詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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NHKは「拝謁記」を全文公開せよ

2019年08月21日 | 犯罪
 NHKが16日以来再三取り上げている「拝謁記」(田島道治初代宮内庁長官の記録)は、天皇裕仁の戦争責任・戦後責任についての“弁解記”と言っても過言ではないでしょう。これまで放送された主な内容は次の通りです。

① 自分(裕仁)は戦争を意図していなかったが、軍部が「下剋上」で勝手に動いた。

② 戦後、国民の前で「反省」「後悔」という言葉を述べたかったが、首相の吉田茂が反対したため叶わなかった。

③ 戦後、憲法が変わり天皇は「君主」から「象徴」になったので、自分もそう変わろうと努めた。

④ 戦後の日本の政治の実情を見るにつけ、言いたい事がたくさんあったが、憲法上の制約から発言を抑えた。

⑤ 「侵略者(ソ連)」がいる以上、「改憲」して「再軍備」する必要があるが、「旧軍閥」の台頭はいやだ。そのことを首相・吉田に言いたかったが、憲法上言わなかった。

 このNHK報道に貫かれているのは、自分は一貫した平和主義者で、戦争責任は軍部・軍閥にあり、戦後も日本のことを考え続けたが、憲法上「象徴」としての制約を守って発言を自重してきた、という裕仁の弁明です。それにNHKアナウンサーと「識者」らのコメントを付けて裕仁美化を増幅しています。

 これが歴史的事実に反していることは明白です。
 戦争開始・遂行の最高責任が、国の統治者であり統帥権を持つ大元帥だった裕仁にあることは明白です。戦後の主権在民の憲法の下でも、裕仁は政府の頭越しにマッカーサーと11回も会談するなどアメリカと直接交渉を続け、天皇制維持と引き換えに沖縄を売り渡し(1947年9月「沖縄メッセージ」)、日米安保体制のレールを敷くなど、政治活動に狂奔してきました。軍事増強についても防衛庁長官(当時)に直接忠告する(1973年5月「増原防衛庁長官内奏事件」)など、公然と憲法を蹂躙してきたのが裕仁の実像です。

 ところが、4日目の19日になると、NHKにとってのネタ切れになったのか、興味深いことが紹介されました。それは裕仁が皇太子明仁の軍隊への「任官」を拒否し続けてきたということです(当時皇族は10歳になると任官する規則になっていたが、裕仁が反対し、明仁は任官しないまま11歳で敗戦を迎えた)。

 「国民」は徴兵して死地へ送り、植民地・朝鮮の人々を強制動員しておきながら、自分の息子は規則に反して「軍人」にすることを避け続けた。なんという身勝手な人間性でしょうか。NHKはそれを「親心」と美化して流しました。

 この報道では図らずも露呈したように、「拝謁記」には裕仁のさまざまな発言があるはずです。なにしろ「約5年間(1949年2月~53年12月)、613回、330時間以上」にわたる「拝謁」の記録です。NHKの報道は、その中からNHKが自社の視点(価値判断)で取捨選択・編集したごく一部であり、一面的・恣意的な裕仁像であることは明らかです。

 NHKは「拝謁記」の全文を公開すべきです。

 「拝謁記」は宮内庁長官(当時)と天皇の会話の記録であり、れっきとした公文書です。NHKが誰からどのような経緯でそれを手にしたかは問いませんが、入手しているなら自社の判断で直ちに全文公開すべきです。もし他者が所有しているのであれば、NHKはその所有者(取材源)に対し全文公開を進言すべきです(NHKには見せているのですからまさか拒否はしないでしょう)。それが報道機関、しかも「公共放送」を自認している者の責任・義務ではないでしょうか。

 「拝謁記」はその全体が公開され、裕仁の発言が全面的に明らかになってはじめて、「歴史的資料」といえるのではないでしょうか。

私説『バームクーヘン理論』(古いのは大文明周辺や辺境へ)や『四要素 論』

2019年08月21日 | 犯罪
橋下徹や小泉純一郎や安倍晋三など新自由主義者たちが「既得権益を打破する」と言ってやることは、実は大企業や富裕層などの既得権益(=1%)を肥やすこ と。
この、「やること」と「掛け声」が真逆だからコロッと騙される 
→明治になると騙されやすくなる日本人。時代を経るほどにさらにお人よしになって、身ぐるみ剥がれてはへらへらと笑っている日本人が多くなる!

戦後の問題点は、税金で形成してきた国民共有財産の強盗!中曽根「民営化」では、現在の貨幣価値で数千兆円以上の国民資産強盗!バブル末期の坪数千万円以上土地高騰期だったので土地代だけでも天文学的・・世界で唯一の新幹線も金を生む卵!

小泉・竹中時代には、日本の大企業7割が外資支配下にされ、都内一等地やゴルフ場がゴールドマン・サックス等の所有地された。それをやった竹中平蔵の米国で仕込まれた手口は、土地本位制の破壊と銀行の自己資本率を厳しくしての金融機関の破壊や外資下請け化だった。
米国ですらない、、海外展開していない金融機関の自己資本率も同等に引き上げた。破綻した金融機関に数兆円も援助しては、千億円前後で外資に売却後に、「新生銀行」で二重に外資を儲けさせる等の無茶苦茶をやった売国奴竹中平蔵だった

新潟以北の東北は「白河以北一山数文」と呼ばれて、東北全体が被差別地域だった(その結果として新潟以北東北には被差別差別が皆無!)・・気候には合わない稲作を強制されたので、戦前までは凶作の連続で娘身売りの地域にされた

北海道の子供時代に植林(落葉松=カラマツ。ここに生える落葉キノコは超高級食材!)の経験からは…約二十年で成長…子供が結婚する頃に売却する点では、内地の檜と似てる。内地の檜はカラマツよりは少し長くかかるが、愛知県の同僚の話しでは娘が生まれると数本植えて婚礼家具等にとか…

檜で約三十年とか(愛知県の同僚の話しでは娘が生まれると檜数本を植えて結婚費用にするとか→古代中国では桑を植えたそう)…日本家屋には杉が良いらしいけど、噂を信じやすい日本人のために杉は売れず崩壊寸前の全国杉林!

落葉松=カラマツは、戦後成長が早いと奨励されて長野県以北に植林されたが…いざ二十年以上経ち伐採時期になると、枝の節が多すぎて商品価値がほぼゼロでマッチや合板くらいに。これで家は大損したとか。12人の子に一町歩づつ遺産相続の土地のほとんどに、父は植えたが買い手がつかなかった…

明治中までの伝統的タタラ製鉄では、山を順番に伐採して木炭製造。世界で唯一日本の山林は約30年で復元可能で、四大文明や朝鮮半島のように、木が伐採され て禿山だらけになり衰退化がなかった・・
木の運搬のためには、冬季の雪を利用(橇のようにすべりがいい)!熊も冬眠中なので一石二鳥!

製鉄地名から色々判明→鉄は南西日本~中国モンゴル~トルコに共通。シ ベリア~朝鮮~北東日本はケラ 
◆製鉄関連地名四種は広く分布ー①カリー石狩真狩(細川孝故郷)②ニウ(丹生)ー中央構造線南北に多い水銀鉱山(古代中国 の不老不死の薬で金精錬に必要)③吹きー伊吹等④金=カネー地名として最多

古代以来のたたら製鉄を現在もなお継続は、本場中国地方と北海道室蘭の日本 製鋼所だけと思う。
タタラ製鉄衰退と同時に、その燃料の炭製造も衰退。製塩業も同時に衰退のダブルパンチ・・現在では焼き鳥屋くらい。ただ炭は用途が多い し、防災用にも優れてるので行政が備蓄や安価配布や海外支援では?

ユーラシアに広く分布のチュルク(トルコ)語系の鉄(テツ)は新しいのではあるまいか?私説『バームクーヘン理論』(古いのは大文明周辺や辺境へ)や『四要素 論』(4遺伝子文字・宇宙構成素・物質最低単位の恒在4素粒子・進化論四要素)から考えると、最古製鉄を東征の騎馬民祖スキタイは朝鮮や日本へと!