正丸駅着が15時でした。


吾妻八景の一つ、岩櫃山に登って来ました。

2019年10月28日 | 登山
 本当に雨の多い秋になってしまいましたが、11月最後の日曜日に群馬県東吾妻町の岩櫃山に登って来ました。JR吾妻線郷原駅から登りましたが、登山口までのアプローチがとても気に入りました。駅を出てすぐ旧街道真田道(長野街道)に入りますが、もうこの辺りから古道歩きのいい雰囲気が漂ってきます。


 旧真田道沿いに屋根に煙り出しの付いた大きな家があります。昔の人はこの道を歩いて草津温泉や花敷温泉へ行ったのでしょう。


 密岩通り登山口への途中から見上げた岩櫃山は正に岩塔です。これどこから登るの?


五合目と書かれた標木から稜線に出るまで鎖場が続き、稜線に出ると細い岩稜に取り付けられた鎖などもあって、そこそこにスリルも味わうことができました。


803mの頂上は狭い岩の頭です。しかしここからの眺めは最高です。


 眼下には吾妻川が流れ、山麓の家々の屋根がすぐ下に見えます。


 東の方を見れば小野子山や子持山の向こうに赤城山も見えます。


 また南の方には榛名山を望み、手前には東吾妻町の家並みも見下ろせます。


 下山はいきなり鎖を伝って下ることから始まります。この山も鎖を頼っての登高が多く、ミニ妙義山といったところです。沢通りコースを下りましたが、両岸を崖に挟まれた陰気な上に足場の悪い道でした。



 岩櫃城本丸跡を通って平沢登山口へ下りました。下る途中でマムシ草発見。平沢登山口から群馬原町駅まで予想以上に長く感じました。駅から駅へ歩いて登って来ることの出来る、程よいスリルを味わうことの出来る良い山でした。


裏妙義丁須岩へ行って来ました。

2019年10月21日 | 登山
 台風19号が去って一週間、久しぶりの山登りで裏妙義に登ったのですが、山全体がたっぷりと水を含んだ感じで、登っていてあまりいい感じではなかったというのが本音です。


 登山口の登山届を入れるBOXも倒れていて、のっけから気分をそがれてしまいました。


 御岳山コースはいきなりシャワークライムから始まってしまいました。普段は水のない所に大量の水が滝になって落ちており、掴むクサリも濡れてズルズル滑り、足元も流れる滝水のおかげで良く滑るわで、岩には慣れているつもりの私も些か緊張しました。


 濡れてヌルヌル滑る苔の付いた岩や、泥壁やツルツルに磨かれたスラブルンゼのトラバースなどなど、これが一般コースかいなと、悪態をつきながらの登りの末、やっと稜線に出たところで普通の登山道に変りました。間もなく飛び込み台と呼ばれる展望所に着いて、眼下に横川の鉄道博物館や碓氷川の流れを見下ろしながら一服。


産泰山に向かって登る途中、目の前にヤマカガシ(だと思う)が登場。怒ってエラを目いっぱい広げて立ち上がっています。ヤマカガシは水っぽい所に多いと思っていましたが尾根上にもいました。なかなか逃げなくて3分ほどにらみ合っていましたが、その内敵さんの方から消えてくれました。


こんな所にこんな大きな岩小屋が。10人は十分に寝ることができます。かなり古くから使用されていたようです。


 稜線に出てもまだまだこんなクサリ場が現れてきます。


 御岳山の頂上にある標識ですが、字が消えかかっています。


 御岳山から望む鼻曲山と浅間隠山です。右下に中山道坂本宿が見えます。


 国民宿舎からの道と合流する所です。丁須岩へは右ですが急な一枚岩のトラバースがあります。もちろんクサリは取り付けてあります。


 取りつきから見上げた丁須岩です。いつもは乾いている岩が今回は濡れて滑りやすくなっていました。


 丁須岩から見た表妙義鷹戻しから星穴岳の鋸のような稜線です。


 丁須岩から横川駅への下山ルートは、いきなり長いクサリに頼っての下降です。濡れた落ち葉と苔のお蔭で良く滑りました。


 鍵沢コースは大変荒れていて道とは名ばかり。御覧のようにどこが道やら。


 第二不動滝下までは気の抜けない道が続き、この滝も水量が増えていて水に濡れながら一番左の方を下りました。
今回の登山では私以外の登山者は見かけませんでした。不安定な天候が続くこの秋は、山に向かう気も湿りがちになります。まして裏妙義というマイナーな山では尚更です。鍵沢は山ヒルが多いので今回もやられる覚悟でいましたが、幸い何事も無く終わりました。やはり妙義山の登山は晩秋から初冬にかけてがベストだと思います。登山タイムはスタートが午前7時50分。丁須岩午前11時30分。再び登山口に戻って来たのが午後2時20分でした。ロープなどの岩用具も携行しましたが使用せず。初心者同行の際は必要になります。
                                           

9月のクラブ山行で千曲川源流の天狗山、男山へ行ってきました。

2019年09月10日 | 登山
 7日土曜日の昼に大宮を出て、野辺山の滝沢牧場のキャンプ場でテントを張って一泊。翌日の8日に天狗山と男山に登って帰って来ました。心配した台風15号の影響もなく、素晴らしい青空の元で八ヶ岳や、秩父の山々の大パノラマを楽しみました。ほとんど貸し切り状態のキャンプ場で、夜は相変わらずの酒飲み話しで憂さ晴らし。
 滝沢牧場は観光牧場なので、多くの観光客で賑わっていました。乗馬を楽しむ人や、名物のバーベキューに、ソフトクリームを食する大人や子供たちなど。


 滝沢牧場のテント場は敷地の南端にあって、林間の静かな所です。オートキャンプ場と違い、静かにキャンプだけを楽しむには打ってつけです。


 牧場から小海線信濃川上駅まではマイカーで20分ほど。そこからバスに乗換えて大深山中央バス停で下車。ここから天狗山に向かいます。このコースは現在あまり利用する人がいないようで、道標もほとんど無く加えて踏み跡も消えてしまっており、途中方向を誤ってしまい、大分時間と労力を無駄にしてしまいました。しかし野菜畑の先に立ちはだかる天狗山はとても立派です。天狗山へは南相木村へ越える車道があり、それを使って馬越峠から稜線通しに歩いて行く、というのが一般的なようです。


 道らしきものもない林の中の一直線の急登。今どきこんなところを登る奴は我々くらい。


 天狗山からは八ヶ岳連峰が望め、その手前に男山が見えます。


 天狗山1882mの山頂です。いつも同行してくれる元気なS君です。


 男山から見た天狗山。後方の山は奥秩父の甲武信岳から十文字峠に続く稜線です。


 男山1851mは展望に優れた山で、周囲360度何の遮るものも無く、胸の透くような大展望が開けていました。八ヶ岳の裾野に広がる、高原野菜の畑の広がりに圧倒されます。この日この山頂に立ったのは、我々を含めたったの5名でした。


 男山山頂から野辺山の方向を見下ろしたもので、このころには八ヶ岳山頂部分は雲に覆われてしまいました。

熊倉山に登って来ました。

2019年08月24日 | 登山
 熊倉山は秩父山系では遭難の多い所と聞いています。それも道迷いによる遭難が多いとか。標高は1427mとさして高い山でもなく、東京圏では日帰りの山です。ただ奥多摩や丹沢などに較べると、登山者の数は圧倒的に少なく、私が登った今回でも、下山中日野コース途中にある官舎跡で、10名ほどの一団に会っただけです。登山者が少ないことに加え、山頂まで樹木に覆われたこの山は、展望を楽しむなどは無理です。加えて斜度がきつく、特に大肌尾根の城山コースは泣かされます。このコースで道迷いはほとんど無いと思われますが、獣道の多さが気になります。多分猪がメインだと思われますが、登山道と間違えそうなものがいくつかありました。城山コース登山口まで林道を走っていたら、子供の猪が道でフラフラしていましたから、結構猪は多いのでしょう。下山が遅れて暗くなると登山道と獣道の判別に苦労すると思います。地図によっては谷津川林道がまだ登山道として記入されていますが、今は廃道になっていますので、熊倉山の登山道としては城山コースが一番安全でしょう。


 急斜面の杉林の中は獣道が縦横に走っています。夜になると猪などが走り回っているのかも知れません。


 登山道にはこのようなしっかりした道標が設置してありますから、コースを間違えることは無いと思います。支柱の下の方にナンバーが記入されていて、山頂の標識がNo1になっています。この数字が減っていくことで、頂上までの距離も短くなっていくわけです。


 熊倉山山頂です。三角点と山頂の標識が立っています。樹林の中なので展望は無し。南北に細長い山頂の南端に酉谷山への道標があります。登山口から山頂まで私の足で2時間半かかりました。ガイドブックによっては2時間というのもありますが、私の足では無理です。


 下山は日野コースを使いました。こちらの方が傾斜も緩く歩くのは楽です。途中笹平の水場があって、そこの水は冷たくて美味しいです。樹林の中は苔が美しい所もありました。


 道が寺沢の沢床を歩くようになると、渓流と共に小さな滝なども出てきて雰囲気は良くなるのですが、道は荒れており途中何度も沢を渡り返します。丸木橋は完全に朽ち果ててしまったものがあり、実際渡れた橋は2か所のみでした。
 最後に朽ちた丸木橋が2本あり、そのどちらも渡るには危険なので、飛び石伝いに通過しまして、林道に上がったところで登山は終了です。この後未舗装の林道を20分歩き、城山駐車場に通じる、舗装された林道を10分で最初の登山口に戻りました。城山登山口から登り、日野コースの登山口まで4時間半、さらに城山登山口まで30分かかったので、計5時間の行動でした。(休憩も入っています)私にとっては静かでとても良い山行でした。但し恐ろしく蒸し暑い日でした。(登山日8月18日)

追記 55年前埼玉国体山岳部門のコース下見で、浦和渓稜山岳会の先輩Yさんと、秩父鉄道白久駅から谷津川林道を歩いて熊倉山に登りました。その後酉谷山まで歩き奥多摩の日原へ下りましたが、当時熊倉~酉谷の間には藪漕ぎもありましたが、細いながらも道は通じていました。国体前に道が開かれましたが、その後この間を歩く人も減り、一時は廃道同然になってしまいました。
 

猛暑を避けて奥多摩の沢で水浴びをしてきました。

2019年08月10日 | 登山
 兎に角クソ暑い。家にいると一日中エアコンと扇風機をかけっぱしでいなければならず、電気代の費用もかさむ。などと貧乏たらしいグチも出る。そこで同行者無しで奥多摩水根沢へ出かけた次第。写真は同沢の最後になる半円の滝です。
 家を出たのも遅く、入渓が10時半になっていたため、この日最後の入渓者ではなかったかと思います。


入渓して間もなく谷が狭まり、最初の3m滝の後に4mの釜を持った滝が現れます。ここはもう思い切って釜の中行くべきなのですが、こちらとしてはまだ濡れたくないので、左の壁をへつって行きました。


 暫く行くと頭上にワサビ田への丸木橋が現れ、その先の小滝に人が群がっています。早くも渋滞にぶっかってしまいました。


パーティのリーダーの了解をとって、上の写真では影になって見えない左から登って、大部隊を追い越しました。総勢18名パーティでした。この時期水根沢にはこのようなパーティが良く入っています。


 水根沢のほぼ中間部です。小さな滝と釜が連続します。ここまで来ると水は平気になり、臍から胸までの水中歩行はプール感覚になります。


 右岸にワサビ小屋が見えます。ここまでの間にも4mのトヨ状滝や、10mの右にカーブする大きな滝があります。


 最後の半円の滝を登れば、この沢の面白い部分は終了です。この半円の滝登攀中に中間部から滑落して、滝壺にドブンしてしまいました。もう完全にバランス能力も体力も最低レベルに落ちています。しかしそこはオトコ。すぐに登り直して面目を取り戻しておきました。75歳と8ケ月。もう沢登りなど止めた方が良いようですね。
 広い河原に出た所で遡行は終了です。ここまで約2時間。飯を食って靴を履き替えて、左岸の登山道を下り午後0時半に駐車場に戻って来ました。良い涼を取ることができました。




久しぶりの北アルプス・奥穂高岳登山です

2019年07月25日 | 登山
 完全に梅雨が明けきらない7月21日から3日間の穂高岳詣でをしてきました。3000m以上の登山はもうそろそろ限界だと思いますが、頑張って仲間2人と行って来ました。写真は涸沢での一コマです。


 入山時の上高地河童橋。かろうじて穂高連峰が見ています。


 第一日目は横尾まで行ってキャンプです。昼間からもう飲兵衛がおだを上げています。


 翌日の涸沢は曇天で、テント場も数張のテントがあるのみ。数日もすれば2~300張のテントで埋め尽くされてしまうでしょう。


 奥穂高岳へ向かう途中から見た涸沢風景です。前穂高岳は雲に隠れて見えませんが、残雪はまだまだ豊富です。


 相棒の一人S君の奥穂高岳頂上記念写真。この日の登頂者は数人しかいなくて、この時点では我々二人だけの頂上でした。雲の中で何も見えず。


 奥穂高岳登頂の後、一気に横尾まで下りまた酒盛りで二日目が終了。そして三日目、目が覚めたらなんとピーカンの青空で、朝の太陽に照らされた前穂高岳が輝いているではありませんか。こんなことなら昨日無理に下って来なくても、上の小屋に泊まっていれば最高の展望が得られていたのに。悔しがっても後の祭り。


 梓川に架かる新村橋は私にとっては思い出の多い橋。そこでお上りさん宜しく一枚パチリ。


 帰り道の途中で嘉門次小屋に立ち寄って、岩魚の塩焼きを食してきました。日本アルプスを世界に知らしめた、ウォルター・ウェストンのガイドをした、猟師の上條嘉門次の小屋で、明治から現在まで残っている貴重な小屋の囲炉裏で焼いています。後ろの壁にはウェストンから送られた、真っ黒に煤けた鉄砲とピッケルが掛けてあります。現在ひ孫の上條輝夫さんが小屋を引き継いでいますが、今は体を悪くして入院しているそうです。今回穂高へ行った目的の一つに、氏に合う楽しみがあったからです。氏は私と同い年。私の穂高暮らし時代に大変お世話になった人です。


 上高地まで梓川右岸の道を歩きました。左岸の道と違い観光客と顔を合わすことの少ない静かな道です。


 そして最後にカッパ橋でお上りさん宜しくお決まりの記念撮影。何だかんだと楽しい穂高岳登山でありました。

57年前の屋久島宮之浦岳登山の様子です

2019年07月18日 | 登山
 57年前の屋久島宮之浦岳登山は、海外遠征に行くような感じでした。何しろ屋久島には港が無く、波の高い日には鹿児島港を出る船は欠航になる始末。屋久島便は週2便あり、その一つが貨客船の永田丸でした。果たして私達が乗った船も鹿児島港を船出して、錦江湾を出たところで港に引き返してしまいました。その晩は船内に泊めてもらい、翌日やっと出港して屋久島に着きました。しかし港が無い上に太平洋の波は高く、接岸は不可能で島から迎えに来た小舟に飛び移るという、スリル満点の経験をしました。
 船は宮之浦に着いたため、当時宮之浦と安房を往復していたバスに乗り安房まで行きました。着いた安房には宿が無く、小学校に泊まりました。当然乗り物を利用して高度を稼ぐことなどは考えられず、海岸から山頂まで歩くことになります。


 安房から小杉谷まで、伐採した屋久杉を運ぶためのトロッコが走っており、私達はひたすらそのトロッコ道を登り、夕方小杉谷に着きました。当時小杉谷は屋久杉の集荷地として沢山の人が働いており、小学校までありました。現在は無人化して小学校の門だけが残っています。屋久杉を運ぶのには、上の写真の通り大きな屋久杉に跨り、トロッコのスピードを調整しながら山を下って行くのです。狭いトロッコ道ですから、トロッコを避けるために山側に張り付いてやり過ごすのです。しかし結構怖かった記憶があります。


小杉谷では作業場の宿舎に泊めてもらいました。2食付きで弁当まで作ってもらい200円だったことを覚えています。暗い内に小杉谷を出て、花之江河経由で宮之浦岳に登頂しました。5月のゴールデンウィークだったにも拘わらず、登山者は我々三人のみで、他の登山者は一人も見かけませんでした。頂上近くにはまだ豊富な残雪があり、傘をピッケル代わりにグリセードをして遊びました。登頂したその日だけ好天に恵まれて、緑のヤクザサと点在する花崗岩の岩塔、そして残雪の白、さらに太平洋の青い海の色など、今も思い出すことが出来ます。
 写真は花之江河で撮ったもので、左から永松、広松、私です。残念なことに山頂で撮ったものがありません。下山は小杉谷からトロッコに乗せて貰い安房まで下りました。これはスリルがありました。下山後安房で船待の間、2日間小学校に泊まり、その間釣りをして時間を潰しましたが、売るほどの魚が釣れました。

 その後ずっと時間を置いて屋久島を訪れましたが、良き時代の屋久島は無くなっていました。もう行くことはないでしょう。

鬱陶しい梅雨ど真ん中に日光白根山に行って来ました。

2019年07月08日 | 登山
 梅雨の時期に登山は適していないと思う向きもあるでしょうが、案外この時期の登山はいいものです。登山者も少ないし、綺麗な青空は望めなくても、静かに流れる霧の中を歩くのも心地よいものです。写真は菅沼コース途中にある弥陀ケ池の木道です。


 途中の岩場には可憐なイワカガミが咲いていました。


 日光白根山山頂です。ガスに包まれていますが、風も無く薄日も覗く穏やかな山頂でした。やはり丸沼スキー場のロープウェイを使って登って来る人が多く、山頂一帯には結構な数の登山者がいました。


 帰りは五色沼を見るため避難小屋の方へ下りました。視界の悪い日はルートを誤る可能性があります。


 ダケカンバの林に入ると避難小屋はもうすぐです。


 霧の中に避難小屋が見えてきました。通常湯本温泉から登る場合、この小屋の前を通ることになります。冬の白根山登山には欠かせない小屋です。


 避難小屋の内部です。綺麗に整頓されていて、大事に使われていることがわかります。


 五色沼は沼というイメージはありません。特に今回のように霧に包まれた五色沼は神秘的な美しさを持っています。秋の紅葉時期に訪れると、名前の通りの五色に染まる池の風景を楽しめます。水の色も現在よりももっと青く澄み、池まで足を運んだ苦労が報われます。
 池まで回ったおかげで下山が遅くなり、菅沼の駐車場に着いたときには、私達の車が1台だけ残っていました。


梅雨ど真ん中、八ヶ岳連峰の権現岳に日帰り登山をしてきました。

2019年06月24日 | 登山
 雨を覚悟で八ヶ岳に行きましたが、幸い雨に降られることも無く、無事予定通りに観音平から権現岳をピストンで登って来ました。写真はギボシから見た横岳から赤岳そして権現岳に続く稜線です。


 観音平から押手川へはカラマツの森の中をノンビリと登ります。ヤマツツジが咲いていました。


 高山植物ではお馴染みのミヤマキンバイも咲いていました。八ヶ岳の高山植物は硫黄岳から赤岳に続く稜線がメインで、権現岳ではウンと少なくなってしまいます。特に硫黄岳から横岳に続く稜線のコマクサが見ものです。
 

 ギボシまで登れば山頂は目前。権現小屋も見えます。


 稜線にはハクサンイチゲも咲いていて、流石に3000mに近い山であることが判ります。


 ギボシの通過がこの山のキーポイント。岩が脆く滑りやすいので慎重に登ります。


 権現岳山頂は空に向かって突き出した岩頭の上。観音平を出発して4時間と48分かかりました。前期高齢者と後期高齢者のパーティーだから、まぁいいところだと思います。仲間のZ君とS君です。お二人共に昭和30年生まれの前期高齢者。


 権現小屋の500円ラーメンを食べました。丁度昼時だったので腹も減っていて、美味しく頂きました。


 これがそのラーメンです。トッピングの赤いのはニンジン。白いのはタマネギ。黒いのはたっぷりのワカメ。


 小屋の壁にあるメニューです。


 小屋の前に咲いているイワカガミが綺麗でした。




このクソ暑い日に北秩父の二子山で遊んで来ました。

2019年05月27日 | 登山
 二つの山頂の内の西峰で撮ったものです。とにかくこの日は暑かった。北海道で39度オーバーの気温だったというからさもありなん。と言うことでしょう。


稜線は御覧の通りのヤセ尾根で、石灰岩特有のギザギザ岩。触ったら手が切れそうな包丁の刃みたいな岩もあります。でもこの稜線歩きは最高に楽しいです。


 すぐ目の前には日本百名山のひとつになっている、図体の大きな両神山が良く見えます。


 この白い部分は滑走路ではありません。二子山の隣にあった叶山のなれの果てです。かっては巨大な石灰岩の岩山でしたが、30年ほどの間に無くなってしまいました。ビルや高速道路を造るためのセメント材料に使われてしまったのです。人間の経済活動の犠牲の良い見本です。私の愛する二子山もこうならないことを祈るばかりです。


 この手の岩山は日本の山に於いてはとても貴重です。標高は1100mちょっと。普通であれば稜線まで樹木に覆われて、展望もままならぬ藪山程度の高さですが、この山はれっきとした岩稜歩きの出来る岩山です。フリークライミングのメッカとして人気のある山でもあります。兎に角秩父の山々が今以上に削り取られて行かないことを願うばかりです。


我がさいたま山遊クラブのハイキングで上野原市にある「坪山」に登ってきました。

2019年05月19日 | 登山
 一応この山は奥多摩の山域に入っていると聞いていましたが、自分から見れば中央線沿線の山としか見えません。何しろさいたま市からは大回りして中央線の大野原市から登るのですから、同じ奥多摩でも青梅線で入る奥多摩の山々と同列の山とは思えないほど遠いのです。
 何はともあれ今回5人のメンバーで行ってきました。往復4時間の山登りのために、乗り物に乗っている時間が約2倍というアプローチの長さにガックリきました。やはり埼玉県人の山登りには、奥多摩も北の方や、奥武蔵、日光、谷川岳や尾瀬、上州の山々などが近くて便利です。
 坪山からは三頭山が一番良く見えました。


 坪山の登山口になる飯尾は、綺麗な穏やかな山村で、今爽やかな緑に包まれて一番いいときではないでしょうか。


 下山は郷原の西原小学校前でした。その下山口に近い森には大きな木が多く、頭上を爽やかな緑が蔽い、その木漏れ日の中を気持ちよく歩いて下りました。