以下はメンタルケアの講座でドクターに聞いた話だ。
いささか長いが日本人にとって非常に重要と思えるので概要を記す。
現代社会は、①高度技術社会、②高度情報社会、③高度管理社会、④市場原理(競争)社会、⑤少子高齢社会、という特徴を持つ。
日本で臓器移植がスタートして10年余り。
昨年7月現在で71の手術例があり、半年後の現在、80半ばぐらいという。
心臓移植を受ける患者の医学的基準は、(手術しない場合の)最長寿命1年以内、または6カ月以上の生存率10%以下と診断されていることが前提。
その上で、(臓器が提供されたとして)血液型、臓器サイズ、免疫的適合性が一致すれば移植してもらえるらしい。(アメリカは明確な金持ち優先社会だそうだが、日本は?)
心臓移植は技術的にはものすごい医療だが、移植を受ける患者は心理的極限を味わう。
移植する心臓は若いものが良い。つまり、手術を待つことは交通事故死等で急死する若者を待つことを意味する。
そこで移植を待つ患者は、交通事故減少のテレビニュースに気分が重くなる。救急サイレンを聞くと期待感を持ち、一方で他人の不幸を願うことへの罪悪感も持つ。また、待機中に死んでしまうのではないかという不安、(臓器が提供されたとして)他の重症患者との競争に勝てるだろうか?という心理状態になるという。
これらは年間30万人に達する癌患者からは聞こえてこない話である。
運よく莫大なお金を払って移植手術を受けることが出来たとして…。
他人の心臓を移植するので、手術の際、免疫抑制剤を使って患者の体の拒絶反応を落とすが、その結果、手術が無事成功しても患者は常に感染症への恐怖を抱いて過ごさねばならなくなり、全身倦怠感や悪性新生物(癌)の恐怖とも闘わねばならない。
患者は「身体の中に絶えず何かが発生しつつある」「壊れる寸前のガラスコップのような思い」「生かされているロボット」のような心理を味わう。健康そうに見えても決して生野菜は食べられず、人込みも避けねばならない。
まだ日本で臓器移植が認められていなかった頃、心筋症のM氏はアメリカに渡り、約1億円をかけて心臓移植手術を受け、日本の写真週刊誌に3回掲載された。1回目は手術が成功して帰国、元気に飛行機のタラップを降りる姿を、2回目はマスクをしてギャンブルに興じる姿を、3回目はストレッチャーに横たわり、白い布をかけられている(遺体としての)姿を。
当時、募金によって1億円をまかなったM氏だが、手術後には生活が待っている。彼は当初、働いて1億円を返そうと考えていたが、その後も免疫抑制剤を一杯飲まねばならず、仕事に復帰することなど到底不可能だった。ロボットのようにただ生かされているだけの生活に自暴自棄になったM氏は、薬の服用を拒否してギャンブルにのめり込んだ。
薬を飲まないので身体はどんどん悪くなり、遂にストレッチャーの写真となったそうだ。これは薬を拒否したことによる゛緩慢な自殺゛と同じことだという。
日本人の死因統計で上位3位は癌、心疾患、脳血管疾患。
高齢社会とは年寄りが増える社会であり、死ぬ人がどんどん増える社会でもある。実際、20年前の年間死亡者は70万人ぐらいだったが、今は100万人を超している。
60代の著名な外科医が食道癌になり、手術を受けた。手術は成功したが、その後、食道がほとんど機能しなくなった彼は1日6回食事をし、1回の食事に1時間ずつかけるよう指示された。元の半量以下だが、それでも食べ物が詰まって食道がつかえるので、彼は途中で運動して重力によって食べ物を胃に落とし込んだ。後には近くの医院で、ブジーという痔の手術を受けた人用の訓練棒で食道に詰まった食べ物を胃に落としてもらって家に帰るようになった。やがて、彼はウツ病を発症したという。
昔は食道癌は助からなかったが、今は一応手術できるので、皆がこのような経験をすることになる。そして手術後、日常の暮らしに戻った中で「あんな手術、しなければ良かった」と思い、ウツ病になるのだという。
癌は(若くてかかる人もいるが)高齢者の病気である。
日本人の死因上位3つ、癌、心疾患、脳血管疾患のそれぞれの死に方を見ると、癌は死の直前まで自分で身の回りのことが出来るQOL(生活の質)が比較的長く保てる。これに対し、心臓病は階段を降りるように確実に下降線をたどり、発病の比較的早い時期でQOLが怪しくなる。脳卒中に至っては病のごく初期からQOLはごく低い。
ということは、最期が近くなるまで自分らしい生き方(暮らし方)が可能なのは癌ということになる。しかし皆、苦しまずに死にたいと願うくせに、癌で死にたいと思う人はいない。これは癌という病気の本当の姿を知らないからである。
我々にとって、癌と共存する時代になっているのではないか?癌についての見方(闘い方)を誤ってはいないか?というのが、ドクターから受講生たちへの問いかけである。ドクター自身も数年前に癌を発症しているだけに、いっそう言葉が重い。(以下省略)
いささか長いが日本人にとって非常に重要と思えるので概要を記す。
現代社会は、①高度技術社会、②高度情報社会、③高度管理社会、④市場原理(競争)社会、⑤少子高齢社会、という特徴を持つ。
日本で臓器移植がスタートして10年余り。
昨年7月現在で71の手術例があり、半年後の現在、80半ばぐらいという。
心臓移植を受ける患者の医学的基準は、(手術しない場合の)最長寿命1年以内、または6カ月以上の生存率10%以下と診断されていることが前提。
その上で、(臓器が提供されたとして)血液型、臓器サイズ、免疫的適合性が一致すれば移植してもらえるらしい。(アメリカは明確な金持ち優先社会だそうだが、日本は?)
心臓移植は技術的にはものすごい医療だが、移植を受ける患者は心理的極限を味わう。
移植する心臓は若いものが良い。つまり、手術を待つことは交通事故死等で急死する若者を待つことを意味する。
そこで移植を待つ患者は、交通事故減少のテレビニュースに気分が重くなる。救急サイレンを聞くと期待感を持ち、一方で他人の不幸を願うことへの罪悪感も持つ。また、待機中に死んでしまうのではないかという不安、(臓器が提供されたとして)他の重症患者との競争に勝てるだろうか?という心理状態になるという。
これらは年間30万人に達する癌患者からは聞こえてこない話である。
運よく莫大なお金を払って移植手術を受けることが出来たとして…。
他人の心臓を移植するので、手術の際、免疫抑制剤を使って患者の体の拒絶反応を落とすが、その結果、手術が無事成功しても患者は常に感染症への恐怖を抱いて過ごさねばならなくなり、全身倦怠感や悪性新生物(癌)の恐怖とも闘わねばならない。
患者は「身体の中に絶えず何かが発生しつつある」「壊れる寸前のガラスコップのような思い」「生かされているロボット」のような心理を味わう。健康そうに見えても決して生野菜は食べられず、人込みも避けねばならない。
まだ日本で臓器移植が認められていなかった頃、心筋症のM氏はアメリカに渡り、約1億円をかけて心臓移植手術を受け、日本の写真週刊誌に3回掲載された。1回目は手術が成功して帰国、元気に飛行機のタラップを降りる姿を、2回目はマスクをしてギャンブルに興じる姿を、3回目はストレッチャーに横たわり、白い布をかけられている(遺体としての)姿を。
当時、募金によって1億円をまかなったM氏だが、手術後には生活が待っている。彼は当初、働いて1億円を返そうと考えていたが、その後も免疫抑制剤を一杯飲まねばならず、仕事に復帰することなど到底不可能だった。ロボットのようにただ生かされているだけの生活に自暴自棄になったM氏は、薬の服用を拒否してギャンブルにのめり込んだ。
薬を飲まないので身体はどんどん悪くなり、遂にストレッチャーの写真となったそうだ。これは薬を拒否したことによる゛緩慢な自殺゛と同じことだという。
日本人の死因統計で上位3位は癌、心疾患、脳血管疾患。
高齢社会とは年寄りが増える社会であり、死ぬ人がどんどん増える社会でもある。実際、20年前の年間死亡者は70万人ぐらいだったが、今は100万人を超している。
60代の著名な外科医が食道癌になり、手術を受けた。手術は成功したが、その後、食道がほとんど機能しなくなった彼は1日6回食事をし、1回の食事に1時間ずつかけるよう指示された。元の半量以下だが、それでも食べ物が詰まって食道がつかえるので、彼は途中で運動して重力によって食べ物を胃に落とし込んだ。後には近くの医院で、ブジーという痔の手術を受けた人用の訓練棒で食道に詰まった食べ物を胃に落としてもらって家に帰るようになった。やがて、彼はウツ病を発症したという。
昔は食道癌は助からなかったが、今は一応手術できるので、皆がこのような経験をすることになる。そして手術後、日常の暮らしに戻った中で「あんな手術、しなければ良かった」と思い、ウツ病になるのだという。
癌は(若くてかかる人もいるが)高齢者の病気である。
日本人の死因上位3つ、癌、心疾患、脳血管疾患のそれぞれの死に方を見ると、癌は死の直前まで自分で身の回りのことが出来るQOL(生活の質)が比較的長く保てる。これに対し、心臓病は階段を降りるように確実に下降線をたどり、発病の比較的早い時期でQOLが怪しくなる。脳卒中に至っては病のごく初期からQOLはごく低い。
ということは、最期が近くなるまで自分らしい生き方(暮らし方)が可能なのは癌ということになる。しかし皆、苦しまずに死にたいと願うくせに、癌で死にたいと思う人はいない。これは癌という病気の本当の姿を知らないからである。
我々にとって、癌と共存する時代になっているのではないか?癌についての見方(闘い方)を誤ってはいないか?というのが、ドクターから受講生たちへの問いかけである。ドクター自身も数年前に癌を発症しているだけに、いっそう言葉が重い。(以下省略)