だいぶ前にブログで、北海道でも最低気温の陸別町の開拓に老齢になってから入った信じられない反骨者関寛斎(明治維新前後での軍医でのトップ)について書いたら、「自殺するような人間は好きじゃない」というコメントがひとつだけあった。
彼の作品はー
川端康成、三島由紀夫、太宰治も・・谷崎潤一郎もあまり好きではない。
彼らのあちこちから、自己満足が第一という高慢さと感覚第一の脆さを感じる。
僕の十代の頃から愛した作家たちは、死など眼中になく壮絶に死と戦った・・正岡子規や宮沢賢治や坂口安吾や松下竜一(戦後最高のノンフィクション作家)だからだったのかもしれない。
◆子規いわくー大事なのは、いつでも死ぬ覚悟と思っていたが、そうではなくどんな悲惨状態でも生きるこ・・全身結核菌に犯されて全身が腐れて濃まみれ、号泣のままで俳句・短歌と口語文の変革をただ一人成し遂げたあとに逝ってしまった子規。
◆安吾いわくー堕落せよ。とことんまで。安吾の歴史物は戦後の歴史を一変させた。
◆賢治いわくー銀河へと微塵と砕けよう。賢治の理想は原発事故以後ますます輝きを増しつつある。
◆松下竜一はー戦後史を振り返る際に欠かせない多くの記録を残してくれた。
歴史上の人物に例えると、足尾鉱毒事件に命を賭けた田中正造翁のような百年に一人出るかどうかという偉大な人物だった。
自殺したのかどうかはよくわからない谷崎潤一郎に関しては、最初に『細雪』を読んでしまったのが間違いの元だったのかもしれない。
彼の『美味礼賛』を、十代の頃に読んでいたらなとつくづく思う。
どんな分野でも、自力だけで頂点を極めるという人物は尊敬されてしかるべきと思う。