マーラー交響曲第7番「夜の歌=ドンジョバンニの夜の歌」を見事に演じ切った カンブルラン X 読響
これまで、「大地の歌」 → 第6番 → 第4番 → 第7番 と進めて来た「カンブルラン X 読響 の マーラー」だが、「音の作り方」は 第4番 以降のこれまでと同じ。左から 1st Vn, Va, Vc, 2nd Vn の順。
『無限に広がるかのような響き』を聴かせた「カンブルランの真面目なマーラー」
サントリーホールの舞台巾を目一杯利用した「左右への響きの広がり」が効果抜群であり、説得力を持っていた
「透明感が高く、緻密に描き込まれたマーラー = カンブルラン のマーラー」
弦楽器が「和声の積み重ね」になった時の「低弦からの豊穣な響き」が実現
フレーズが切り替わる際の「タメ」が深くなり、「音楽の彫り」が深い
である。
だが、今回は「音作り」よりも重視していたことがある。
通常「第5楽章」のみが「ふざけたマーラー」と演奏されることが多いのだが、カンブルラン は「第2楽章:夜曲~第5楽章」が「ふざけたマーラー」!
終演後は、圧倒的な拍手と乱れ飛ぶ「ブラヴォーの嵐」だったが、拍手開始直後に席を立つ人も多く、カンブルラン の解釈は聴き手には、真っ二つの受容された様子。う~ん、これだけ「ふざけたマーラー像」が表出されるのは 第3番 しか無いからなあ(爆
読響の演奏は、第2楽章冒頭のホルン1番奏者が2回ひっくり返った、以外は、大胆にテンポを揺らす カンブルラン に見事に食らいついていた。コンサートマスター = 長原幸太 以下、ソロを務めた奏者を全部挙げたら夜が明ける(爆
私高本は、カンブルラン の解釈は、極めて説得力が高い、と感じた。来年度の「カンブルランのマーラー」は 第5番。スケルツォしか「ふざけたマーラー」の無い曲、と感じている。だが、カンブルラン解釈はどうなのだろうか?
カンブルラン指揮読響で「マーラー交響曲全曲」は最低でも実行して欲しい。第2番や第8番のような費用の掛かる曲も含めて!
今日の状況見る限り 14日14:00芸劇公演は、「学生券」確実に出るぞ。マーラーファン はこれは聴いておいて欲しい。
モーツァルト「アイネクライネナハトムジーク」は「オリジナル楽器奏法」で 8-8-6-4-3 で、マーラー と同じ配置。澄んだ音色が印象的だった。