山遊塾With You

ハイキングやウォーキングの紀行、感想など。
気の向くままに歩いています。

2020年最後は旧川越街道を板橋から新座まで歩きました。

2020年12月27日 | ウォーキング
 2020年はコロナで始まりコロナで終わりましたが、本当に戦争でもない限り人々の動きがこうも変わることはないでしょう。私の山のクラブやウォーキングのクラブにおいても、行動できたのは秋になってからです。それもいよいよ本格的にと思っているところへ、第3弾がさく裂してしまいました。しかし何とかみみっちくても最後にひとつ歩いておこうと、旧川越街道を歩きに埼京線板橋駅まで足を運びました。幾人かに声を掛けましたが、同行してくれたのは、あと数日で80歳になるというお仲間の女性一人だけでした。それも今年8月にご主人を亡くされて、すっかり落ち込んで家に籠っているところを引っ張り出してきました。
 旧川越街道は旧中山道と日本橋から板橋までが同じコースなので、今回は板橋から始めることにしました。26日午前9時に埼京線板橋駅を出てまず立ち寄ったのが近藤勇の墓です。過去何度か訪れた場所ですが、やはり素通りという訳にはいかず、両手を合わせておきました。


 川越街道と中山道の分岐になる平尾追分までの商店街はまだ人通りも無く静かでした。


 平尾追分で中山道と別れて間もなく遊座大山商店街に入ります。狭い通りで両側に商店が軒を連ねており、楽しい雰囲気の街です。


 商店街を東武東上線が突っ切って行きます。線路の先はハッピーロード商店街と名前が変わっています。


 国道254号に合流。しかしこの後また旧道は右に分かれます。


 中板橋駅近くで石神井川に架かる下頭橋を渡ります。このあたり大分道幅も広くなってきました。橋を渡ると旧道は左に曲がり間もなく国道254に合流します。暫く国道を歩き上板橋1丁目で旧道は右に分かれます。


 川越街道は距離は33kmほどの短い街道ですが、白子、膝折、大和田、大井などの宿場があったのです。それらかっての宿場の存在を教えてくれる説明絵図も見られます。


 かって江戸の昔には富士山詣でや大山詣りが盛んだったようで、その名残の石の道標が今も残されています。


 下板橋の浅間神社には溶岩を積み上げて造ったミニ富士山がありました。富士講が盛んな頃には結構富士塚は造られたようです。女性には登ることが禁じられていた富士山を、せめて偽の富士山でも良いから登ってみたい人が沢山いたのでしょう。


 可愛い富士山ですが、ちゃんと合目石も立っています。


 下赤塚駅入り口近くに小さな騎馬武者の像が目にありました。見ますと旧鎌倉街道とありました。鎌倉街道は沢山あって、ここも一部街道が通過していたのでしょう。


 下赤塚駅から成増駅の間は旧街道は国道254と一緒になるので、そのまま国道を歩くことになります。新田坂という狭い坂道を下ると、左に新田坂石造物群というのがありました。ここから国道と離れ右の道を行くと白子橋を渡ります。


 白子橋の袂に清水かつらの童謡「くつが鳴る」の歌詞が書かれています。この橋を渡ると白子宿ですが、この先で左折する所をうっかり直進して外環に出てしまいました。戻るのも面倒なので外環を横断して、旧街道のくらやみ坂の上に出ました。後は旧街道は県道109号と重なるので、ずっと県道歩きが続きました。途中朝霞陸上自衛隊駐屯地向かいの栄町中央公園で休憩をしましたが、目的の野火止までは意外に遠いと思いました。


 平林寺参道入り口になる野火止大門交差点の平林寺入り口の大きな案内石柱です。足の方もそろそろ泣きが入ってきたので、平林寺に立ち寄るのは止めにして、今回ゴールの新座駅まで直行しました。それでも駅に着いたときは午後4時になっていました。随分ゆっくりと歩いたものです。