エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-I-9

2020-05-23 06:07:36 | 地獄の生活

たったこれだけの情報でも、御者の口から聞き出すのは一苦労だった。彼はまず、その客が乗り込んだのは正午だったので五時間分の料金が貰いたい、と切り出した。それにこの客ならたっぷりチップを上乗せしてくれたであろうから、それでかなりの儲けになる。それは、まっとうな稼ぎというものだ、と臆面もなく主張した。物価は高い、出来るところで稼がなくては、と。
二ルイを手に握らせても、まだぶつくさ不平を言いながら、この男が帰った後、ジョドン医師は再び病人の前に戻ってきた。腕を組み、陰気な様子で、考えごとのため眉間に皺を寄せていた。今は師匠の真似を演じてはいなかった。与えられた詳細な情報にも拘わらず、というよりむしろその故に、彼はこの件に何か不審で不安なものを感じていた。漠然とした疑念が彼の頭に次々と浮かんだ。自分は何らかの犯罪に行き当たったのだろうか? いや、それは明らかに違う。では一体何か? 彼を取り囲むこの謎の雰囲気と躊躇いは何だ? なにか痛ましい家族の秘密に関係しているのだろうか? 長い間隠されてきた恐るべきスキャンダルが突然明るみに出る、というような事態に立ち会おうとしているのか? 謎に包まれた不可解な事件に自分が関わることになるかもしれない、と考えると、彼は笑いがこみあげてくるのを抑えられなかった。これは大騒ぎになる。彼の名前が出る。新聞に彼のことが載る。そうすれば大金持ちの患者たちがわんさか押しかけてくる。しかし、そのための行動計画をどのように立てればいいものか? どうやって自分を売り込み、自分に頼るようにもって行けるか?
考えた挙句、ある考えが浮かんだ。良い考えだと自分でも思った。彼はマルグリット嬢に向かって歩いていった。彼女は肘掛け椅子にぐったりと座り、泣いていた。彼女を指の先でつつくと、彼女は身を起こした。
「もう一つ質問があります」 彼は自分の声に可能な限りの仰々しさを込めた。「シャルース伯爵が今朝飲まれた水薬は何であったか、ご存じですか?」
「ああ、存じませんわ!」
「それを知ることは、私の診断の正確さのために非常に重要なことでしてね。その小壜はどうなりましたか?」
「伯爵が書き物机の中にしまったと思います」
医師は暖炉の左にある家具を指さした。
「あれですか?」
「ええ、そうです」
彼は躊躇したが、それを振り切って言った。
「その壜を取り出していただく訳にはいきませんか?」
マルグリット嬢の顔が赤くなった。
「わ、私、鍵を持っておりませんので」と彼女は見るからに当惑して口ごもった。
カジミール氏が進み出た。
「鍵は伯爵のポケットの中にあると思われます。もしお嬢様のお許しがあれば……」
しかし彼女は後ずさりしながら、書き物机を守ろうとするかのように両腕を広げた。
「いいえ、駄目です」彼女は叫んだ。「この机に触れてはなりません。私が禁じます……」5.23


コメント    この記事についてブログを書く
« 1-I-8 | トップ | 1-I-10 »

コメントを投稿

地獄の生活」カテゴリの最新記事