先ほど、NHK歌謡コンサートの番組で、イルカさんの歌った「まあるいいのち」は、今どき人の命が軽く見られるおり、時宣を得た歌だ。
亡き夫への思いを込めて児童合唱団の子供達と共に、いのちの大切さを歌った「まあるいいのち」。こんな歌がもっとみんなに浸透すると良い。
先ほど、NHK歌謡コンサートの番組で、イルカさんの歌った「まあるいいのち」は、今どき人の命が軽く見られるおり、時宣を得た歌だ。
亡き夫への思いを込めて児童合唱団の子供達と共に、いのちの大切さを歌った「まあるいいのち」。こんな歌がもっとみんなに浸透すると良い。
こちらに来てから、50年余三社祭に出かけた事も、関心も無かった。それが、
電車の中でのこと、杖をついた老婆が乗ってきたので、早速席を譲りました。
それを見て若い人二人が席を立ってくれて、結果もう一人の八十近い爺と、吉天爺が並んで席に腰掛けました。
どちらからとも無く、話しかけましたところ、その爺様はこれから三社祭に行くとのこと。
話しているうちに、近江の出身で、曽祖父(ひいじいさん)は人力車夫でしたが、来朝中のロシア皇太子をのせて滋賀県大津の駅に運んだとき事件はおきたそうです。
これが明治24年(1891)の大津事件で、ロシアの皇太子(後のニコラス2世)を警固の一巡査が切りつけて傷を負わせた。
その巡査を取り押さえたのが、このひとの曽祖父だったとのこと。
褒美に多額の賞金(今なら一億円ぐらい)を貰って喜んでいたと言う。
日露戦争は、それから13年たってからだが、吉天の祖父は明治37年の日露戦争から戻って、世帯を持ち人力車の車夫として糊口をしのいでいた。
先祖は、人力車の車夫つながりで爺と爺の話はしばらく続いた。
江戸東京博物館で、「ロシア皇帝の至宝展」6/17まで開催中の話もしていましたので、曽祖父の武勇伝を誇りに思うひ孫の思い入れが感じられました。
元気な その爺様は、上野の三つ手前で降りて三社祭に歩いてゆくと言う。
(足は丈夫だが、歯は一本も無い。それでも歯茎で結構ものが食べられると言う。歯無しは、話に通じるか。)
ならば、何かのご縁と、吉天も上野から浅草寺、浅草神社へお参りする事にした。
これが吉天の三社祭デビューのきっかけでありました。
一日置いて日曜日、今度は夫婦で三社祭に出かけましたさ。