Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

「も」としての言葉によらない指導のよさ

2006年07月05日 | Weblog
6月末の記事に対してnaporinさんからコメントを頂き,それに返事をしようとしていたら,こりゃ記事にしたほうがいいわ,と心変わり。こちらにアップすることにしました。

さて言葉によらない指導のよさ「も」あるというご指摘。まったくその通りです。言葉による指導のよさが圧倒的な力と支持を得ているこの時代,言葉によらない指導に対する眼差しを確かに持つことの重要性を改めて意識させられます。

それはnaporinさんがおっしゃるように,「意識的にすれば」,とても有効な手だてになり得ます。教育実習生は,しばしば語りたがり,教えたがります(naporinさんにも覚えがあるかな???)。子どもにとって自分で考えられるような場面,つまり必要でない場面でもしばしばそうなのです。なぜでしょう。

その理由を考えると,「教師にとって指導しない不安」といった心理に行き当たります。教師は指導するべきものだという考えを強く持っている人,教室における教師の権威(ホントは権力か?)に憧れてきた人に,この傾向は強いように思えます。また教えるという行為を行うことが教師の存在意義を確かなものにしてくれるといった,ある意味手前勝手な論理も無意識にあるのかもしれません。

またそれだけでなく,指導すべきときと突き放すべき時の見極めができないため不安になり,とにかく全て指導するという人もいるでしょう。勢いでやっちゃう先生ですね。

一方,短いけれど的確な言葉で学習のめあてと活動の見通しを子どもたちに意識させられる教師は,多くは語らず言葉によらない指導のよさを発揮します・・・よね。子どもたちの活動の時間を優先し,指導のなかで子どもたちをよく見て本当に必要な指導のみを行おうとするからです。naporinさんはきっとこんな教師になっているのでしょうねぇ。今度授業見せてねぇ。
コメント (2)
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