兄フェルディナンド・シューベルト と シュパウン の立場から、「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」(Wittecek-Spaun)を考察する。
である。この事実から推測すると、「ヴィッテツェクへの報酬」は「1ページ当たりいくら」だったようだ。兄=フェルディナンド・シューベルト は シューマン が訪ねて来た時に、交響曲「グレート」D944 の自筆譜を手渡し、それが世界初演に繋がり、「シューベルト再評価」に繋がっているから、「曲の価値」は充分に理解していた。だが、「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」は作られていない。
兄フェルディナンド・シューベルト が シューベルト「ピアノソロ舞曲」をどのように考えていたかについて、書面は残っていない。だが、「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」は一切作らなかった。
◎「シューベルティアーデで踊り狂うだけのための曲」と思っていた可能性が高い
言葉を換えれば「芸術的音楽」では無い、って言う、「ドイツ国内の印税(?)」識別の「ポップス音楽」に該当するのかも知れない。グルダ がやたら噛みついていた(グルダの言葉を借りれば)悪法だ(爆
ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜 の特徴
生前出版の op.1 - op.97, op.100, op.106 は筆写させていない(確実)
シューベルト自身が「出版契約」に至った op.101 - op.105, op.107 - op.108 も筆写させていない(確実)
兄フェルディナンド・シューベルト がシューベルト没後早々に「出版契約」に至った 「白鳥の歌」D957, 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」D810, op.109 - op.131 も筆写させていない様子
リート「イフィゲニア」op.98/3 D573(1829.07.10出版),リート「酒を呑むヴァレンシュタイン軍の槍兵」D931(1830出版),リート「十字軍」D932(1832.01.05出版) や 「詩編23」op.132 D706(1832.03.12出版) や 「遺作3大ピアノソナタD958 - D960」(1839.04.26出版)以降出版楽譜は、ヴィッテツェク=シュパウン筆写譜あり
即興曲第1集後半(D899/3-4)は、出版社ハスリンガー が「カネは支払った状況」と考えられるのに「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」を作成しているので、『シューベルト没後大プロジェクト』として、ハスリンガーも「筆写を許した」ほどの権限を有していた
オーケストラ曲 & オーケストラ伴奏曲 は筆写させていない(ほぼ確実)
室内楽曲中、「弦楽アンサンブル曲」は1曲も現存していない。D956 & D887 を筆写させなかったのか? 筆写させたが、出版後廃棄 or 紛失したかは不明
ピアノソロ舞曲は一切筆写させていない
である。この事実から推測すると、「ヴィッテツェクへの報酬」は「1ページ当たりいくら」だったようだ。兄=フェルディナンド・シューベルト は シューマン が訪ねて来た時に、交響曲「グレート」D944 の自筆譜を手渡し、それが世界初演に繋がり、「シューベルト再評価」に繋がっているから、「曲の価値」は充分に理解していた。だが、「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」は作られていない。
兄フェルディナンド・シューベルト が シューベルト「ピアノソロ舞曲」をどのように考えていたかについて、書面は残っていない。だが、「ヴィッテチェク=シュパウン筆写譜」は一切作らなかった。
◎「シューベルティアーデで踊り狂うだけのための曲」と思っていた可能性が高い
言葉を換えれば「芸術的音楽」では無い、って言う、「ドイツ国内の印税(?)」識別の「ポップス音楽」に該当するのかも知れない。グルダ がやたら噛みついていた(グルダの言葉を借りれば)悪法だ(爆