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近江(滋賀)・琵琶湖

2007年05月17日 | ふるさと

近江は、司馬遼太郎や白洲正子さんの紹介で近年、とみに知られる。

このたび父祖の地、近江について「ふるさと」のカテゴリを追加した。

5月1日から、6日まで帰郷して家に、もどったら9日の朝日新聞に、「琵琶湖山分け」なる記事が出ていた。

琵琶湖は、東京都の三分の一に匹敵する面積を持ちながら、滋賀県のどの市町にも組みいられていなかった。

琵琶湖沿岸の14市町に分割してそれぞれに帰属することで、国からの地方交付税の増額につながると言う。各自治体は、その交付税の増加分の一部で琵琶湖の環境保全に役立てる。結構なことだ。

吉天のふるさとの、東近江市も平成の市町村合併で、山の方の永源寺から、琵琶湖に接する能登川までつながり、僅かながら琵琶湖の分割に与った。

滋賀県共有の財産だった琵琶湖が、沿岸の14市町に分割され線引きされると、琵琶湖周辺の観光スポットは、それぞれどの市町に入り、その自治体独自の観光PRや、管理になるのかちょっと気になるところである。おそらくは、県の指導の下、話し合いで総合的な施策がもたれることであろう。

線は引かれても、湖面の下に棲む魚は自由に泳ぎまわり、水鳥も境界に関係なく動き回る。

ちなみに、竹生島は新聞の地図で見ると長浜市に属するようである。近江八景は、大半が大津市に入ると見られる。詳しくは県に問い合わせてみようと思う。

そこで、近江八景についてだが、滋賀銀行の広報誌「湖」No.161に、「近江八景のルーツは中国・洞庭湖にあった!」が参考になる。

名所は、昔 和歌に詠まれて、和歌のイメージで、風景を想像しあこがれた。中国から入った漢詩からも、洞庭湖に遊んだ李白や杜甫の詩情にふれて、日本人は中国の景色をたくみに想像した、とある。

中国・北宋時代(960~1127)、洞庭湖のある湖南省の景勝地、瀟湘(しょうしょう)地方の風光明媚な水景を、宗迪(そうてき)と言う官僚が八景図に描いた。それが、「瀟湘八景」として伝わり日本にも伝えられて、「近江八景」のモデルとなる。

琵琶湖の約6倍と言う洞庭湖の水景「瀟湘八景」を見立てて、足利将軍家がお抱え絵師に命じて描かせて「近江八景」は誕生した。

近江八景                瀟湘八景

      堅田落雁                平沙落雁

      矢橋帰帆                遠浦帰帆

      粟津晴嵐                山市晴嵐

      比良暮雪                江天暮雪

      石山秋月                洞庭秋月

      唐崎夜雨                瀟湘夜雨

      三井晩鐘                煙寺晩鐘

      瀬田夕照                漁村夕照

近江八景が、湖畔の具体的な地名に結びついているのに対し、瀟湘八景は、洞庭と瀟湘を除けば特定の地名はない。広い洞庭湖を物語っているのか。

現代の我々は、この四文字の漢字だけで、どこまで風景を想像できるかである。写真や、絵を補って貰わないとイメージしがたいところだ。

話題は変るが、新幹線の駅が大津に近い栗東に出来るとこだったが、取りやめになった。京都と眼と鼻の先にあって、駅を作るなんて無駄な事だし、財政難の折から中止となって当然の事だ。

ゆっくりと、京都に旅し、近江に旅するには一駅の必要は無い。

室町時代に京の将軍が、あえて近江の国に八景を求め江戸時代にも大人気だったのは国境いを隔てる意識がなかったからだ。

琵琶湖の上に線を引いて美しい景色が想像できますかね。

東京デズニーランドが千葉県にあり、東京国際空港も千葉県にあって、誰も文句言いません。ちまちました事言いこなし。