国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

奈良高校・奈良県庁・奈良市役所・奈良県立医大の移転、女子大と教育大の法人統合に見る学研都市への還都

2019年07月19日 | 京阪奈学研都市への遷都
平城高校の廃校を前提とする奈良高校による敷地乗っ取り、奈良市役所の移転はともに建物の耐震問題が原因であるが、これは故意に放置してきたとしか考えられない。奈良県庁の移転を含めて奈良市旧市街に確保してきた公有地を、皇室関係施設の建設目的に転用する目的と推察する。奈良教育大附属小中、奈良女子大や奈良教育大も広大な敷地を旧市街に有しており今後移転させる可能性もありうる。奈良高校・奈良教育大附属中学の近隣には広大な奈良ドリームランド跡地が未開発のまま残されているが、これらも皇室関連施設用地に転用されると想像する。奈良県庁の移転先は現在の奈良県立医大敷地の一部と想像する。 奈良高校の移転で私が注目しているのが、奈良高校移転先の平城高校の敷地である。ここは学研都市域内で高の原駅から徒歩数分という交通至便の地である。東大寺学園は今回の奈良高校と同様に1980年代末頃に奈良市旧市街から高の原に校舎を移転している。東大寺学園の前身の私立清々中学は新制奈良高校附属中学的な役割を果たしてきた。今後国際金融資本の世界支配が崩れれば教育システムも戦前に復帰し、東大寺学園が奈良高校と統合されてそれぞれ男子校・女子高となって旧制奈良中学・女学校が復活するかもしれない。 もう一つ注目されるのはリニア奈良市付近駅の工事との関連である。神奈川県相模原市のリニア橋本駅は、県立相原高校を移転させてその跡地を地下駅設置場所に転用している。もしリニア駅を高の原に建設するならば平城高校跡地地下だろうと私は想像してきた。しかしながら、平城高校跡地に奈良高校が移転するとなると、高の原へのリニア新駅建設は難しくなるだろう。奈良市内のもう一つの候補地であるJR関西線平城山駅は近隣にJRの車庫やゴミ処理場などの公共施設がありそれを駅に転用することは不可能では無いが、リニア線路の方向に合わせた東西方向に長い敷地を確保するのは難しい。奈良県内で他に候補になり得るのは大和郡山市内のJR関西線と近鉄線の交差地点か、生駒市北部の学研都市髙山地区のみであろう。前者は南に寄りすぎているし、後者は連絡する他の鉄道路線が皆無で、新に建設するとしても、奈良県中南部へのアクセス不良という問題を抱えている。奈良高校の高の原移転でリニア新駅は精華町等の学研都市京都府南部地区にほぼ確定したと思われる。 . . . 本文を読む
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秋篠宮が御寺泉涌寺を守る会の総裁、紀子妃が大聖寺文化・護友会の名誉総裁に就任、関西への還都が進展

2019年06月27日 | 京阪奈学研都市への遷都
皇室の菩提寺として歴代北朝系皇族の墓を有する京都市の泉涌寺には「御寺泉涌寺を守る会」という組織が昭和41年に設立され、昭和天皇の弟とされる故三笠宮が総裁となった。そして、三笠宮の後を継いだのは秋篠宮であった。以後、秋篠宮夫妻は毎年京都を訪れて「御寺泉涌寺を守る会」に出席しているようだ。明治天皇と昭和天皇はこの寺には殆ど訪れなかったが、大正天皇は訪れていたという。孝明天皇の血を引く北朝系皇族の 代表が大正天皇・三笠宮・秋篠宮であることを示唆している。 そして、2015年3月には秋篠宮紀子妃が皇族ゆかりの尼寺である大聖寺の「大聖寺文化・護友会」名誉総裁に就任、以後毎年京都を訪問して出席されるようになっている。今年5月には何と紀子妃と共に眞子内親王が出席されている。今後眞子内親王が大聖寺の当主とし京都に居住されることを示唆していると思われる。 ネットゲリラが指摘するように、大聖寺や泉涌寺の様な寺は皇族子女を匿う施設として機能してきたと思われる。影武者疑惑のある愛子内親王だけでなく、秋篠宮や悠仁親王も東京にいるのは影武者で、本物は京都の寺で住職として超能力の修行をしているのかもしれない。これらの寺に関与するのが三笠宮系と秋篠宮系の皇族に限られるという事実は、彼らだけが神(宇宙人?)と交信する能力のある真の皇族であることを示唆している。そして、秋篠宮一家の関西への帰還による京阪奈京への還都が迫っていることも示唆していると思われる。 . . . 本文を読む
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北岡伸一元国連大使、北岡篤吉野町長の兄弟は八咫烏の商標の元に秋篠宮を奈良と吉野に導くか?

2019年06月06日 | 京阪奈学研都市への遷都
その社長とは、吉野町の町長を兼務する北岡篤である。彼の一族は江戸時代初期から吉野で換金や手形の取扱いを行い、明治初期に造酒業に商売替え、以後代々それを受け継いでいる。会社名は株式会社北岡本店で、何と大正時代から八咫烏を商標にしている。 北岡篤は単なる中小企業北岡本店の経営者では無い。進学校として名高い(当時は知名度は低かったと思われるが)東大寺学園中学・高校を経て東大農学部を卒業した後に父親の北岡茂の後を継いで社長になっていると思われる。造酒業の経営者として醸造の学問を修めたのだろう。北岡茂は京都帝国大学医学部を卒業した医師でもあった。医師・吉野町長・八咫烏北岡本店社長の三つの職を兼務したのだと思われる。更に北岡茂の父親、つまり北岡篤の祖父も吉野町長であったとの情報がある。大正・昭和期の内務官僚、経済学者、社会政策学者であった北岡壽一は北岡茂の叔父と思われる。 北岡篤の兄は北岡伸一である。北岡篤と同様に吉野町で生まれ育ち、東大寺学園中学・高校を経て東大法学部を卒業、東大法学部大学院、立教大学法学部講師・助教授・教授を経て1997-2012に東大法学部教授を務めている。専門は日本政治史だが、外交関連での活躍も目立ち、2004-2006には外務省に出向して国際連合日本政府代表部次席代表・特命全権大使となっている。2012年に東大教授を63才で辞職した後は政策研究大学院大学学長特別補佐、 国際大学学長等を経て2015年から外務省系の独立行政法人である国際協力機構(JICA)の理事長を務める。そして最も注目すべきなのは、彼が奈良市の旧市街にある奈良県立大学の理事長も務めていることである。2015年10月には既に理事長に就任しているが、何時就任したのかはわからない。 八咫烏の秘密結社があるのかどうかはわからない。しかし、八咫烏の精神を持った人々は熊野大社や橿原神宮や吉野に多数存在するのだと思われる。北岡一族も間違いなくその一員で、それ故に自社の商標を八咫烏にしているのだろう。東京ではJICA理事長、奈良市では県立大理事長として働く北岡伸一元国連大使は、弟の北岡篤吉野町長・やたがらす北岡本店社長と共に、秋篠宮を東京から奈良や吉野まで道案内するに違いない。 . . . 本文を読む
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上皇・秋篠宮が京都に戻って平城京跡歴史公園で秋篠宮が即位、東京天皇と並立する壬申の乱の再現か?

2019年05月18日 | 京阪奈学研都市への遷都
本ブログに5月12日に書き込まれた情報が興味深い。「4月20日に朝日新聞が報道した秋篠宮の上の発言は、壬申の乱の時に大海人皇子が「自分は天智天皇の後を継ぐつもりは無い」と言って出家し吉野に籠もった後に反乱を起こし弘文天皇を殺して即位した歴史を彷彿とさせる。「高齢での即位は出来ない」との言葉は、近日中に即位する意図があるという不穏な発言とも解釈できる。恐らく近いうちに平成上皇と秋篠宮は京都に戻り、今上天皇だけが東京に取り残される。それによって日本は東西京体制に移行する。平城京、長岡京、平安京への遷都時には遷都の詔が出ているが東京については遷都の詔が無いので東京は実は首都では無い。また、今上天皇が5月1日に即位したことは大きな意味は無い。最も重要なのは今年11月に行われる大嘗祭で、ここで今上天皇に神とのチャネリングを行うことが出来るかどうかが試される。それには密教などの仏教系の教育が必要であり、秋篠宮や悠仁親王はその教育を受けているが、今上天皇はそれを受けていない(つまり大嘗祭を行えない)。」というのだ。 羽田空港の新空路の直下に上皇皇后両陛下が居住されるというのも興味深い。騒音に加えて飛行機から落下する備品や機体の着氷が両陛下の邸宅を直撃し破壊することを京都への移住の根拠に出来るだろう。5chのスレッドでは「京都に帰れ」という意味深な書き込みが多いがこれは日本支配階層による情報リークだろうか。更に、壬申の乱や光仁天皇の即位についての書き込みもあるが、私が以前からブログに書いてきた第一の国難、即ち百済の滅亡から安史の乱までの日本の苦難の歴史とかなり重なる内容である。 「私費で賄う大嘗祭、秋篠宮さま自ら提案 既存の神殿活用」との昨年12月25日の朝日新聞報道も、私費であっても多くが国民の税金からの支出であることに変わりない様に思われ謎だったが、これは「浩宮が東京で公費で大嘗祭を行うのとは違い、自分が京都あるいは奈良にある既存の神殿で大嘗祭を行う、その費用は皇族の自由裁量が認められている費用で賄うので浩宮には干渉させない」という意図と思われる。 . . . 本文を読む
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1947年の新制精華中学設立の時点で精華町に新皇居を建設するという明確な計画と強い意志があったのではないか?

2018年08月06日 | 京阪奈学研都市への遷都
ところで、精華町の「精華」はこの地域の伝統的な地名とは無縁である。1947年に複数の村が設立した組合立の新制精華中学校にちなんで1951年4月に昭和の大合併で二つの村の合併により精華村が誕生している。その後1955年に町制が施行されている。平成の大合併で東隣の木津町・北隣の京田辺市と合併する案もあったが木津町と精華町の反対で実らず、木津町は他の町村と合併して木津川市に移行、精華町は京阪奈学研都市の中心でありながら京田辺市と木津川市に挟まれた町のままで存続しており、「精華」の名前は失われていない。この「精華」は1896年から1920年まで存在した組合立の精華高等小学校(現在の新制中学に相当)に由来しており、1890年(明治23年)10月30日に発布された教育勅語の「国体の精華」から名付けられている。同様に「精華」の名を冠する学校は公私立の小中学校、私立の高校・大学が日本各地に存在しており、福山市と岐阜市の二つの新制公立中学、2009年開設の山口精華学園を除くといずれも戦前の設立で教育勅語に因んでいると思われる。ただ、福山市・岐阜市・精華町の新制公立精華中学校の設立が異例であるのは、教育勅語を否定したGHQの占領体制下で教育勅語に由来する名を冠する公立学校が設置ないし再開されたことにある。また、昭和大合併による精華村の設立もGHQの占領体制下である。更に、平成の大合併で京田辺市や木津町と合併していれば、両自治体と比較して小規模であり冠する名称に長い歴史も持たない精華町は吸収合併されて「精華」の名前が失われることは避けられなかったであろう。日本の体制や文化を破壊することを目的としたGHQ占領下という困難な状態で教育勅語の一節を叫び、それを戦後長きにわたって守り続けてきたのは、1947年の新制精華中学校設立の時点で精華町(恐らく祝園分屯地)に新皇居を誘致するという明確な計画と強い意志が存在したことを示していると思われる。 . . . 本文を読む
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平成30年8月10日の南関東大地震や大台風襲来で首都圏壊滅、奈良含め関西に首都機能移転のシナリオか?

2018年04月01日 | 京阪奈学研都市への遷都
伊勢女さんの夏の予言によると鎌倉から二宮にかけての相模湾沿岸が被害を受けるとのこと。地震兵器で断層の複数の地点を同時に爆破すれば巨大な津波を作り出すことができるのかもしれない。津波ハザードマップでは鎌倉市や逗子市の旧市街の大部分が、藤沢市でも片瀬海岸地区が津波で壊滅している。また、8月10日であれば同時に気象兵器で作成した巨大台風の高潮で攻撃することも出来るだろう。 私が気になっているのは伊勢女さんの地震予言で取り上げられている「ニノマエ」という地名。2chやブログ「黄金の金玉」では神奈川県二宮町とされているが、私は鎌倉市中心市街地の「二の鳥居前」交差点も指しているのではないかと思っている。ここは鎌倉駅至近の若宮大通りに位置しており、小町通り同様に津波ハザードマップでは浸水する地域に含まれているからだ。そして、鳩サブレーで有名な豊島屋のライブカメラで二の鳥居前交差点の動画が配信され続けており、大津波が来れば二の鳥居を押し流す画像が全世界に流れるだろう。 「偽りの都は滅びる」「火の元の天使は都に戻る」は、「日の本の国の天子」、つまり天皇が偽りの都である東京を捨てて伝統的な首都であった京都または奈良に戻ることを示唆している。3月23日に奈良県議会は突然、奈良県庁の橿原市への移転を決議した。橿原市では県立医大の病院以外の施設の移転と病院前新駅設置を含めた病院周辺の再開発計画があり、ここに県庁を移転することは考えられる。首都機能の関西移転に伴い、現在の奈良県庁や県知事公邸などの公的施設の跡地は皇室・宮内庁・外国の元首等公賓の訪問用に利用されるのかもしれない。 . . . 本文を読む
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京都・奈良とは何か:小浜市のお水送りと東大寺のお水取りに見る畿内を守る五芒星の結界とその中心軸

2017年12月24日 | 京阪奈学研都市への遷都
古都奈良に春を告げる行事として、東大寺二月堂で3月12日に行われる「お水取り」は有名である。この10日前の3月2日に小浜市神宮寺で「お水送り」が行われ、そこで流される「香水」が3月12日に二月堂の「若狭井」に届くというのだ。この行事は天平時代から1200年間続いているという。お水送りの水源は神宮寺の上流の白石神社にあるがここは若狭一宮の若狭彦神社の境外社であり、「お水送り」はこの白石神社の近くの鵜の瀬で行われる。この白石神社や鵜の瀬も正中線の近傍にある。お水取りの約10日後に春分の日、つまり春が到来する。その約10日後の4月3日は神武天皇が崩御された日で、神武天皇の即位場所である橿原神宮では神武天皇祭が行われる。神武天皇祭の10日後の4月13日から15日まで熊野本宮大社では最も重要な祭りである例祭が行われるが、この神社は神武天皇が日向の国の高千穂から奈良県の橿原に移動する際に通過した場所であり、熊野から橿原までの道案内を行った神の使者である八咫烏がこの神社のシンボルとなっている。このように、小浜市の若狭彦神社と神宮寺から京都市・精華町・奈良市・橿原市を経て熊野本宮大社に至る南北の線は日本の真の中心軸であり、それを防衛するために結界が作られているのだと思われる。お水送り・お水取りはこの結界を外敵から守るために行われているのだろう。 . . . 本文を読む
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「江戸時代」の後の「東京時代」はもうすぐ終わり、東京は旧名「江戸」に復する。天皇は京阪奈京に去り、「京阪奈時代」が始まる。

2016年12月13日 | 京阪奈学研都市への遷都
フランス革命から第一次大戦まで徹底的に国際金融資本に攻撃されて弱体化したオーストリアはその後一世紀かけて見事に全欧州を密かに制覇した。ヒトラーによりドイツ政府を乗っ取った後にドイツを敗北させる、更に自国オーストリアはドイツに強制的に併合された哀れな被害者であると宣伝するこの策もまた、勝利を念入りに敗北で隠す東洋的な戦略である。日本もまた、自国を米国に完膚無きまでに破壊された哀れな敗者と演出しながら、平壌の亡命政権によりベトナム戦争や米国の公民権運動、先住民権利運動、中国の核開発等を支援してきた。それにより米国は有色人種移民制限という人種差別政策を1960年代末に撤回させられ、それにより日本は事実上米国の滅亡を確定させたのだ。この日本とオーストリアの戦略の東洋性はあまりに共通している。実はナチスドイツやEU統合等の欧州政治の戦略は日本が立案してオーストリアに実行させてきたのではないかと私は最近考えている。近日中に起きる世界大恐慌は経済のみならず政治的な大転換をも含んでいる。犯罪国家米国は滅亡し恐らく内戦に突入、その後北朝鮮軍や日本軍、ロシア軍、ナチス軍などによって分割占領されるかもしれない。カルタゴと同様に英語圏新大陸諸国は消滅し、英語はフェニキア語と同様に死語となるかもしれない。日本では米軍による日本占領部隊であった自民党が消滅し、帝国陸軍の残党である民進党が政権を握って蓮舫の元で親中国政策を推進するだろう。天皇は江戸城からけいはんな学研都市に去り、東京は昔の名の江戸に戻り、江戸城には徳川将軍の当主が戻ると想像する。「東京」が首都で無くなり「江戸」に戻るという大事件が、日本の一般大衆の価値観を転換させる為に必要なのだ。ソ連崩壊後に「レニングラード」がサンクトペテルブルグに、「スターリングラード」がボルゴグラードにと旧名に復したのと同じことが起きるのだ。日本の各時代は天皇や征夷大将軍などの政権の所在により名付けられてきた。明治・大正・昭和・平成の4天皇の時代は今後まとめて「東京時代」と呼ばれることになるだろう。遅くとも皇紀2678年(西暦2018年)11月23日の大嘗祭までにこの「東京時代」は終わることになる。そして、次の時代は京阪奈学研都市地域への遷都により「京阪奈時代」と呼ばれることになるだろう。 . . . 本文を読む
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平成30年11月の即位の礼は奈良市の国営平城宮跡歴史公園の復元大極殿で行われ、それを期に皇室は関西に戻る。

2016年10月23日 | 京阪奈学研都市への遷都
①平城京跡地は国営平城宮跡歴史公園となっており、復元された大極殿の周囲には建造物の無い広い敷地が確保されている。その南には朱雀大路もある。長安の都を模した伝統的な日本の都の構造が復元されているのだ。更に、即位の礼に必要不可欠な高御座も京都御所の他に平城京復元大極殿で二つ目が準備されている。ここで即位の礼を行うなら、日本が中国文明の伝統を引き継いだ国であるというメッセージを全世界に発信することになる。周囲の建物も京都御所より少なく警備も容易だろう。 ②国営平城宮跡歴史公園はその南側の住宅地や農地を含めて何故かけいはんな学研都市に含まれている。先端技術研究や住宅開発を平城京跡地で行うとは考えられない。しかし、学研都市はその設立目的の一つに首都機能の移転をうたっている。平城京の復元大極殿を新たな宮殿としてそこで即位の礼を含めた多くの宮中行事を行う計画があり、周辺地区の乱開発や土地投機を防止する目的で学研都市が構想・設立されたと考えるべきだろう。新天皇一家が平城京歴史公園に住むことは不可能では無いが、敷地は決して広くなく、多くの外国賓客が訪問できるスペースを確保するためにも、住む場所は祝園分屯地にするのではないかと想像する。平城京跡地のすぐ西側には秋篠川が流れており、その上流には秋篠寺がある。秋篠宮が設立された時点で、東京の皇居から平城京跡地に宮殿を移すことが決定されたのだと思われる。『みち』で触れている吉野については、最近の開発計画が無いことから考えて、祝園分屯地の隠蔽が目的ではないかと想像する。 『みち』で触れている様に、京都や奈良の宮殿を住居として祭祀を行ってきた天皇を東京に連れ出して江戸城跡地の皇居に居住させるという明治維新以後の状況は異常である。京都でも桃山城や二条城という城があるがそこは秀吉や徳川将軍が本拠としていた。城は武士の住処であって皇室の住処では無いのだ。それは平成30年に終わるのである。 . . . 本文を読む
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北陸新幹線京都駅・学研都市駅・天王寺駅・関空駅ルートを探る

2016年05月05日 | 京阪奈学研都市への遷都
西田委員長は従来は舞鶴・京都・学研都市・天王寺・関西空港という経路を主張していた。天王寺・関西空港ルートは消滅してしまった様である。しかし、皇居が学研都市の祝園分屯地に移転するならば、京都御所や文化庁が存在する京都市、関西の玄関口である関西空港、首都機能の一部が残留する江戸と皇居を結ぶ高速輸送機関は必ず必要になる。従って、皇居の移転発表とともに北陸新幹線と中央リニア新幹線が皇居最寄りの学研都市駅を経由することが公表されると思われる。そして、中央リニア新幹線が山陽新幹線との乗り換えのために新大阪を経由する必要があること、災害・テロ等の運行トラブル時に江戸・関西間の高速鉄道輸送を維持するには新大阪一極集中は問題があり大阪市に複数の高速鉄道駅を建設することが有用と思われることを考慮すると、北陸新幹線が京都駅・学研都市駅・天王寺駅を経由して関空駅に至るルートで建設されることはほぼ確実と思われる。南海電鉄天王寺支線は今池・天下茶屋間が堺筋線延伸のために1984年に廃止された。残る今池・天王寺間は1993年に廃止されたが、現時点では道路等の転用は行われていないようである。天王寺支線跡地はあいりん地区付近に位置している。この地域でもし新たに鉄道建設用地を入手するならば、地域の特殊性故に早期の買収は困難かもしれない。かつて東海道新幹線を建設する際に京都駅付近での土地買収が困難を極め、国鉄の担当者に自殺者が出たとの噂を聞いたことがあるが、あいりん地区ならば更に難易度は高まる可能性もある。今池天下茶屋間の堺筋線延伸と同様に、今池天王寺間の地下に北陸新幹線を建設する目的でこの線路跡地は故意に放置されてきたのだと想像する。また、天王寺駅の東北東に隣接して大阪教育大学天王寺キャンパスや附属中高の敷地がある。大阪教育大学は既に柏原市にキャンパスを保有している他、近県にも多数の国立教育大・教育学部があり統廃合可能である。付属小中高は3校もあり統廃合は十分可能である。北陸新幹線天王寺駅を地下に建設する目的で大阪教育大天王寺キャンパスや附属小中高が温存されてきたと想像する。 . . . 本文を読む
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京阪奈学研都市訪問記:新皇居とリニア奈良市付近駅の候補地、近鉄けいはんな線延伸計画を探る

2014年09月24日 | 京阪奈学研都市への遷都
山手幹線は木津川の西側の唯一の幹線道路だが片側一車線で渋滞の酷い府道22号線のバイパスとして建設が進んでいる。京都府八幡市の国道1号線から木津川市の木津川台付近までのびる片側2車線の高規格道路で、南側では終点から高の原駅を経て平城山大通りまでの高規格道路に連続している。この道路は未開通期間はわずかで、来年度には一部を除いて完成する予定である。しかし、残る400mの未開通区間は工事着手すらされていないのだ。私はこの区間を併走する府道22号線を車で走ってみたが交通量は非常に多かった。この区間だけが未開通はおろか工事着手すらされていないのはどう考えても変である。この謎に対する私の回答は、山手幹線のこの区間はリニア新駅の設置予定場所なので、リニア新駅決定公表まで着手できないというものである。 新皇居は陸上自衛隊の祝園分屯地に建設され、悠仁親王はお茶の水女子大附属小学校から姉妹校の奈良女子大附属小学校に転校または附属中等学校に進学することになるとの以前の記事の主張は変更なし。リニア新駅はJR学研都市線・近鉄京都線と山手幹線未着手区間の間に地上駅として建設され、東口でJR・近鉄に乗り換え可能となる。けいはんな線はリニア新駅まで延伸されるが、けいはんな線の終着駅は精華町役場のある近鉄新祝園駅西口付近に設置される可能性が高いと思われる。 . . . 本文を読む
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秋篠寺訪問記:秋篠宮の名の由来、廃帝淳仁天皇と徳仁親王の廃太子、道鏡の役を演じる雅子妃と愛子内親王

2014年09月16日 | 京阪奈学研都市への遷都
最初の国難であった白村江の敗北に続く壬申の乱で成立した天武王朝は恐らく新羅系王族による名誉革命型の日本国乗っ取りであり、その後の天武系皇族の排除は大きな禍根を残した。安史の乱による唐弱体化を背景に天智系復帰を果たした光仁天皇はその怨霊を弔うために秋篠寺を建設した。第二の国難である元寇の時には大元帥明王が秋篠寺に作られている。秋篠寺は国難に深く関わる寺であり、秋篠宮の命名は明治維新以来の第三の国難への対処を意図したものと思われる。国際金融資本・欧米文明が大銀行破綻やスコットランド独立等の「安史の乱」で一挙に弱体化した時点で皇太子を含めた長州系王族は排除され、秋篠宮が即位して光仁天皇の様に孝明天皇系皇統への復帰を果たすことだろう。適応障害との雅子妃の悪評、愛子内親王の不登校等の悪評は彼女らが現代の道鏡の役割を果たしていることを示す。淳仁天皇が男系最後、称徳天皇が女系最後の天武系天皇となるために道鏡は決定的な役割を果たした。雅子妃と愛子内親王は道鏡の役割を俳優として演じている。今後の徳仁親王の廃太子に決定的役割を果たすだろう。 . . . 本文を読む
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新皇居は京都府精華町の祝園分屯地に、皇族の関西移住で悠仁親王は奈良女子大附属に転校へ

2013年12月23日 | 京阪奈学研都市への遷都
精華町はATRや国会図書館分館などの学研都市の中枢施設を有している。精華町が主張する域内または木津川市への中間駅誘致は、奈良市付近でありかつ京都府内であることから京都府の利益も確保できる適切な落としどころである。中間駅誘致が成功した後には近鉄けいはんな線の延伸による鉄道アクセスの更なる向上も期待できる。祝園駅近辺の片町線・近鉄京都線沿線か木津駅が奈良駅と並ぶ大本命であり、本来なら早期に中間駅が確定されて大阪まで一挙に建設されるべきであった。 精華町の立候補声明は三点からなる。鉄道アクセスが良いこと、道路アクセスも良いこと、そして学研都市が首都機能移転の候補地であることである。恐らく三つ目の首都機能移転を国際金融資本に隠し、地震兵器等の攻撃を回避することがその主目的であったと私は推測する。 関西地区に首都機能の一部を移転する場合、役所や日銀、株式や商品の取引所は地下鉄など交通アクセスの良い大阪中心部で確定である。大阪駅北側の貨物駅跡地という理想的な敷地も存在し、土地の手配も容易である。しかし、より重要な皇室の関西への移動については、警備施設を含めて広大な敷地が必要であり、京都市や大阪市の既存市街地は困難である。そこで私は大阪空港跡地を新皇居の候補地と考えてきた。ただ、皇族は現在でも日本各地を頻繁に訪問している上、関西移住後は国事行為のために東京を頻繁に訪問する必要がある。大阪空港跡地は新大阪までやや距離があり、交通渋滞も考慮すると適地とは言えない。現在の皇居が東京駅の至近距離にあるのと同等以上のアクセス性が必要である。そのアクセス性を確保できるのが学研都市である。 . . . 本文を読む
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