見方
みるという視点
“クルマ遊びを継続させるには”
本みたいな内容になるかもしれません。
捉え方のお話です。
自分は、昔から父親の影響で、車と関わってきました。
父親は定年まで某ディーラーで働いており、その息子が自分というわけです。
もちろん整備士でもあった父親だが、自分は、車業界の道を歩むことはしませんでした。
これはなぜかというと、ずっと車が好きでいたかったからという理由です。
クルマが好きだから、車業界に進むという流れが多くあってた時代に、若くしてどうしてそのような考えになったかと言いますと、父親がどうしてもクルマをビジネスに考える傾向が強く、クルマで楽しんでいるように思えなかったからです。楽しさの価値観が合わなかったかも。
あと当時のディーラーだと土日が休みやすい環境ではなく、クルマを楽しむために環境を作ろうと考えたのです。モノを作るのは子供のころから好きでやっていたんで、仕事もその路線で行きました。
休みの日や平日は、いつものようにガレージに閉じこもって、ハチロク触ってました。わからないことあれば父親に聞けばいいし、環境としてはよかったと思います。もちろんショップに頼らなくて済みました。(一時期地元のショップにはお世話になってたけど)
でもある時期から、サーキットを走らせる車両を作ろうと思った時、整備士しかしたことない父親の話と、本に書いてある情報や知り合いから聞いた情報では、違うことが多いのに気づきました。
この頃から、本気で鉛筆握って、クルマの勉強と、機械工学や電気工学を勉強しました。偶然が重なったこともあったけど1年間くらい大学の理工学部に行って勉強もできました。
この頃から、クルマというものを機械的要素で考え始めたのです。
人ができないことをチャレンジするときは、できるわけがないとプライド持ったように言う人は、昔からたくさんいました。物理的に、できる理由を述べても、屁理屈言うなみたいなことを言われることがありました。相談しても、できない理由ばかり言う人もいます。
頑固たる性格な自分は、納得がいかなければ折れることはありません。
ですので若い時は、こういう環境から抜け出すのに、すごく苦労しました。
自分は、クルマへのアプローチの仕方が、一般的には全然違ってて、整備士さんは、クルマを修理の方面から携わることが多いと思います。けど自分は、モノづくりという観点から、クルマを見てしまったとです。
例えば、ロアアームという部品があったとします。ロアアームとはどんな部品ですか?という見方をすると、サスペンションと車体を繋ぐ部品と答えると思います。整備士さんは、経験豊富で、こんなロアアームもありますよとか、海外のロアアームはこんなやつもありますとか、すごく幅広い知識をお持ちです。これはやはり車にたくさん携わってきたノウハウだと思います。
自分の場合はというと、ロアアームの材質は何なにでとか、こういう製法で作られているとか、強度はどうかとか、寸法精度は、基準がここだから何mm以内だとかと、そんなことばっか思ってしまうのです。
これって視点という捉え方が違うのです。
これってどちらがいいとかではなく、お互いを分かりあって話すことができると、お互いに凄くプラスになるのです。
一般的に、クルマ屋さんはクルマに詳しい、機械屋さんは機械に詳しいという見方だと思うけど、クルマは機械で作られていて、機械は人間が設計して作られているということです。
クルマ屋さんと機械屋さんが協力しあえば、相乗効果が出てくるとです。
でも圧倒的に、機械屋さんのような考えが少ないのは事実です。
最近は、整備士さんたちとこんなことが話せるようになって、いろんなことができちゃうてことです。
だから自分ら界隈はほとんどが自分でクルマを触るという人が多いです。
けど自分ではそこまでできないからショップというクルマを改造してくれるお店を頼ることがあると思います。
もちろん今、やっているところは良心的なお店が多いと思います。
けど中には、話がこじれたお店もあります。
そんなお店の注意点を書きます。
わからないことは、わからないと言ってくれるショップを選びましょう。
外注に出しているのに、いかにも自分のお店でやったというショップは考えましょう。
見積もりは取りましょう。
支払いを、事前にするのは控えましょう。部品が納品されているなら支払ってもOKだと思います。
部品を作ってもらうとき、図面で話ができないところは、部品は完成しないでしょう。
ショップでのトラブル相談は一向になくなりません。
ショップ選びに失敗して、クルマ降りた人たくさん知ってます。
だから見方を知ってもらえばと思って書きました。
こうやってみると見方っていろんな角度から見れますね。
クルマ遊びを辞めずに続けていくには、環境を整えていくことが、一番大事かもしれません。
でも実際はそうでもありません。
見た目の競技ですから、人によって好きずきはあります。
対戦対戦で、審査員が審査員席から見たかっこいいと思った人が選ばれます。
そのかっこいいの観点が微妙なところがあるので、ゾーンとかラインの指定があったりします。この条件の中でかっこいい走りをしてくださいの要求だと思います。
随分、昔の話ですが、ドリフト初めて4年~5年は午前中予選落ちしてました。
昔は台数が多かったので1次予選、2次予選、決勝てな感じが多かったのですが、1次予選敗退ばかりで、11時ごろには終了してました。5周くらいして、弁当もらって、13千円支払うてな感じです。なけなしの金払って悔しくて悔しくて。どうしても勝ちたくてたまりませんでした。
そんな中、ギャラリーから2次予選見るとなんでこんな奴に負けたんだ?てのが多く思いました。その日1番ではないとわかっていても、2次予選には行けるだろうみたいには思ったのです。けど見る視点を変えました。審査員席から見るようにしたんです。すると走りが違うように見えたのです。ギリギリ攻めても攻めなくても見た目変わらんじゃんと思ったりしましたね。大会チャレンジしている人たちは、しっかり審査員にアピールできる走りをしています。その頃の、自分は、自分が思った走りを審査員に見て欲しくて、それが評価されなくての繰り返しだったように感じます。自分の中では上手くいったと思った走りが評価されてませんでした。
いつも一人で戦っていたので、当時は受け入れにくいことだったので、素直に言えませんでした。勝つ人は、どうやって勝ち上がっていくかは、この当時の4~5年でずいぶん研究したと思ってます。自分の、この時代を知る人はもうほとんどいませんが、この時代の負けは、今でもトラウマでしかありません。
だから大会になると、ついつい今でも考えちゃうんでしょうね。
何が正解かは正直分かりません。
こういう勝負事は、車に限らず、負けたら悔しく、勝ったら非難されたりね。
自分でお金払って、自分の意志で大会に出て、そうしたら納得するかなと思ったけど、そうでもなかったりするんです。たくさんの協力があってのこそだと思います。
走行会なんかで、走らせてる車両を見ると、毎回、同じようなラインで走る人もいるし、走らせ方いろいろしてる人もいるし、チャレンジしている人もいる。毎回決まった走りをするひとが、大会出たら、案外ミスが多かったりするし、いろいろ走らせ方知っている人が上位に行ったりする。
大会のこと考えて走ったら楽しさ半減するんです。
けどそれでも楽しめてる人はごく僅か。ほんと尊敬しちゃいます。
走行会に行って団体ドリフトとかツインドリとかするじゃないですか。
そんなときでも、前走していたら後ろが走りやすい走り方しますし、後ろが走りにくそうだったらナゼか考えてました。こんなん考えるのは、もう癖としか言いようがありません。
一緒に、走りながらお互いの心理を確認し合うのは、好きなのかもしれません。ただ逃げるだけの走りをするようだったら、遅い車では太刀打ちできないので考えて走っちゃう。
小さな挙動で、相手が焦ってることがわかるし、何考えてるか予想できるようにもなります。
大会は、勝つか負けるかをはっきりさせられるから嫌ってる人は多いと思います。
レッテルを張られるというかね。
今は、気持ちに余裕が無いと、もうドリフト大会に出たいという思いは、ほとんどありません。
これが自分の本心だけど、みんなから言わせればウソだーとなりそうです。
勝負事は、勝つ人がいれば、負ける人も必ずいるということです。
負けてギャラリーしてたあの頃には戻りたくないと思うと、どうしても勝ちにこだわる走りをしてしまいます。自分の走りに拘って勝負することはまず難しいかな。
もちろんカッコいいと思われる走りを意識して走りますが、どうしても追い付かないときに考えるのが、そういうことなのです。
車速くして、もっと楽にいける車に乗ると、もっと自由度があると思いますが、そんな資金力もないしね。
けどカッコよく走りたい、もっとこう走りたいとか、いつも思います。ですが怖くてチャレンジできなかったり、車に言い訳したりとかよくあります。
だからみんな凄いなーと本心から思うし、リスペクトは忘れません。
楽しむと考えれば、スーパー団体的なことが楽しさはあるかもしれません。危険という言葉はついてきますけどね。
でも1つだけ勝負事へ導いてくれるものがあります。
それは1号機のハチロクそのものです。
手に入れた時から、ハンドル握ったら勝てるような気がするんです。
そう思わせるのが、ほんと1号機だけなんです。
エンジン触ってもボディ触っても、足回り触っても、なぜかハンドル握ると、イケるよねとなるんです。
なんか湾岸ミッドナイトの悪魔のZてきな話になってますが、スーパー理系男子の私がこういう発言する事態おかしい話ですよね。
先日の全国大会で乗った時、久しぶりに、そう思わせてくれました。
来年の方針はまだ決めてませんが、気持ち次第で行動は変わっていくと思います。
耐久レースでも出てみよっかと思いよるところです。
自分の好きなように楽しみたい、そう思いながら歩んでいこうと思います。
車以外というか子供のことなんて
ここのブログに書いたことないのですが
私にとって辛い出来事があったので
書きます。
ここ数年、子供の部活動にドはまりしておりました。
リアルな付き合いをしていた方々は、ご存じだったように
子供が勝ちたいなんていうから自分もできるだけのことはしようと
頑張ってました。
部活はソフトテニス部です。
子供は中学生から始めたのですが、中学1年生のときは、たいして試合も見にいかず
部活に顔を出さない親でした。私は、一応ソフトテニスの経験者ですがもう数十年ラケットすら握ったことが無いというやつです。
子供の中学時代は、あまりに弱小で勝てず苦労しました。
子供の勝ちたいに応えてやりたい、そう思ったらいてもたってもいられず
自分が出来る限りのことをやってみました。
中学校の最終学年で、なんとか中体連で県大会にいくことができました。
上手な子はみんな小学校から始めた子ばかりで
強豪地区からの勝ち上がりだったので嬉しかったです。
子供は、高校に入学して、またソフトテニス部に入部。
中学校から決めてたことでした。
活躍する場は高校だと。
ですが、その高校はそこまで部活に力を入れている学校ではありません。
でも部員たちは一致団結して自主性で強くなりたいという雰囲気がある素晴らしい選手ばかりです。ですからここ数年は県でベスト4に入る活躍をしておりました。
ですが、なかなかベスト4に入るが、もう何十年も優勝や準優勝はとることができておりませんでした。やはり強化指定校が強いです。
あきらめずなんとか勝つために必死でやっておりました。子供は嫌な顔せずに朝から夕方まで頑張って頑張って、学校練習以外にも、自主練という、学校練習よりきつい練習をしました。私もずっと付き添って練習相手や指導をしておりました。
環境は自分らで作ったんです。
私が、ハチロクから学んだことです。
そこまでして頑張った結果、
子供が最終学年になり、最後の県高校総体でやってくれました。
県で準優勝することができたんです。
目指してたインターハイ出場はできなかったけど、九州大会に出場できる権利を獲ったのです。
めちゃくちゃ喜びました。
”県を出たい”という言葉は親子の目標でした。
それが叶ったのです。
話はここからです。
私たち親子はもちろん九州大会に向けて練習しておりました。引退試合となる大会なので悔いが残らぬよう。
けど、九州大会一週間前に、突然私が体調不良に襲われました。
まさかのコロナ感染でした。
3日後、子供に感染。
九州大会への参加は絶望になりました。
考えれば、すーっと涙が出てくるとです。
最後の最後に掴み取った大会、そして引退試合。
子供に参加させてやりたかった。
悔しくて悔して。かなり涙がでました。
子供は、私を攻めませんでした。
一緒に頑張ってきたからわかってくれてたんでしょう。
また頑張ればいいさなんて言えない
勝っても負けても高校最後の試合だったんです。
ほんとにコロナが憎いです。
飲み会なども断って、感染予防に努めてはいたけど、甘かったのか。
こんなことがあって精神的にはかなり参っております。
これを知っている人は、話しかけづらい人もおられたし、
やさしく声をかけてくれる人もおられました。
まだ本調子ではないけど、考え方は変わっております。
誰かに左右されず、自分は自分の思うように、今は生きる。
こうでも思わないと、きついです。
どこかで区切りをつけないと、ずーっと書いちゃいそうだから
ここらで終わります。
では。
少し長文です。
AE86という車は、だれもが手軽に触れる車。
だからいろんな人が思いもよらぬことをしている。
今回のお話は、最新コンピューターでの診断解析でなぜそのような値がでるかを考えることです。
コンピューターは出力と入力があります。入力信号から異常信号は受け取れますが、必ずしも信号元のセンサーに異常があるとは限らないのです。
例えばなんですが、ピストンが壊れていることをコンピューターの解析結果では教えてくれません。教えてくれるのはヒントなのです。
車という機械を製作するメーカーならば、故障する可能性が高い部分に異常信号を検知できる何かを取り付け修理する人に教えていくという考えで作っていくと思います。壊れにくい車作りはもちろんなのですが、物は壊れるということでの考えです。車のオーナーからしたら修理箇所を早く見つかるので修理時間が短くなり手元に早く帰ってくるから助かります。修理する人も助かります。このような考えはベストに近いと思います。
けどAE86という車は、メーカーが作り始めて35年も経過している車両です。メーカーが予測できていないことや、AE86人気でたくさんの人が触り、元の姿や中身ではないことが多いです。自分たちで触ることを批判するつもりはありません。個人的には自分の所有物なので、そのオーナーの価値観で楽しめればいいと思います。
そんなAE86と長年向き合っていると、こんな考えになります。
“だれが触ったかわからない“→”だれがどう触ったか考える“
予測もしないことが起きるのですが、長年の経験から、想定ができるようになってます。
これがなぜできるようになったのか。
私は、設計開発からモノを完成させるまでのプロセスがわかります。
作る人と修理する人は違いそうだけど、どのようにして作られているかわからないと、想定が難しいのです。
ただし感触や感覚が大事です。ただ感触や感覚だけではダメなんです。理解力や知識、そして数値で見れることです。コンピューター解析だけをしても感触、感覚、知識、理解力が貧しいと判断できません。
私が、相談する人の幅は広いです。機械工学、電気工学、物理学、材料力学、流体力学、整備士、板金屋、プライベータなど特にメカニズムに精通している人が多いです。
要は相談する人にはヒントしかもらえないので、要因は自分で考え理解して実行するのです。これが修理するときの考えだと思っております。
なぜ今回このようなことを書いたかというと、最近とある相談があり原因がわからず1週間程悩んでました。ほぼ解決したのですが、根本的な原因発見はオーナーさんが見つけました。得られた情報から推測し、だいぶ想定して取り組んだ案件でしたが私が思ってもみなかった原因でした。
私を信頼して相談してくれる方には最大限の考察でお答えしてますが、今回“わかりません”と言おうか考えました。実際のモノを見てはいなかったので難しい案件でしたが、予測はできたのではないかなと思います。正直まだまだ私は力不足だなと思いました。
原因がわかると、根本的原因を必ず確認しなければなりません。
直ってよかったと思う反面、次こそは、すぐ気づけるようになりたいな。
まあこれの繰り返しが経験や技術力というものになっているんでしょうね。