久しぶりに、バルトーク論である。バルトークのピアノ演奏は本当に素晴らしい! 自作自演の見事さだけでなく、ベートーヴェン や スカルラッティ や リスト も見事なモノである!
バルトークは「ピアノ科教授」であって「作曲科教授」の瞬間は生涯1度も無かったのである。これ、本当!
このことを バルトーク は心に引き摺っていたと伝えられている。念のため申し添えるが
である。
う~ん、遺された録音を聴くと、バルトーク自身の想いは、正当に思える。
・・・で「誰が優勝?」かと言うと
う~ん、唸る。 「歴史に『もし』は存在しない」のだが
と思う。 「第2位」になってくれたおかげで、バルトーク作曲の傑作は作られる素地が固まった、ように思える。つまり、バックハウスがコンクールに参加してくれたおかげで(まわりまわって)バルトークの名作を私たちは聴ける! と感じる。私高本は、ねじ曲がった性格か???
コンクール第2位の翌年 = 1906年 から「民族音楽採譜」をバルトークは開始したのである。
バルトークは「ピアノ科教授」であって「作曲科教授」の瞬間は生涯1度も無かったのである。これ、本当!
1905年ルビンシュタインコンクールで第2位だった
このことを バルトーク は心に引き摺っていたと伝えられている。念のため申し添えるが
- 「第2位になってうれしかった」のではなく
- 「優勝できなくて放心状態」
である。
う~ん、遺された録音を聴くと、バルトーク自身の想いは、正当に思える。
・・・で「誰が優勝?」かと言うと
優勝したのは3才若いバックハウス!
- 世界中で シュナーベル に続いて、世界で2番目に「ベートーヴェンピアノソナタ全集を録音」した
- 『鍵盤の獅子王』と呼ばれ、尊敬され畏れられていた
う~ん、唸る。 「歴史に『もし』は存在しない」のだが
- バックハウス が「もし」コンクールに出場しなかったら
- バルトーク は当然優勝し(← 第2位だったのだから)
- ピアニスト になってしまい
- 作曲家バルトーク の傑作群は存在しなかったかもしれない!
と思う。 「第2位」になってくれたおかげで、バルトーク作曲の傑作は作られる素地が固まった、ように思える。つまり、バックハウスがコンクールに参加してくれたおかげで(まわりまわって)バルトークの名作を私たちは聴ける! と感じる。私高本は、ねじ曲がった性格か???
コンクール第2位の翌年 = 1906年 から「民族音楽採譜」をバルトークは開始したのである。