NHKが16日以来再三取り上げている「拝謁記」(田島道治初代宮内庁長官の記録)は、天皇裕仁の戦争責任・戦後責任についての“弁解記”と言っても過言ではないでしょう。これまで放送された主な内容は次の通りです。
① 自分(裕仁)は戦争を意図していなかったが、軍部が「下剋上」で勝手に動いた。
② 戦後、国民の前で「反省」「後悔」という言葉を述べたかったが、首相の吉田茂が反対したため叶わなかった。
③ 戦後、憲法が変わり天皇は「君主」から「象徴」になったので、自分もそう変わろうと努めた。
④ 戦後の日本の政治の実情を見るにつけ、言いたい事がたくさんあったが、憲法上の制約から発言を抑えた。
⑤ 「侵略者(ソ連)」がいる以上、「改憲」して「再軍備」する必要があるが、「旧軍閥」の台頭はいやだ。そのことを首相・吉田に言いたかったが、憲法上言わなかった。
このNHK報道に貫かれているのは、自分は一貫した平和主義者で、戦争責任は軍部・軍閥にあり、戦後も日本のことを考え続けたが、憲法上「象徴」としての制約を守って発言を自重してきた、という裕仁の弁明です。それにNHKアナウンサーと「識者」らのコメントを付けて裕仁美化を増幅しています。
これが歴史的事実に反していることは明白です。
戦争開始・遂行の最高責任が、国の統治者であり統帥権を持つ大元帥だった裕仁にあることは明白です。戦後の主権在民の憲法の下でも、裕仁は政府の頭越しにマッカーサーと11回も会談するなどアメリカと直接交渉を続け、天皇制維持と引き換えに沖縄を売り渡し(1947年9月「沖縄メッセージ」)、日米安保体制のレールを敷くなど、政治活動に狂奔してきました。軍事増強についても防衛庁長官(当時)に直接忠告する(1973年5月「増原防衛庁長官内奏事件」)など、公然と憲法を蹂躙してきたのが裕仁の実像です。
ところが、4日目の19日になると、NHKにとってのネタ切れになったのか、興味深いことが紹介されました。それは裕仁が皇太子明仁の軍隊への「任官」を拒否し続けてきたということです(当時皇族は10歳になると任官する規則になっていたが、裕仁が反対し、明仁は任官しないまま11歳で敗戦を迎えた)。
「国民」は徴兵して死地へ送り、植民地・朝鮮の人々を強制動員しておきながら、自分の息子は規則に反して「軍人」にすることを避け続けた。なんという身勝手な人間性でしょうか。NHKはそれを「親心」と美化して流しました。
この報道では図らずも露呈したように、「拝謁記」には裕仁のさまざまな発言があるはずです。なにしろ「約5年間(1949年2月~53年12月)、613回、330時間以上」にわたる「拝謁」の記録です。NHKの報道は、その中からNHKが自社の視点(価値判断)で取捨選択・編集したごく一部であり、一面的・恣意的な裕仁像であることは明らかです。
NHKは「拝謁記」の全文を公開すべきです。
「拝謁記」は宮内庁長官(当時)と天皇の会話の記録であり、れっきとした公文書です。NHKが誰からどのような経緯でそれを手にしたかは問いませんが、入手しているなら自社の判断で直ちに全文公開すべきです。もし他者が所有しているのであれば、NHKはその所有者(取材源)に対し全文公開を進言すべきです(NHKには見せているのですからまさか拒否はしないでしょう)。それが報道機関、しかも「公共放送」を自認している者の責任・義務ではないでしょうか。
「拝謁記」はその全体が公開され、裕仁の発言が全面的に明らかになってはじめて、「歴史的資料」といえるのではないでしょうか。
① 自分(裕仁)は戦争を意図していなかったが、軍部が「下剋上」で勝手に動いた。
② 戦後、国民の前で「反省」「後悔」という言葉を述べたかったが、首相の吉田茂が反対したため叶わなかった。
③ 戦後、憲法が変わり天皇は「君主」から「象徴」になったので、自分もそう変わろうと努めた。
④ 戦後の日本の政治の実情を見るにつけ、言いたい事がたくさんあったが、憲法上の制約から発言を抑えた。
⑤ 「侵略者(ソ連)」がいる以上、「改憲」して「再軍備」する必要があるが、「旧軍閥」の台頭はいやだ。そのことを首相・吉田に言いたかったが、憲法上言わなかった。
このNHK報道に貫かれているのは、自分は一貫した平和主義者で、戦争責任は軍部・軍閥にあり、戦後も日本のことを考え続けたが、憲法上「象徴」としての制約を守って発言を自重してきた、という裕仁の弁明です。それにNHKアナウンサーと「識者」らのコメントを付けて裕仁美化を増幅しています。
これが歴史的事実に反していることは明白です。
戦争開始・遂行の最高責任が、国の統治者であり統帥権を持つ大元帥だった裕仁にあることは明白です。戦後の主権在民の憲法の下でも、裕仁は政府の頭越しにマッカーサーと11回も会談するなどアメリカと直接交渉を続け、天皇制維持と引き換えに沖縄を売り渡し(1947年9月「沖縄メッセージ」)、日米安保体制のレールを敷くなど、政治活動に狂奔してきました。軍事増強についても防衛庁長官(当時)に直接忠告する(1973年5月「増原防衛庁長官内奏事件」)など、公然と憲法を蹂躙してきたのが裕仁の実像です。
ところが、4日目の19日になると、NHKにとってのネタ切れになったのか、興味深いことが紹介されました。それは裕仁が皇太子明仁の軍隊への「任官」を拒否し続けてきたということです(当時皇族は10歳になると任官する規則になっていたが、裕仁が反対し、明仁は任官しないまま11歳で敗戦を迎えた)。
「国民」は徴兵して死地へ送り、植民地・朝鮮の人々を強制動員しておきながら、自分の息子は規則に反して「軍人」にすることを避け続けた。なんという身勝手な人間性でしょうか。NHKはそれを「親心」と美化して流しました。
この報道では図らずも露呈したように、「拝謁記」には裕仁のさまざまな発言があるはずです。なにしろ「約5年間(1949年2月~53年12月)、613回、330時間以上」にわたる「拝謁」の記録です。NHKの報道は、その中からNHKが自社の視点(価値判断)で取捨選択・編集したごく一部であり、一面的・恣意的な裕仁像であることは明らかです。
NHKは「拝謁記」の全文を公開すべきです。
「拝謁記」は宮内庁長官(当時)と天皇の会話の記録であり、れっきとした公文書です。NHKが誰からどのような経緯でそれを手にしたかは問いませんが、入手しているなら自社の判断で直ちに全文公開すべきです。もし他者が所有しているのであれば、NHKはその所有者(取材源)に対し全文公開を進言すべきです(NHKには見せているのですからまさか拒否はしないでしょう)。それが報道機関、しかも「公共放送」を自認している者の責任・義務ではないでしょうか。
「拝謁記」はその全体が公開され、裕仁の発言が全面的に明らかになってはじめて、「歴史的資料」といえるのではないでしょうか。