ガレージにく来てくれてタバコ吸う人は必ず目がいくクランクシャフト灰皿
今日はたくさんの方々が、1号機を手伝ってくれました。
コンピュータのセットアップ活動初めてもう15年ぐらい経つのだろうか。
以前は燃調や点火を調整できる社外ECU導入すとなるとセッティングについては
ショップやごく一部のプライベータだけでした。
エンジンをコントロールできるって凄いと思ってた
自分もやってみたい、いつもの好奇心は働いてた。
それと21歳のとき初めてハイカムハイコンプエンジンを組んでノーマルコンピュータで
回し壊しました。セキアとモビタを1回ずつしか走ってません。無知な代償です。理解もせずにした結果でした。
それからはお店にお世話になってた時期がありました。
セッティングにどうしても納得いかないことが多くてショップの人に何回もセッティングしてもらってたくらい
フィーリングには拘ってた。そのぶん親切に教えてくれた。それは大会で勝つことが目標ということを
応援してくれた人でしたから。
やれるなら自分でもやってみたいと思ってました。
ひょんなことで手に入れた中古のフリーダムECU。
通信するのに苦労した思い出しかない。ソフトも古いし、マウスは動かんし。
試行錯誤の上ソフトを理解し、エンジンがどうやってコントロールされているか
勉強した記憶があります。セッティングセッティングと言いますがハード面(エンジンや補器、センサー類)を
知らずにはできません。
リセッティングならともかくパソコンつないで調整して終了なんてまずないね。
フリーダムの基本マップを作成するのにも苦労した。ラーメンでいう継ぎ足し熟成というかね。
案外仕様が似たり寄ったりなんで自分がよかったと思うデータを使い修正していきました。
もちろん仕様に合わせたことはやってますが、基本設定を熟成していき、自分の感覚もどこをどうすればいいか
感が働くようになったことは強みですね。これをお金で買えない技術というものです。お金はなくなりますが技術はなくなりませんとどこかの本に書いてありました。
もうフリーダムはやらないと宣言しました。というか今のパソコンが壊れたら完全終了します。
他にも様々なフルコンやサブコンを扱ってきました。知り合いからの相談でビジョンが見えるものはコントロールできてきましたのであながち理解しているとは思ってます。
4年ほど前から始めたLINK G4 ECUというニュージランドで生まれた社外コンピューター。
ソフトをダウンロードさせてもらって日本語がしっかりしていると感じたので導入しました。
まずは自分の車両からです。それもお馴染み2号機君。
2号機はフリーダムを最初につけて勉強した車です。その10年後にはLINKという高性能フルコンを試してもらうというね不思議な車両です。
全て頭の中で理解していたかというとそうではありませんでした。
導入して結線しながらでも自分が書いた配線図が理解不足で間違ってたりしておりました。
最低でも10万以上はかかる出費です。エンジンすらかけんやったら宝の持ち腐れなので
必死でした。
誰からも教わらず、まだネットにも余り書いてなくLINKECUを手に入れて3週間でエンジンがかかりました。
悩んだことはありましたが今後の新しいマネージメントととしてハチロクが生き残るためにも、いつまでも遊べるためにもと思ってます。
ただねフリーダムって古いけど、あまり壊れたという話を聞かないとです。まだまだ使えるかもしれませんし、それはオーナーさんが決めることですから。
けどシーケンシャル噴射のダイレクトイグニッション制御でのフィーリングを味わったら、同時噴射デスビ制御には戻れません。
あと一つ大事な話。
コンピューターセッティングというのはエンジンを壊すことだってできます。
そりゃだれだって壊すことは嫌だと思います。
セッティングする車両のエンジンはノーマルではなく、だれかが手を入れたエンジンがほとんどです。
状態によりセッティングを毎回変更します。
プラグの均等焼けやフィーリングの振動など、セッティングにマージンをもたせるのです。
状況もわからずに言われるのが、評論家(オーナー以外の指摘する輩)です。オーナー様は優しく理解してくれる人たちばかりです。
お店でもないのでネームバリューとかはありませんので、とりあえず仕様を作ります。それがオーナーに渡り
案外満足して、走ってるうちに慣れてくるんです。慣れた姿のマシンを評論家が判断するわけです。
セッティングしたいろんな車両にはリセッティングしましょうと話はしてありますのでオーナーはわかってくれてるんですけどね。
拘る人は何回も通って、もうちょっとここをどうにかしてくれと依頼されます。
そういう人は好きですね。
長時間預かるわけにもいかないので自分として走れる時間を多くしてやりたいがためにとってる行動です。
みんなで楽しむということをメインにやってきました。台数が減っていた時期もあったので必死でした。
AE86ドリフトチャンピオンシップ九州大会が開催され正直刺激されました。もしかすると戻るかもしれません。
みんなから頂いた自分の強み生かして、そして協力してもらって復活したいと思います。
コロナワクチン2回目で翌日翌々日と発熱しましたが、やっと収まったので、以前から書きたかったことをPCで
書きまくりました。